甲は乙のために耕し、乙は丙のために耕すが、誰ひとり自分自身を耕すものはない。
「人生の短さについて」(セネカ著/茂手木元蔵訳/岩波文庫)より
「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。」
「論語」微子、第十八、六
ああ良く寝た。でもまだまだ眠れる。私の実力はこんなもんじゃない。 いただきもののチーズを消費するために、洋風の朝食。 珈琲、ヨーグルト、クランベリージャム、チーズを乗せて焼いたトースト、 ベーコンエッグ、蜜柑を一つ。
朝風呂。湯船で「世界史」(W.H.マクニール著/奥田義郎・佐々木昭夫訳/中公文庫) を読む。 午前中は読書したり、猫を撫でたり、数独したり、ああ閑暇って素晴しい。 何よりも素晴しいものとして閑暇を讃えたのは、 ソクラテスだったかマルクス・アウレリウス帝だったか鴨長明だったか忘れたが、まさに真理だ。 そういう意味で言ったんじゃない、とあの世で思っているかも知れないが。
昼食はカープソースを使ったソース焼きそば。赤ワインを一杯だけ。 午後は読書したり、猫を撫でたり、数独したり。 お風呂に入って、湯船で「世界史」の続きを読んでから、 夕餉の支度。
夕食はピェンロー。あとは雑炊。白菜の浅漬と人参の炒め物を添える。シャルドネを一杯だけ。 夜は "Champagne for One"(R.Stout著 / Bantam Books)を読んだり。
イギリスの数学者リトルウッドは、毎日トランプの一人遊びをして、戦績を記録につけていた。 それに習ったわけではないが、半年ほど前から毎日、コンピュータを相手に麻雀を半荘だけして、その得点と順位を記録している。
左のグラフが日毎の得点をプロットしたもの。私はコンピュータより強いのだろうか。 このグラフからは、やや高得点側に偏っている気がする程度で、はっきりしない。 なお、得点の分布がある程度まとまって見えるのは、順位に応じてボーナス点、ペナルティ点が加算減算されるルールのせい。
平均点を計算してみても、10 点に届かない程度で、ぱっとしない。では、得点ではなくて順位を見てみよう。 私が各順位をとった回数をグラフにしたものが左。私が一位になることが確かに多いようだ。 まったく力量が互角だったなら、私は 4 回に 1 回くらいしかトップになれないはずだが、3 回に 1 回程度になっている。 具体的には一位から順に 71 回、50回、37回、44回である(合計 202 ゲーム)。問題はこれが偶然に起こる程度なのかどうか。
こういう時にはまず、力量に差はなく結果は偶然である(四面体のサイコロをふっているのと同じ)、という仮説をおく。 そうなら、各順位のヒストグラムは期待値としては 1/4 ずつ、今の場合では 202/4 = 50.5 回ずつになるはずだが、 そこからのズレを測るためのカイ二乗量というものがある。 私の場合では 各順位の回数から期待値 50.5 を引いて二乗し、期待値 50.5 で割ったものを、足しあわせる。 その結果は 12.77 程度である。結果は偶然だという仮説のもとでは、 このカイ二乗量は(自由度 3 の)カイ二乗分布という知られた分布に従うことが理論的に分かっている。 だから、この 12.77 という数字が、起こっても仕方ないだろうなと思える程度の数字なのか、 まず偶然に起こるとは思えない、という程度なのか、という判断が出来る。 実際、この数字は 99.5% 起こらない程度に珍しいので、 上の仮説は棄却される。つまり、私とコンピュータの麻雀の力量は同等ではないだろう。
上の「理論的に分かっている」が怪しい気がする方のために、 四面体のサイコロを 202 回ふってカイ二乗量を計算する、ということを千回繰り返して、 結果をヒストグラムにしたものが左のグラフ。もちろん、実際にサイコロを20万回ふるのは辛いので、 コンピュータによる擬似的な数値実験である(青い線の方)。 赤い線の方が理論的なカイ二乗分布から書いたもので、良く一致している。 また、12.0 以上の値がほとんど起こらないことも感じとれる。
ああ良く寝た。 昨夜は食べ過ぎ飲み過ぎだったので、朝食は珈琲とヨーグルト、クランベリージャムだけ。 朝風呂。湯船の読書は「ヤバい予測学」(E.シーゲル著/矢羽野薫訳/阪急コミュニケーションズ)。 ぼうっとしているうちに昼。 じゃこと葱入りの納豆、蕪の糠漬、御飯、切干し大根と卵の味噌汁。
食後にちょっと横になったら、三時間ほど昼寝してしまった。 相変わらずいくらでも眠れる。 午後も読書など。 「ヤバい予測学」、読了。 「世界史」(W.H.マクニール著/奥田義郎・佐々木昭夫訳/中公文庫) を読み始める。
夕食は「餃子の王将」の餃子と、白菜の浅漬、葱の赤だし、じゃこ入りの卵かけ御飯。
曇り空。今日は年内最後の出勤日で、午後はオフィスの大掃除。 夕方からオフィスの隅のミーティング用テーブルで忘年会。 来年こそはブレイクしたいものだなあ。
会社の 公式 blog を書いたのは忘年会開始前だったのだが、 実際、 Plutoから CEO, H2Lから両名、 Genomedia から CEO 含め二名、 マイアミから帰国したばかりの話題のSCHAFT からも一名やって来てくれて盛況です。
銀座は高級ブランドの買い物袋を持った人々に溢れ、高級ワインが飛ぶように売れています、 というニュースを見ている時、アイデアが浮かんだ。
私のメイルボックスの中には、あちこちのワイン専門店のメイリングリストの類が数年分は溜っている。 そこから値段を抜き出して、時系列のグラフにしてみたらどうだろう。 まず全メイルのアーカイヴを mbox 形式に変換して 1 ファイルにする。 そのファイルを一行ずつ読んで、ワイン屋からの宣伝と判断される部分から、 日付と値段を正規表現で抜き出すスクリプトを書けばよい。
セット価格もあるかも知れない、とか、 ワインでないものの値段も入るかも知れない、とか、値段の情報がリンク先にある場合もある、とか、 「X 円を Y 円に割引」のような書かれ方もある、とか、 細かいことを言い出せば切りがないが、 そのメイルの中に直接に書かれている金額から大まかな傾向は分かるだろう。
と言うわけで、python でスクリプトを書き、できたデータを R に渡して集計描画したのが、以下のグラフ。 一つ目のグラフは全データだが、今年飛び抜けて高い金額が二つある(25万円以上)。 これはワインではないかも知れないと思い、生データを見たら、 一つはワインセラーの値段だったが、もう一つは本当にワインだった(ちなみに一本の値段)。 もし、これを「外れ値」と判断するなら、ほとんどのデータが十万円以下におさまるので、 十万円以下だけに制限したものが二つ目のグラフ。こんな荒っぽいデータからも明らかに、ワイン屋がターゲットにしている値段は上がっている。 2011 年から安定して高価格層が現れているが、 今年 2013 年から新たなステージに入り、年末にかけてさらに高騰しているようだ。 ここまでのデータはお遊びとしてお見せしたが、この先は私だけのための研究なので秘密。
今年も無事に過ぎ去って行きそうだ。 読む本くらいしか日常の変化がないので、2013 年に読んだ本の個人的ベスト3+1。 特に今年出版されたとか、話題になった本では全くなく、 単に私が今年読んだ本の中のベストです。 間違いなく面白い、はずなので、年末年始の読書計画のご参考にいかがでしょう。
「白い国籍のスパイ」は以前 blog に書いたが、 第二次世界大戦時のヨーロッパを舞台に、主人公が料理の腕前を武器に次々に難関を切り抜けていく、洒脱なエスピオナージュ。 徹夜必至のエンタテイメントだが、残念ながら古本でしか手に入らない。しかし、もし入手できるなら幸福な数日間をお約束する。
「文章読本」は今年亡くなった丸谷才一が書いた文章指南の本。同じタイトルの過去の本のどれよりも実用的で、かつ深い。 現代日本語の上手な書き方を案内しながら、現代日本語を批判し、さらに、現代日本を批判する名著。 丸谷才一と意見やソリがあわなくても、読んだ方がいい。
「自由はどこまで可能か」は、著者が「天才執事ジーヴス」シリーズの訳者森村たまきさんの夫君だと知ったのがきっかけで読んだのだが、 そんな理由で思いがけなく良書に当たることもある。
プラス1として、英文の小説。スタウトは有名なシャーロッキアンでもあるので、 自分の作品でホームズ vs. モリアーティ教授をやってみたかったのだろう。 それをおいても、この三作は傑作だと思う。ハヤカワ・ポケット・ミステリに翻訳を期待したい。
昨日あれだけ寝たのに、また寝坊。 あわてて頂き物の食パンを焼いてチーズとクランベリージャムと珈琲で簡単な朝食を済ませ、 昨夜作っておいた豚肉と白菜のタイ風炒めものを御飯に乗せただけのお弁当を持って出勤。
オフィスに到着して、好景気とクリスマスに沸く世間のニュースを読み、 銀座のクラブの挨拶周りに同伴しないかという E 社 N 社長からのお誘いにお断りメッセージを書き、 静かに地味に仕事を始める。またバブルがやってきたのだな。
夕方退社、オフィスの近くのスーパーで味噌とヨーグルトを買って帰る。 お風呂に入ってから、夕食の支度。 いかの姿揚げ(駄菓子)で安物の赤ワインを一杯だけ、 のち、鶏肉の照り焼き、納豆、白菜の浅漬、里芋と大根と葱の味噌汁。
相変わらず、いくらでも眠れる。このまま新年まで、いや春まで寝ていたい。 朝食兼昼食は、トースト二枚にチーズとクランベリージャム。赤ワインを一杯だけ。 さらに三時間も昼寝してしまった。 午後は「ポアロのクリスマス」(A.クリスティ著/村上啓夫訳/ハヤカワ・ミステリ文庫) を読んだり。 やはりクリスマスはクリスティ。
ここ数ヶ月ほど暇を見つけてクリスティの作品を読み返していたのだが、 やはり大したものだな、と感心することが多かった。 嵐の海の件 と同様の勘違いだったら申し訳ないのだが、 「人は少し驚かされることを好む」と言ったのは(多分)クリスティだったと思う。 この「少し」の塩梅の絶妙さがクリスティで、 大胆ながらどこまでも自然な伏線と独創的で巧妙なミスディレクションが、 ああそうだったか、当然気付いても良かったのに、という楽しい驚きを演出している。
読み返した中で特に感心した作品は以下の三つ。 どれも傑作だが「オリエント急行の殺人」や「アクロイド殺し」ほどには有名ではないので、意外と読んでいない方が多いのでは。 クリスマスの読書にいかがでしょう? 始めの二つ、「五匹の子豚」と「三幕の殺人/悲劇」がポアロもの、「予告殺人」がミス・マープルものなので、お好みにあわせてどうぞ。
なお、「三幕の殺人」と「三幕の悲劇」は同じ作品だが、ある事情で結末の部分が少し違う。 私見では「悲劇」の方が作品全体と犯人の動機に統一感があるものの、やや後味が悪いので、「殺人」の方がクリスマス向きかも知れない。
ああ良く寝た。今日も良い天気。寝坊したので、珈琲と蜜柑だけの簡単な朝食。
朝風呂のお供は 「ヤバい予測学」(E.シーゲル著/矢羽野薫訳/阪急コミュニケーションズ)。 いいかげんに「ヤバい」をこの手の本の邦題にするのはやめればいいのになあ。 よほど成功体験が忘れられないのだろう。 原題は "Predictive Analysis" なので、 タイトル「予測解析」では売れない、と判断したこと自体は非難できないが。 邦題にケチをつけたが本の内容は、個人の行動予測の科学、特にビジネス面への応用の現状を、 一般の人々に面白く読んでもらおうと頑張った真面目な入門書、という感じ。 事例表や付注も省略せず、全て訳してあることも好感が持てる。
昼食は親子丼と根菜色々の味噌汁。 昨夜あれだけ寝たのに、まだ昼寝。 親切な方から食料の救援物資が届いて、目が覚めた。ありがたし。これでしばらく生きていけます。 お三時はトーストにバタとクランベリージャム、珈琲。 午後は家事あれこれとその合間の読書。おだやかな日曜日だ。
夕食はピェンロー。シャブリを少々。鍋のあとは雑炊。万能葱を散らしただけのシンプル版。 夜は「ポアロのクリスマス」(A.クリスティ著/村上啓夫訳/ハヤカワ・ミステリ文庫) を読んだり。
今日はいい天気。 珈琲、ヨーグルト、蜜柑だけの軽い朝食のあと、 定例のデリバティブ研究部会自主ゼミに出かける。 無限分解可能分布の Levy 標準形。 ゼミ後のメンバでのランチは、クロアチア料理の店。
クロアチア料理がどういうものか、何のイメージも持っていなかったのだが、 私のメインはロールキャベツということになった。 キャベツは長期間塩漬にして発酵したものらしく、マッシュドポテトが添えられている。 これを「かき混ぜて」食べるのがクロアチア風だと言う。 どうかき混ぜるのか謎に思っていたところ、 食べていくと確かに、ロールキャベツの中身とスープとマッシュドポテトが混じりあって粥のような感じになった。 けっこう美味しい食べ方だ。ロールキャベツにマッシュドポテトを添えるのは、いいアイデアかも。
帰宅して、近所のスーパーで買い物をしたり。 お風呂に入ってから、夕食の支度。 メンチカツの残りに広島カープソース、じゃこ大根おろしに二杯酢、豚汁、御飯。
以前に書いた事情でディレクトリの奥に眠っていた、 ルイス・キャロルの翻訳のサルベージ作業と公開が完了したので、まとめ。 「枕頭問題集」はいくつか翻訳も出版されている比較的有名なパズル集だが、 特に確率の問題についてちゃんとした注釈がなく不満に思っていたこともあり、自分で全て訳してみた。 初稿レベルなので、暇を見つけては推敲する予定。 あとの四つは、数ページ程度の短い記事でおそらく全て本邦初訳。 それぞれにキャロルらしい文章だと思う。 なお、翻訳自体もその LaTeX ソースコード(GitHubにて公開)も、 CC BY に従う限り、自由にダウンロード、改変、商用を含む二次利用、etc. が可能。
この他に、
朝から冷たい雨が降り続く一日。 まだ雪になるほどの気温ではないようだ。 朝食とお弁当作りののち出勤。
外は雨なので、昼休憩はオフィスで "Champagne for One"(R.Stout著/Bantam Books) を読んだり。 アーチーがキッチンで料理人のフリッツと会話する場面は、私をいつも穏やかな気持ちにさせてくれる。
そう言えば、朝食の場面に必ず出てくる "griddle cake" という食べ物が何やら美味しそうだな、 と昔から思っていたのだが、近頃流行の「パンケーキ」がそれらしい。 しかし、フリッツが作るグリドルケーキは別物に違いないと思って、試したことはない。 ましてや、某ファーストフード店の「マ○ク・グリドル」なんて、 私の夢を汚すだけのものに違いないから、そもそも店の周囲に近付かないようにしている。 いずれ、私の本棚の "The Nero Wolfe Cookbook" (R.Stout and the editors of Viking Press 著/ Cumberland House) にあるレシピに従って、自分で作ってみなければ。
午後も、ボッケリーニなど聞きながら、単調にデータ取り。 夕方退社。 近所の肉屋でメンチカツと鯵フライを買って帰る。 帰宅してお風呂に入ってから夕食の支度。 御飯を炊いて、鯵フライ、玉葱と卵の炒めもの、根菜あれこれ具沢山の味噌汁。 食後に蜜柑を一つ。 メンチカツは明日の昼のソースカツ弁当にする計画で、ウスターソースをかけて置いておく。
それほど寒くない朝だが、天気予報によれば今日はこのまま気温が上がらず、東京は初雪の可能性もあるとのこと。 猫と一緒に朝食をとって出勤。徒歩にて出社。
今日は一番乗りらしく、誰もいないようなのに、何だか人の気配がする。 いつもメンバが寝ているようなところには誰も見当たらない。 しかし、こういう時には油断をしてはいけないのだ。 私の知り合いの逸話だが、真夜中のオフィスに自分一人きりだと思って、 脚が頭まで上がるくらいトシちゃんばりにキレキレのダンスをしながら「抱きしめてTONIGHT」を絶唱していたら、 向かいのビルの窓からこちらをじっと見ている人がいたということである。 背筋の凍るようなホラーだ。
油断せずに注意注意、と思っていたら、しばらく経って、 姉妹会社 P 社の CTO がオフィスの隅っこで丸くなって寝ているのに気付いた。 ホワイトボードのメモを見るに泊り込みのトラブルシューティングだったらしい。ベンチャーだなあ。
夕方退社。確かに冷える。糠雨が降っているが、まだ霙雪にもならず。 帰宅してお風呂に入ってから夕食の支度。 卵と玉葱の炒め物、白菜の浅漬、揚げ玉と里芋と大根と人参としめじの味噌汁、じゃこ御飯。
今日も調子はいまひとつながら、キャットフード代を稼ぐために働かなければ。 出勤して朝に細々した仕事を片付け、午後は定例のミーティング。 どうやら、 android アプリ の方は来週あたりにリリースできそうな感じ。 かなりクールに仕上りそう。 iOS の方は iTunes Connect のクリスマス休暇もあることだし、 冬休みを跨いでじっくり行くらしい。
夕方退社して帰宅。まずお風呂。 湯船の読書は「ラテン語のはなし」(逸身喜一郎著/大修館書店)。 ローマのカレンダーについて。 ラテン語は非常に簡潔でうまく出来た言語だなあ、と思うこともあれば、 理不尽なくらいわけがわからない部分もある。 例えば、言語のせいと言うよりは、文化のせいかも知れないが、日の数え方が謎だ。 カエサル以降は言わゆる「ユリウス暦」なので、今と大差ないのかなと思いきや、奇妙奇天烈。 各月に三つの基準日があって、各日はその基準日の何日前かで表すのである。
その基準日とは、月の最初の日 "Kalendae"と、 その "Kalendae" から数えて十三日めあるいは十五日めの日 "Idus" (三月、五月、七月、十月だけは十五日めで、他の月は十三日め)、 その "Idus" から数えて九日前(九日後ではない)の日 "Nonae" だ。 なお、その日「から数えて」の部分に注意されたい。 ギリシャ時代もそうだったらしいが、ローマ時代でも数を数えるときには、 両端を含めて数えたので、現代とは「X日目」「X日後」が一日ずれている。 そして、この三つの基準日から何日前かで、各日を表す。 三つ基準日を設けることはまあいいとしても、どうして月を三等分しないで、 おかしな、しかも月によって微妙に違う三日なのか、 また、どうして基準日の後ではなくて「前」に遡って表すのか、わけがわからない。 本当に古代ローマ人はこのカレンダーで問題なく暮らせていたのか。
夕食のメインは肉豆腐。冬はあたたかい汁物に走りがち。
月曜日は低調だなあ…… 何とか朝食とお弁当を作り、徒歩にて出社。 低調なりに何とか作業をこなす。 昼休憩に新刊書店で「四季の味」の冬号を買った。 夕方退社。
帰宅してお風呂に入ってから、夕食の支度。 湯豆腐で冷酒を五勺ほど。湯豆腐はいいね。 御飯が炊けたところで、白菜の浅漬に豚汁。 豚汁もまたよし。 食後に蜜柑を一つ、チョコレートケーキ、薄いインスタントコーヒー。
夜は "Champagne for One"(R.Stout著/Bantam Books) を読んだり。
ああ良く寝た。遅く起きたので、朝食は珈琲とヨーグルトだけ。 洗濯をしてから、朝風呂に入る。 クロスワードパズルなど解いていたら、もう昼時。 昼食は、たらこスパゲティを作り、白ワインを一杯だけ。蜜柑を一つ。 食後にしばらく昼寝。 午後は家事のあれこれや、その合間に「バベル−17」(S.R.ディレイニー著/阿部宏之訳/ハヤカワ文庫SF)を読んだり。
「わたし」と「あなた」の語を持たない他者に、その言葉を教えようとする有名な場面。 リドラは、「わたし」をあまり使わない言語には心当たりがある、と言うが、その中に日本語やラテン語も含まれているのだろうか。 日本語では文化的背景からか、「わたしが」といちいち明言しない。 例えば、今日のこのブログには一度も一人称が使われていない。 ラテン語では動詞変化に人称情報が含まれているので、主語の「わたし」は必要がない。 例えば、"cogito, ergo sum." の "cogito" は一語で「私は思う」、"sum" は「私は存在する」。 「バベル−17」で言及される面白い言語では、体温に依存する三通りの一人称がある。 体温によって生殖できる条件が違うので、体温が重要なのである。 おかしな例に思えるが考えてみれば、一人称を明示するときには「私」、「僕」、「俺」などと、 自分と相手との社会的関係を示す必要がある日本語と大差ないかも知れない。
夕食はまた鍋。今日は鶏の水炊きを自家製のポン酢と柚子胡椒で。また白ワインを少々。鍋のあとは雑炊。 食後にいただきもののチョコレートケーキとインスタントコーヒー。 今日もいい一日だったなあ。 明日からはもう十二月の後半なので、気分だけはもう冬休み。
昨夜は食べ過ぎたので、珈琲とヨーグルトだけの朝食。 朝風呂に入って、湯船で 「バベル−17」(S.R.ディレイニー著/阿部宏之訳/ハヤカワ文庫SF) を読む。 昼食は葱とじゃこ入りの卵焼きの残り、目刺し、長芋のとろろ御飯、大根の千切りの味噌汁。 午後も「バベル−17」を読んだりして、閑暇の内に過す。
謎の言語の探索に向かう宇宙船「ランボー号」が最初のトラブルに巻き込まれ、 天才的な暗号解読者でもある詩人リドラ・ウォンの閃きで切り抜けるところまで。 地球の周囲を周っている宇宙船の位置が分からなくなるのだが、 宇宙船中心の無重力室で複数のビー玉を浮遊させて、その軌道から地球の方向を知る。 リドラは侵略者たちの謎の言語「バベル−17」を解読しつつあり、 この言語では「大円」という語そのものに「互いに交差する最大の円」という情報が含まれているため、 ビー玉のアイデアを思いつけた(と言うよりも、直ちに「知る」ことができた)のである。 究極の普遍言語「バベル−17」の片鱗が示される印象的なエピソード。
お風呂に入ってから夕食の支度。またピェンロー。鍋のあとは雑炊。シャブリを少々。
ルイス・キャロルの「純正なる選挙」の翻訳を公開します( pdf ファイルへのリンク)。
"St.James's Gazette" 誌に投稿した選挙批判の文章。 ここでキャロルは、勝馬に乗りたいという人々の欲望や付和雷同を導くような選挙方式も、贈収賄と同じく不正であると糾弾し、 盲目的な集団の情熱ではなく個々人の力への信頼をうたっている。
キャロルが公正な選挙方法のアルゴリズムを考案したことは比較的に良く知られているが、 このような文章からして、数学とは関係なく政治そのものに強い興味を持っていたことが分かる。 数学パズル、童話、カメラ、少女趣味、浮世離れした変人、といったイメージとは別に、 キャロル(C.L.ドジソン)にはシリアスな社会人としての顔もあったのだと思う。
今日も良く晴れて寒い。 いつもの朝食のあと、適当にお弁当を詰めて出勤。 会社に健康診断の結果が届いていた。目出たくオールA。 これも私の日頃の行いが良いからである。 今後も今まで通りに精進していこう。
夕方退社して、帰宅。 某 P 社からまた新たに預かってきたデータ収集用のデバイスを繋ぐ。 我が家では、P 社の試作品の試験のため、電力とか電波とか赤外線とか色んな情報が記録されている。 若干、飼育箱の中のモルモット感。
お風呂に入ってから夕食の支度。 目刺しを焙って、白ワインを一杯だけ。 今夜のメインは鍋焼饂飩。冬は饂飩だな。
今日もけっこう寒い。今夜は豚汁にしよう……と思いながら、徒歩出勤。
午前、午後と粛々とお仕事。 昼休みに喫茶店で「ビギナーズ・クラシックス 平家物語」(角川書店編/角川ソフィア文庫)より那須与一の下りを読む。 壇ノ浦まで追い詰められてもまだこんな優雅なことをしてるんだから、平家は滅びて当然と言えよう。 いい気味だと思いつつ、苦いブレンドの珈琲で一服。 おごれる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。 夕方退社。
帰宅してお風呂に入ってから夕食の支度。 朝から計画していた通り、具沢山の豚汁を作る。 冬は豚汁だ。豚汁はいいね。 他にしらす大根おろし、卵かけ御飯。 食後にみかんを一つ。
朝から雨。 久しぶりに、かなり強く降っている。 朝食をとって、昨日の夕飯のおかずを弁当に詰めて出勤。 午後は定例のミーティング。 夕方退社。雨はやんで、冬らしい木枯らしが吹いている。
帰宅してお風呂に入って、湯船で 「ラテン語のはなし」(逸身喜一郎著/大修館書店)。形容詞の比較級。 お風呂上がりに、昨日の煮大根の残りと白ワインを一杯で一服してのち、 夕食の支度。 今日のメインは豚肉生姜焼きの玉葱入り。他に白菜の浅漬、とろろ汁。
ああ良く寝た。毎日のことだけれども。 休みなので珈琲、ヨーグルト、蜜柑だけの軽い朝食。 朝風呂に入って、午前中は読書など。 「ビギナーズ・クラシックス日本の古典 平家物語」(角川書店編/角川ソフィア文庫)。 巻第九より、木曾の最期の事、敦盛最期の事、など。
昼食は鶏砂肝の漬け焼き、たらこスパゲティ、白ワインを一杯だけ。 食後にしばらく昼寝。ああ、また今日も一日の半分を寝て過してしまった。 インタントコーヒーとパン・オ・ショコラで一服してから、 午後は家事あれこれ。
夕食は、白菜と豚肉の炒めもの、鶏肝の山椒煮、長芋のとろろかけ御飯、蜆の味噌汁。
昨日までに比べて急に気温が下がった。 珈琲とヨーグルトだけの軽い朝食のあと、 定例のデリバティブ研究部会自主ゼミに出かける。 無限分解可能分布の性質など。 参加メンバでのランチは劇的に麻辣な麻婆豆腐。 今日は特別に、午後も引き続いて、実務家のゲストを迎えてお話を聞く。
帰宅して、お風呂。 湯船の読書は「ビギナーズ・クラシックス日本の古典 平家物語」(角川書店編/角川ソフィア文庫)。 ソフィア文庫には注釈付き原書の「平家物語 (上・下)」もあるが、 こちらの入門版は「平家物語」全体が各巻ごとに要約されたもの。 要約と言っても、名場面では全ふりがな付きの原文と現代文訳になっているし、 色々と解説もついていて、お買い得な一冊。
夕食はピェンロー。白ワインを少々。あとは雑炊に。 寒い日は鍋だなあ。
ルイス・キャロルこと C.L.ドジソンの「マトリクス暗号」の翻訳を公開します( pdf ファイルへのリンク)。
ルイス・キャロルが日記に書き残していた二つの暗号方式の後者。 本人は「前のものよりずっと良い」と書いていて、この発明にかなり自信を持っていたようだ。 詳細については翻訳を参照していただきたいが、アルゴリズムの本体自体は簡単で以下のような感じ。
まず、A から Z まで 5 行 5 列に順番に並べた表(マトリクス)を考える。 これは覚え易いように規則正しい表でよく、特に秘密ではない。 一方、暗号化と復号化に用いる鍵になるパスワードを決めておく。 そして、通信したい文章を一文字ずつ、このパスワードの文字を一つずつ順に使って、 二つの数字のペアに置き換えていく。 この置き換え方がキャロルの工夫で、 表の中で元の文字とパスワードの文字がどういう位置関係にあるか (例えば、2 列右、1 行下にあるなら "2.1" など)の情報を暗号文とする。
なお、この方式は専門的に言えば、 単純な「換字式暗号」を複数の表に拡張した「多表式暗号」に過ぎないので、 比較的簡単に破ることができる。 たまたま同じ文字が同じ鍵で暗号化されて同じ文字になった部分の間隔を調べると、 その公約数からパスワードの長さが判明し、換字式暗号に帰着してしまう。 あとは「踊る人形」のシャーロック・ホームズの要領で、 頻度分析(例えば英文では "E" の文字が一番多い、など)によって解けてしまう。
今日も比較的温かい。 徒歩にて出勤。
今朝のビッグニュースは、 Google が S 社を買収するという件。 弊社は S 社と姉妹会社的な関係なので、 こちらはεの可能性もないのに 「ねねねええ、もし Google が M 社を買収したいって言ってきたらど、どど、どうする?」 みたいな会話をする。 どうするも何もないようなものだが、 社内メイルが英語になったらイヤ、みたいな素朴なレベルで盛り上がる。 さらに、 同じく姉妹的関係にある別の会社の CEO がオフィスに来たので、「もしもだけれどもど、どどうする?」と訊いたり。
昼休憩に新刊書店で「暮しの手帖」の冬号を買う。 夕方退社。帰宅してお風呂に入ってから夕食の支度。鶏鍋。白ワインを一杯だけ。 鍋のあとは雑炊。
今日も冬にしては比較的温かいかなあ。 出勤して、粛々とお仕事。 昼食は近所の中華料理屋にて。 夕方退社して、帰り道で散髪をして帰る。
帰宅してお風呂。湯船で「ラテン語のはなし」(逸身喜一郎著/大修館書店) を読む。 ラテン語の代名詞、特に人称代名詞は奇々怪々で、どうしてこんなことになっちゃっているのか。
一人称と二人称の人称代名詞はあるが三人称はない、とか、 しかし三人称には再帰代名詞(自分自身を示す)がある、とか、 人称代名詞に属格(所有格)はあるが所有の意味ではないので、 所有を示すには所有形容詞という形容詞を使う、とか、 ところがこれにも三人称はなく再帰所有形容詞になっている、 とか、わけがわからない。 こういう言語の基本的なところの体系は母語ではあまりに自明なのだが、 きっと日本語も外から見れば奇妙奇天烈なのだろう。
夕食の支度。 湯豆腐に白菜を入れて、自家製のポン酢で。贋ビールを一杯だけ。 他に、鶏砂肝の漬け焼きなど。
今日もいい天気だ。オフィスまで歩く。 午後すぐに定例ミーティングがあったので、 昼休憩の散歩は休んで、オフィスで 「平家物語」(佐藤謙三校注/角川ソフィア文庫) より、巻一の「妓王の事」のあたりを読む。
さすがに、意味が良く分からない箇所があちこちあるのだが、 文章の調子が良いのと、 やはり日本人としてこういう無常観がしっくりくるのか、 しみじみ感動しながらすらすら読めてしまう。 驕れる者久しからず、いまに見ていろ Gxxxsy め…… とか思っているうちにミーティングの時間。
年末までのあれこれのスケジュールも大体決まり、 いよいよ今年も終わりつつあるなあ、と思う。 ミーティングのあと、 公式ブログを書いて退社。 しばらく平日は毎日書いてやろうと思っているのだが、あくまで努力目標。
帰宅して、お風呂に入ってから夕食の支度。 塩鯖を焼いて、大根おろし、白菜の浅漬、韮の味噌汁、御飯。 食後に蜜柑を一つ。
十二月にしてはあたたかい朝。 もうちょっとぴりっとしていただきたいものだ。 いつもの朝食とお弁当作りのあと徒歩にて出勤。 昼休憩に、ようやく改装が終わった三省堂で 「平家物語 (上・下)」(佐藤謙三校注/角川ソフィア文庫)を買った。 夕方退社。
お風呂に入ってから夕食の支度。 鮪の角煮で赤ワインを一杯だけ。 ニラ玉丼、もやしのサラダ、大根の千切りの味噌汁。食後に蜜柑を一つ。
会社で 公式 blog をやろうよという話になって、じゃあまず私から、と書き始めてはみたけれど、 何をどう書けばいいのか手探りの状況。 そもそも公式ブログとは何なのかが、つかめていない。 どのくらいの頻度で書けるかなあ。
昨夜は 8 時過ぎに眠くなってしまい、次に目が覚めたら朝だった。 珈琲、ヨーグルトのあと、 しらす、たらこ、蕪の糠漬、御飯、長葱の味噌汁の朝食。 朝風呂に入って、ぼうっとしているうちに昼。 もう 12 月か、一年は早いなあ。 もう師走、言い換えれば、宗教関係者がこの世でお金を稼ぎまくる季節だ。
昼食は鍋焼き饂飩。 食後、消化のためにちょっと横になろうかな、 と思ったら、二時間も昼寝してしまった。 午後は読書と家事など。 鶏の砂肝を葱と一緒に漬けてから焼き、レバーの方は山椒の風味で赤ワイン煮にし、 だしをとった昆布の残りを佃煮にする。
再びお風呂に入ってから、夕食の支度。 ニラ玉にカープ・ソース、もやしと鶏皮の炒めもの、白菜の浅漬、大根の千切りの味噌汁、御飯。 食後に林檎を一つ。
相変わらずいくらでも眠れる。冬眠したい。 珈琲とヨーグルトだけの簡単な朝食を済ませたあと、 デリバティブ研究部会の自主ゼミに出かける。 しかし、たまたま急遽休んだメンバが多く、 参加者が三人だけだったので、 トルコ土産のお菓子をいただきつつ疑問点をちょっと議論したくらいで、すぐに解散。
午前中に帰宅。朝風呂に入ってから、昼食の支度。 蕪の葉としらすとアンチョビのアーリオ・オーリオ。白ワインを一杯だけ。 食後に蜜柑を一つ。 午後は読書をしたり、数独をしたりと、無為に過していたら夕方。 再度お風呂に入って、湯船で 「文章読本」(丸谷才一著/中公文庫)を読む。
夕食の支度。鶏もつ鍋。 辛味噌ベースのたれを鶏もつに揉み込んでおいて、 土鍋に野菜を盛った上にもつを重ね、野菜から出た水分で蒸し焼きする感じで煮る。 最後に韮を入れて完成。赤ワインを一杯だけ。 あとは饂飩。卵を割り落として、かき混ぜ食す。
ルイス・キャロルことC.L.ドジソンの 「何かある?何もない?」の翻訳を公開します( pdf ファイルへのリンク)。
1880 年代に "Educational Times" という雑誌の問題と回答コーナーで、 「線分上にでたらめに一点を選ぶとき、それが事前に指定した点と一致する確率は?」 という問題に対する議論が起こったときの、ルイス・キャロルの論考。 「答はゼロ」派と「答はある種の無限小」派の論争になり、キャロルは後者を支持した。
興味深いことに、キャロルは「答はゼロ」派を論破するために、 でたらめに選んだ一点が有理数である確率と無理数である確率を問うた。 つまり、指定した一点に当たる確率がゼロなら、 ばらばらの点を集めた有理数の集合だって、無理数の集合だってゼロだろう。 しかし、有理数か無理数の必ずどちらかなのだから確率は足して 1 のはずで、矛盾。 よって答はゼロではなくて、何か「ある」のだ、と主張した。 もちろん、このロジックは誤りだが、着眼点は鋭い。
現代の我々は測度論と公理的確率論を知っているので、 そもそも「でたらめに一点を選ぶ」ことの意味がきちんと定義されなければ問いにも意味がないこと、 また、一様な確率を設定した場合にはその答はゼロであり、 さらに、有理数になる確率もゼロ、しかし無理数になる確率は 1 であることを理解している。 しかし、測度論成立以前の当時の数学者たちは、 この問いにはまだ数学的な枠組みを与えられないことは理解していただろうが、 どうすれば点集合に矛盾なく自然な「長さ」を与えることができるのか、 誰も知らなかったのである。 "Educational Times" は学術誌ではないとは言え、十分にハイブロウな雑誌であり、 現代から一見して思うほどには、こういった議論が滑稽だったわけではないと思う。
帰宅してお風呂。湯船の読書は「ラテン語のはなし」(逸身喜一郎著/大修館書店)。 昔、華厳の滝から投身自殺した藤村操という人がいて、 「巌頭之感」なる一種の遺書を立木を削って残した。 そこに「ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ」 という一節がある。 私はこれまでずっと、この「ホレーショの哲学」とは「ハムレット」に登場するホレーショの人生観である、 と思ってきた。
しかし、「ラテン語のはなし」によれば、この解釈は決定的なものではないと言う。 確かに、「ハムレット」のホレーショの哲学とは何なのか、良く分からない。 そして、この「ホレーショ」とはホラーティウスではないか、というのが著者の説である。 さらにその「哲学」とは、ホラーティウス「書簡詩」にある "nil admirari" (「何事にも驚かず」)の一句のことではないか、 と主張している。 この一句は森鴎外が「舞姫」の中で「一種の、『ニル、アドミラリイ』の気象」 と引用しており、 実は、藤村操は「舞姫」を読んだだけでホラーティウスを知ったつもりになっていたのでは、と。 これは非常に鋭い推理なのではないだろうか。 少なくとも「ハムレット」のホレーショ説よりはずっと筋が通っている気がする。
夕食の支度。 焼売の皮がまだまだ余っているので、またしても焼売。 毎日、蒸し器が活躍。焼売を包むのも上手になってきたような。 蒸し立ての焼売に黒酢と辛子。贋ビールを一杯だけ。 のち、鮪の角煮、菠薐草のひたし、大根の千切りの味噌汁、御飯。 食後に蜜柑を一つ。
昨日に比べて随分と気温が下がった。 気温が低いのは一向に構わないが、寒暖差が激しいのは身体にこたえるお年頃。 いつもの朝食のあと、徒歩にて出勤。 水曜日なので昼は外食。インドカレー屋でカルマを浄化する。 夕方退社。
帰り道のスーパーで鶏挽肉を買う。 この庶民的なスーパーでは最近、ビニール袋が有料になった。 小さいのが一枚 3 円、大きいのが 5 円。 その店のポスターが言うには、環境保護のためらしい。
帰宅して、お風呂のち、夕食の支度。 今日のメインは白菜と鶏挽肉の焼売。焼売の皮がまだまだ余っているので。 他に菠薐草のひたし、しらす大根おろし、長葱のスープ、御飯。 食後に蜜柑を一つ。
どうやら風邪はひかなかったようだ。 いつもの朝食のあと、お弁当を作って出勤。 オフィスまで歩いて行く。今朝はかなり温かい。
夕方退社。帰宅して、お風呂に入ってから夕食の支度。 親子丼と言えば、玉葱を一切使わない伊丹流を信奉してきたのだが、 正直に言うと、やはり玉葱の甘みは捨て難い。 蕎麦通が死ぬ間際に、ああ一度でいいから思い切りつゆをつけて蕎麦を食いたかった、と言い残したという話もあることだし。
そんなわけで、今日は逆に、思い切り玉葱を大量に使ってみた。 玉葱を鶏肉と少なめのたれで蒸し焼き風に煮て、甘みを十分に引き出してから、溶き卵で半熟にとじる。 もみ海苔をして、菠薐草のひたしの小鉢を添える。 のち、チーズで赤ワインを一杯だけ。林檎を一つ。
午後から健康診断なので、朝食は珈琲、ヨーグルト、果物だけ。 出勤して午前中はいつも通りに過し、午後は健康診断へ行く。 検査自体は合計10分もあれば終わると思うのだが、 待ち時間が長く、二時間以上かかってしまった。
どうしてうまく最適化できないのだろうか、 情報科学の専門家か、スターバックスの店員にちょっとアドバイスしてもらえば、 数倍の効率が達成されるに違いない、と昔の私ならば思っていたところだ。 しかし、われ童子の時は思うことも童子のごとく、論ずることも童子のごとくなりしが、 人となりては童子のことを棄てたり。 若者はどんなに賢くても自分中心にしか考えられないので、 自分が関心を持つ目的関数が最適化されていないことを嘆くのだが、 世界の目的関数は大域的に定義されているのである。 例えば、健康保険システムと健康診断サーヴィスの全体からすれば、 被験者の待ち時間はさして重要な因子ではない。
もとより少ない血を抜かれて、ふらふらしながら、健診センターを出る。 夕食時まで我慢しようとも思ったが、 あまりの空腹に堪え兼ねて、近くのカレーライスのチェーン店で遅い昼食。 もう外も暗くなり始めているので、家にまっすぐ帰る。
帰宅して、まずお風呂。読書などして時間を遅らせてから夕食。 健診センターでうつされたのか、背中がぞくぞくするし、鼻の奥もちょっと変だし、 いよいよ風邪かな、と思いつつ、豚肉と菠薐草の常夜鍋。そのあとは饂飩。 明日になれば治っていそうな気もしてきた。
ルイス・キャロルことC.L.ドジソンの未発表の草稿 「円積問題についての単純な事実」第一章の翻訳を公開します (pdf ファイルへのリンク)。
かつて有名な数学者のもとには、角三等分問題や円積問題を解決した、というアマチュアからの手紙が良く届いたそうだ。 この二つともギリシア時代から知られている作図問題だが、現代ではどちらも不可能であることが証明されている。 しかし、よほど数学ファンの心を刺激する問題なのだろう、 こういう人々からの熱心なアプローチに苦労した数学者は多いらしく、 角の三等分に挑戦し続ける人たちを指す「三等分家」("Trisectors")という言葉まである。
与えられた円と同じ面積を持つ正方形を定規とコンパスで作図せよ、 という「円積問題」は三等分問題よりはやや知名度が低いものの、 やはり、多くの数学者がこの問題と、この問題に取り憑かれた人々に、悩まされた。 ドジソン氏もそうだったらしく、 彼はこういう人々を「円正方形化人」("Circle-Squarers")と呼んで、 彼等をまとめて撃退するために本を書こうとしていた。 それが、この「円積問題についての単純な事実」である。 しかし残念ながら出版には至らず、部分的な草稿しか残されていない。 その第一章は序文にあたる内容で、 書かれたタイミングからしても歴史的興味があるかと思い、ここに翻訳してみた。
ルイス・キャロルがどのように円正方形化人たちを説得しようとしていたのか、 その戦略については、翻訳文書をごらんあれ。 これで引き下がるような円正方形化人たちではない、と私は思うのだが……
ああ良く寝た。朝食は軽く、珈琲と林檎だけ。 朝風呂。湯船の読書は 「文章読本」(丸谷才一著/中公文庫)。
早めの昼食。たらこスパゲティにもみ海苔。白ワインを一杯だけ。 食後に蜜柑を一つ。 午後は食材の買い出しに行き、 そのあとは「緑のカプセルの謎」(D.カー著/宇野利泰訳/創元推理文庫) を読んだりしてのんびり過す。
歳老いて良いことの一つは、昔読んだ古典的名作の内容をすっかり忘れていて、 再び新鮮な気持ちで楽しめるということだ。 例えば、流石に「アクロイド殺し」とか「オリエント急行の殺人」は覚えているが、 「そして誰もいなくなった」なら既に十分忘れている程度。
昼間は温かかったが、夕方になって冷えてきた。 鍋日和だ。夕食は今期初のピエンローにする。白ワインを少々。 鍋の後は雑炊。
ようやく週末に辿り着いた。 夕方退社して、近所の洋食屋で、黒ビールを一杯とステーキの夕食。 帰宅して、まずお風呂。 湯船でラテン語に親しむ。
夜は某 P 社から預かった、開発中のデバイスをテストしたり、 「緑のカプセルの謎」(D.カー著/宇野利泰訳/創元推理文庫)を読んだり。
今日も良い天気だ。 朝食のあと、昨日の夕食の残りを使って焼売弁当を作り、出勤。 昼休憩はいつもの神保町散歩。 三省堂が改修中のため、日毎に本の場所が変わっていて、若干ストレス。 喩えて言えば、散歩道の風景が毎日ドラスティックに変わっているような。 今日は角川ソフィア文庫の場所を探し周ってしまった。 夕方退社して、帰宅。
お風呂で「ラテン語のはなし」(逸身喜一郎著/大修館書店)を一章分読んでから、夕食の支度。 湯豆腐と煮大根で白ワインを少々。 のち、焼売の残り、赤蕪の漬物、御飯、糸若布の味噌汁。 食後に林檎を一つ。
あまりに良く眠れ過ぎる。昨夜など 8 時台に寝てしまった。 実は人間も冬眠できるんじゃないだろうか。 いつもの朝食のあと、徒歩にて出社。 水曜日なので昼食は近所のカレー屋にて。 夕方退社。
帰宅してお風呂に入ってから夕食の支度。 今日のメイン、焼売を仕込む。 流石に面倒なので皮は既製品だけれども、蒸し立ての焼売は美味しい。 そして冷えた贋ビール。
風邪を引きそうで引かない。 今日も、何だか背中がぞくぞくするなあ、鼻の奥も変な感じだし、 これは風邪が来たな、とずっと思っていたのだが、 集中して焼売を一つ一つ作っていたら、いつの間にか気にならなくなっていた。 この辺りで一週間くらい風邪で寝込みたいのだがなあ……
またちょっと気温が下がった感じ。 いつもの朝食とお弁当作りのあと出勤。 今日も粛々とお仕事。 午後は定例のミーティング。 冬休みの予定の話題も出て、いよいよ年の瀬である。 夕方退社。
帰宅して、お風呂に入ってから夕食の支度。 今日のメインは麻婆豆腐。ビールを一杯だけ。
今日も良い天気。朝食のあと弁当を作り、徒歩にて出勤。 いつもそうだが月曜日はさらに低調。 昼休憩に古書店で "Champagne for One" (R.Stout著/ Bantam Books) などを買う。夕方退社。
帰宅。お風呂に入って、いつものように湯船でラテン語に親しむ。 湯上がりに、酢大豆で冷酒を五勺ほど飲みながら、 昆布を敷いた大根が土鍋で煮えるのを待つ。 豆腐を入れ、酒と塩を少々。 椎茸醤油を垂らしつつ食す。大根と豆腐があれば幸せ。 米が炊き上がったところで、御飯にしらすを盛り、自家製ポン酢をかけて。 他に、赤蕪の漬物、長葱の味噌汁。食後に蜜柑を一つ。
夜は「三幕の殺人」(A.クリスティ著/長野きよみ訳/ハヤカワ文庫)など読みつつ、安静に過す。
今日も良い天気。 珈琲、ヨーグルト、蜜柑一つの軽い朝食のあと、朝風呂。 湯船の読書は、 「自発的隷従論」(ラ・ボエシ著/山上浩嗣訳/ちくま学芸文庫)。読了。 付録として所収されたシモーヌ・ヴェイユの短い論考に、 「数は力だ」というのは真実ではなく、実は、数は弱さであり、 民衆は自分たちが多数であるのにもかかわらず従うのでなく、多数であるがゆえに従うのだ、 という指摘があって、なかなか恐しい直感であるなあ、と思う。
昼食はアンチョビとしらすのアーリオ・オーリオ、白ワインを一杯だけ。 チーズを少々、蜜柑を一つ。 食後、二時間ほど昼寝。 午後は家事のあれこれ。
夕食の支度。めばちまぐろの赤身のヅケを焼いて丼飯にのせ、もみ海苔をして、粉山椒をふる。 大根の浅漬、大根おろしに二杯酢、長葱の味噌汁。食後に林檎を一つ。
今日は良い天気だ。 珈琲とヨーグルトだけの朝食。洗濯をしてから、朝風呂に入る。 散歩がてら食材の買い出し。 昼食には、昨夜の鍋のスープの残りを使って、雑炊を作る。他に、大根の浅漬、酢大豆。 贋ビールを一杯だけ。しばらく昼寝。
夕食の支度。冬の季語、「ねぎま」(葱鮪鍋)。 本来は大トロを使うらしいが、その昔は捨てられるほど安価だったからで、 今では脂ののった大トロを長葱の上にたっぷりのせて……と言うわけには行かない。 安売りしていたメバチの赤身で。 鮪の脂で長葱を味わうという趣きは変わってしまうが、これはこれでよし。
昨夜、「意志と表象としての世界」(ショーペンハウアー著/西尾幹二訳/中公クラシックス) を読んでいたら、ルクレティウスの「物の本性について」から、 「荒れ狂う風が海原を鞭打つとき、海辺にいて、/ 岸に立って、船人が難儀しているさまを眺めるのは、楽しいことだ」 という一節が引用されていて、愕然とした。
と言うのも、私はこの「嵐の日に陸から海の船を見るのは楽しい」という言葉は、 アガサ・クリスティの言葉だと、三十年間くらい、思い込んでいたのである。 ひょっとして、私はどこかでルクレティウスとクリスティを勘違いしたのではないか。 全然違う人物だが、名前だけは似ている。 もちろん、クリスティがルクレティウスを引用した、ということはありうるので、 必ずしも私の勘違いとは断定できないが、とりあえずこの言葉の原典は明らかになった。 しかし、少し残念でもある。 この言葉を他ならぬクリスティが言った、というところを私は面白く感じて、しきりに引用していたのだが、 ルクレティウスではあまりに当たり前ではないか。
朝は比較的に温かかったが、午後からの雨で気温も上がらず、冷える一日。 夕方退社。週末の夜は、料理支度を休むために外食で済ませることが多いのだが、 冷たい雨でそういう気にもなれず、まっすぐ帰る。
帰宅して、まずお風呂。 湯船では「ラテン語のはなし」(逸身喜一郎著/大修館書店)。 夕食は、子母沢流の豚肉のうどんすき。色合いが寂しいので、実家産の春菊の残りも入れる。 つけ汁は大根おろしと自家製ポン酢で。白ワインを一杯だけ。
猫が変になついてくるところからして、今朝は寒いのだろう。 朝食とお弁当作り。 今日のお弁当は、実家から送ってもらった鰻の蒲焼を使って櫃まぶし。 お昼が楽しみだなあ、と思いつつ、徒歩にて出社。
夕方退社。帰宅して、お風呂に入ってから夕食の支度。 水菜のサラダ、玉葱の薄切りと細葱と生姜のスープ、レトルトのカレーライス。食後に蜜柑を一つ。
「かぜの科学」(J.アッカーマン著/鍛原多惠子訳/早川書房)の付録に、 風邪を引いたときに寝床で読む本の案内があった。 これはなかなか新機軸である。 そこでは、オースティンの「高慢と偏見」、トロロープの "Palliser" シリーズらしき六巻、 「不思議の国のアリス」、マッコール=スミスのボツワナを舞台にした人気推理小説のシリーズ、などが挙がっていた。 いかにもイギリス的で面白い。
今、風邪をひいて一週間ほど寝込むことになったら、私なら何を読むだろう。 「高慢と偏見」はちょっといい感じだが、そこは日本人らしく「細雪」はどうだろう。 いや、それなら谷崎潤一郎訳で「源氏物語」という手もある。 目先を変えて、ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」なんかも、風邪でぼんやりした頭に良さそうだし、長さも丁度良い。 気楽な短編をどんどん読むという手もある。例えば、久生十蘭の顎十郎捕物帳。 捕物帳の線は妙案かも知れない。ああ、早く風邪を引かないかなあ。 いや、この喉がいがらっぽい感じは、風邪じゃないだろうか。
どうしてこんなに眠れるかなあ。 今日もかなり寒いが、コートを着るほどではない。 いつもの朝食を済ませ、徒歩にて出勤。 水曜日なので昼食は外食。少し歩いて、独特のタイカレー屋へ。 以前はタイの村の名前だったのだが、いつの間にか店名が変わっていた。 夕方退社。
帰宅して、まずお風呂。湯上がりに、おでんの残りで白ワインを一杯だけ。 その間に炊き上がった御飯で、卵かけ御飯、五目豆、小松菜の味噌汁。
夜の読書は「かぜの科学」(J.アッカーマン著/鍛原多惠子訳/早川書房)。 しばらく前からオフィスでも風邪が流行中であることだし、と思って。 この本によれば、我々は一生涯で二百回ほど風邪を引く。 風邪にかかっている期間をまとめると、我々は風邪のせいで 「およそ一生のうち五年間にわたって鼻づまり、咳、頭痛、喉の痛みに襲われ、 おおまかに言って一年間床につく計算になる」とのことである。 そう言われてみると、大損害なような気もする。
この本は大変におもしろく、また、風邪についての最新の知見が沢山得られるのだが、 風邪の予防と治療については、現状では決定的な方法はない、という結論である。 現実的対策としてはせいぜい、良く手を洗う、顔に触らない、子供に近付かない、 などが守れれば(多分、守れないが)、風邪にかかり難いだろう、くらい。 しかし、この本の充実した付録「風邪の慰みに」には、 風邪をひいた時にどうすればよいか、様々な角度からの提言がぎっしり詰まっていて、 ほとんど「風邪を引いたとき完全マニュアル」の感がある。 「慰み」と書いているように、この情報は確実な治療方法ではないのだが、 読んでいるだけでも楽しいので、きっと風邪に何らかの意味で効くことだろう。 特に、最後の「真の療法 — レシピと推薦図書」の一節は、 たまに風邪を引くのもいいものだな、と思わせてくれる。
冬らしくなってきた。朝、窓を開けると、居間が冷気で洗われるのが爽快だ。 昨日から急に下がった気温のせいだろうか、 昨夜は八時頃に既に眠くなってしまい、今朝まで十一時間以上ぐっすり熟睡してしまった。 おそらく身体が冬眠しようとしているのではないか。 このまま冬眠したいのは山々なのだが、キャットフード代や私の味噌代を稼がねばならないので、やむなく人里に下りて行く。
夕方退社。 帰宅してお風呂。湯船では「ラテン語のはなし」(逸身喜一郎著/大修館書店)で、ラテン語の勉強。 夕食は出来合いの餃子の残り、五目豆、大根の浅漬、小松菜の味噌汁、御飯。
月曜日は不調。やはり労働者には週に三日の休養が必要なのでは。 いつもの納豆定食の朝食のあと、お弁当を適当に詰めて、徒歩にて出勤。 昼休憩に新刊書店で「自発的隷従論」(ド・ラ・ボエシ著/山上浩嗣訳/ちくま学芸文庫) を買った。夕方退社。 午後少し雨が降ったせいで気温も下がり、そこに強い風が吹きつけている。 これは冬が来たらしいぞ、と今年初めて思った。
帰宅してまずお風呂。 湯船では「ラテン語のはなし」(逸身喜一郎著/大修館書店)を読む。 夕食の支度。こういう冬らしい日にはやはり鍋料理だ。 というわけで、実家から送られてきた菜っ葉類で、餃子鍋。 自家製のポン酢で。この春菊は庭のあのあたりでとれたのだろうなあ、などと思いながら食す。 春菊は春といいつつ旬が冬なのはこれ如何に。それは花の咲くのが春だからなのである。 贋ビールを一杯だけ。 鍋のあとは、残りのスープを塩胡椒で味を整え、御飯にかけて葱を散らす。
今夜はかなり冷えそうなので、猫にホットカーペットを敷いてやる。 本来は人間が椅子に置いて使う電気座布団(?)なのだが、 私は寒さに強い方なので猫専用になっている。 猫はいつも以上に寝ている。
以下では「五匹の子豚」の「月と六ペンス」問題の解答を書くので、 もし知りたくないという方はここでこのページを閉じて下さい。
しばしばミステリには、思いがけないことを探偵役が言い当てる、という場面がある。 何故そんなことがわかったのだろう、という驚きが、探偵役の頭の良さを引き立てるわけだ。 例えば「羊たちの沈黙」(T.ハリス著/菊池光訳/新潮文庫)には、 獄中のレクター博士がクラリスに「バッファロゥ・ビルは二階建ての家を持っている」と教える印象的な場面がある。 この場合もそうだが、こういった神秘的な託宣は大抵、あとで種明かしされる。 しかし、最後まで説明がない珍しいケースが、「五匹の子豚」(A.クリスティ著/山本やよい訳/ハヤカワ文庫) にある。
「五匹の子豚」はクリスティが得意とした「回想の殺人」テーマの傑作で、 名探偵ポアロが十六年前の殺人事件を、五人の容疑者の回想と手記だけから解決する。 この中に、ポアロが容疑者の一人に向けて、 「事件のあった当時、サマセット・モームの『月と六ペンス』を読んでおられたのではありませんか」 と言い当てる場面があるのだ。 確かにそうでした、どうして分かったのですか、とその人物は驚くが、ポアロは特に説明をしない。
私が以前、「五匹の子豚」を読んだときには、 「五匹の子豚」で殺されるのも天才画家、「月と六ペンス」も天才画家の話なので、 その登場人物の性格などから推理したのだろう、という程度で読み流してしまっていた。 しかし、最近、「五匹の子豚」を読み返してみたところ、どうもそうとは思われない。 勿論、今ではインタネット検索すれば、一発で謎が解決するに決まっているが、それでは悔しい。 そこで、「月と六ペンス」(W.S.モーム著/中野好夫訳/新潮文庫) と「五匹の子豚」を徹底的に再読、三読してみることにした。
そして私は謎を解決した。 一つの手記の中で、その登場人物が激昂して、後で殺される天才画家を指して 「あんなやつ死んじゃえばいいんだわ。不治の病にかかって死ねばいいのよ」 と叫んだ、と証言されている。 一読、二読しても読み飛ばしてしまっていたが、良く良く読むと、 発言者の設定、性格、前後の文章などからして、「不治の病にかかって死ねばいいのよ」 という罵り方は奇妙だし、文章がどこかぎこちない。 これは発言者が、「月と六ペンス」で天才画家が癩病で死ぬことを読んだばかりだったから、 同じく天才的画家である人物を指して「(あいつも同じように)病気で死ねばいい」と罵ったのだ!
私はこの推理に絶対の自信を持って、安心してインタネット検索した。 もちろん正解だったようだが、新しい情報も得られた。 どうやら、クリスティは「不治の病」ではなくて「癩病」と書いていたらしい。 そう書かれていれば、少し勘の良い読者ならピンと来たはずだ。 それがどこかの段階で、 おそらく日本語に翻訳された時点だろうと予想するが、患者差別問題への配慮から書き換えられた。 おかげで、ポアロが(つまり、クリスティが)ちょっと舌を出してみせた程度の軽いパズルが、 難問に変わってしまったのだ。
私はこの問題の探求に、ほぼ一週間分の夜を費したが、なかなか充実した時間であった。
珈琲、ヨーグルト、蜜柑を一つの軽い朝食ののち、洗濯をして、 デリバティブ研究部会の自主ゼミに出かける。 無限分解可能性への準備として、一次元確率測度の因子の条件コンパクト性のところまで。 参加者によるゼミのあとのランチは、タイ料理。 スープカレー的なものと、シンハー・ビールを一本。
帰宅して、二時間ほど昼寝。良く眠れる季節だなあ。 夕方、母から宅配便が届く。母の手製の料理と野菜など。 夕食は、送られてきた稲荷寿司で済ませておく。 卵の澄まし汁を作り、他に作り置きの菠薐草のひたし、人参炒め。 食後に蜜柑を一つ。
夜は「月と六ペンス」(W.S.モーム著/中野好夫訳/新潮文庫)を読んだりして、静かに過す。 ある理由で読んでいるのだが、さすが当時空前のベストセラーになったというだけあって、 目的を忘れて引き込まれてしまう。 モームと言えば「通俗作家」、 この本の訳者あとがきでも、悪い意味ではないとは言え、通俗、通俗と強調されているのだが、 モームを指して通俗と言えた時代は幸せだったのではないかなあ。
朝の気温がかなり下がってきた。 私自身は特に問題ないが、猫が寒そうなので、 十度を下まわったらホットカーペットでも出してやるかなあ。 いつもの納豆定食の朝食のあと、お弁当を適当に詰めて、徒歩にて出勤。
今日も粛々と労働に励んで、退社。 近所の餃子屋で夕食。 焼き餃子を食べながら、「月と六ペンス」(W.S.モーム著/中野好夫訳/新潮文庫)を読む。
帰宅して、お風呂ののち、酢大豆でビールを飲みつつ、 「月と六ペンス」の続きを読む。のんびりした週末の夜。
昨日、E 社の社長(兼、一人社員)の N さんとの会食中に、「韓非子」にある「象箸を怖る」という説話が話題になった。
殷の紂王が初めて象牙の箸をあつらえた。 賢臣の箕子はこの話を聞くと、ああ恐しいことだ、と言った。 象牙の箸を持ったら、紂王は今の素焼きの器に満足するだろうか、いや玉の器にしたくなるだろう。 玉の器に盛る料理は今までの通りで満足するだろうか、いや山海の珍味にしたくなるだろう。 そうなったら着物や部屋も今のままで済むまい、「則チ、錦衣八重、広室高台ナラン」。 いずれ、国中の財を集めても足りなくなるに違いない、「吾レ其ノ卒(おわ)リヲ畏ル、故ニ其ノ始メヲ怖ル、ト」。
ご存知の通り、殷の紂王と言えば「酒池肉林」、それが「箕子の怖れ」の五年後、ということになっている。 紂王は弁舌に優れ、頭も良ければ、猛獣を倒すほど力も強く、しかも美貌。おかげで臣下が無能に見えてしようがなかった。 そのせいでもないだろうが、段々と、傍には佞臣ばかりを集め、悪女の妲己に溺れ、重税を課して、贅沢に狂い、殷は滅びた。 箕子は紂王の性根はもちろん、環境や世情についても、良く理解していたのだろう。 だからこそ、象牙の箸を作ったというような些細な出来事の時点で、その結末を怖れることができたのであり、 そういう人を賢人と言うのだ、というお話である。
夕方退社して、浅草へ。 さすらいのハッカー改め、E 社代表取締役兼社長 N さんから、浅草で蕎麦でも食わないかと誘っていただいたので。 そう言えば、秋の新蕎麦の季節なのだろうか。
N 社長は今日が税理士との決算整理なので少し遅れるかも知れない、とのことだったので、 板山葵と「韓非子」(金谷治訳注/岩波文庫)を肴にビールを飲みながら、お待ちする。 この時期は税金や社会保険など、ややこしい経理処理で忙しい方が多いようだ。
しばらくして、N さんも来店。だし巻きや鴨葱、あれこれを肴に冷酒を少々飲んでから、蕎麦切りをいただく。 色々なものを打ち込んだ変わり蕎麦が楽しい。
昔、以下のようなお話を何かで読んで、子供心にも非常に感心し、ずっと心に残っていた。
ある王様がビシカという美少年を寵愛していた。 ある日、二人が桃の園を散歩しているときのこと、 ビシカが枝から桃を一つとって食べたところ、甘くて美味しい。 そこでビシカはその桃の半分を王様にあげた。 王様は、なんと可愛いやつであろう、こんな美味しい桃を残して分けてくれるなんて、と思った。 しかし月日が過ぎ、寵愛が失われたとき、 王様は、やつは食い残しの桃をわしに食わせよった、と言ってビシカを処罰した。
原典は何なのだろうなあ、と思いつつ、特に調べることもしなかったのだが、 昨日、歌舞伎座の幕間に「文章読本」(丸谷才一著/中公文庫)を読んでいると、 名文の例としてこの話が引用されているのに、思いがけなくも出くわした。 「韓非子」の「説難」、つまり権力者に意見することの難しさについて論じた章の終わりの方、 「昔者、彌子瑕、衛ノ君ニ寵有リ」から始まる短い説話である。
彌子瑕は母親の急病を知って、許しを得ずに君の車に乗って出かけた。 君はそれを知って、「孝ナルカナ、母ノ為メノ故ニ其ノ刖(げつ)罪ヲ忘レタリ」と誉めた。 衛の国の法律では、許しを得ずに君の車に乗ったものは足斬りの刑だったのである。 また、ある日、彌子瑕は君と果園に遊び、桃を食べてうまかったので、食べさしの桃を君に与えた。 君は、「我ヲ愛スル哉、其ノ口味ヲ忘レ、以テ寡人ニ啗(くら)ハシム」と言った。 しかし、彌子瑕の「色衰へ愛弛ブ」におよび、君から咎めを受けることになった。 君が言うには、「是レ固ト嘗テ吾車ニ矯(いつ)ハリ駕シ、又嘗テ吾ニ啗ハシムルニ餘桃ヲ以テセリ」と。 しかし、彌子瑕の行いは最初から全く変わらず同じであり、変わったのは衛王の心である。 「故ニ彌子ノ行ハ未ダ初ヨリ変ゼザルナリ」。
ちなみに、今日「韓非子」のその箇所を読んで驚いたことには、これは有名な「逆鱗」を説明した逸話だった。 初老にいたっての無知は恥ずかしいことである。 なお、この箇所が「文章読本」で引用された理由は、 「色衰へ愛弛ブ」や「故ニ彌子ノ行ハ未ダ初ヨリ変ゼザルナリ」のような、 冷酷で、厳しく、簡潔な文章表現は、漢文を読まぬことには学べない、という主旨だった。 思うに、こういう簡潔にして怜悧な感じはラテン語に似ていて、東西は違え、どちらも古典であるところが面白い。
ああ良く寝た。 珈琲、ヨーグルトのあと納豆定食。 朝風呂に入って、湯船の読書は「文章読本」(丸谷才一著/中公文庫)。 午前中は、図書館に本を返しに行き、そのついでにスーパーで食材を買って帰る。 昼食は、鶏肉、豚肉、蕪の葉、長葱の黒酢焼きそば。
午後は少し昼寝をしてから、冷やしておいた酒とグラスを持って東銀座へ。 辨松の弁当を買って、歌舞伎座にて「仮名手本忠臣蔵」。 昨夜ふと思い立って、席をとった。 夜の部は、五、六、七段目、飛んで十一段目の討ち入り。 勘平を菊五郎、女房おかるを時蔵、遊女おかるを福助、由良之助を吉右衛門など。
辨松の味付けの濃いおかずを肴に飲みながらの観劇。 上戸の人はみな心秘かに、幕の内弁当は酒の肴に丁度良い、と思っているに違いない。 むしろ、幕の内は酒の肴セットと言ってもよい。 そもそも、その目的で開発されたのかも知れない。
それはさておき、忠臣蔵を観ると、 やあ、年の瀬だねえ、もうすぐ正月だよ、という気分になってしまう。 今年、歌舞伎座では今月と来月の二ヶ月続け、配役を替えて忠臣蔵をかけるので、 十一月からの二ヶ月が年末なのだと了解しておく。
よく眠れ過ぎて寝坊。朝食は珈琲とヨーグルトだけにしておく。 洗濯をしてから、朝風呂。 湯船の読書は、「思考のレッスン」(丸谷才一著/文春文庫)。 昨日に読み終えた「文学のレッスン」に引き続き。 午前中は「チューリングの大聖堂」(G.ダイソン著/吉田三知世訳/早川書房)を読む。
早めの昼食は、鶏肉入りのオムレツ、葱のスープ、トーストにバタ。 食後にしばらく昼寝。 午後も家事あれこれと、その合間の読書。 この三日間、特に用事もないので、ゆっくり丸谷才一をまとめて読むかな、 と思っていたのだが「思考のレッスン」に、 「本は原則として忙しいときに読むべきものです。まとまった時間があったらものを考えよう」 とあって、これは一本とられたな、と反省する。 と言いつつ、「思考のレッスン」、読了。
再びお風呂に入ってから、夕食の支度。 豚肉細切れと菠薐草の常夜鍋。大根おろしと自家製ポン酢で。 冷酒を五勺ほど。のち、饂飩。
夜も読書など。「チューリングの大聖堂」、読了。
ああ良く寝た。曇り空でひんやりとする。 珈琲とヨーグルトだけの朝食のあと、お風呂。 湯船の読書は「そうざい料理帖 巻一」(池波正太郎著/平凡社)。 「食卓の情景」に書かれた日記の文章に出てくる、 「鶏細切れ肉の水炊き」というものが非常に美味しそうだ。
鶏肉の細切れ、豆腐、長葱のザク切り、人参の細切れの水炊き。 食べ方は分からないが、おそらくポン酢だろう。 鶏肉の「細切れ」というものはあまり売っていないのだが、 あちこちの部位が混じっている方が美味しいのかも知れない。 で、この水炊きが終わったあとのスープ。 これを胡椒と塩で味を整え、熱い飯にかけて食べるのだそうだ。 これが「うまいこと、おびただしい」らしい。 鍋のあとの御飯ものといえば雑炊がお決まりで、 汁かけ飯の発想はなかった。これは試してみなければ。
午前中は自主ゼミの予習。無限分解可能分布のところ。 昼食は、納豆に生卵と細葱に醤油と辛子、茄子の糠漬、御飯、切干し大根と葱の味噌汁。 食後にしばらく猫と昼寝。いくらでも眠れる。すぐに夕方。外は少し雨。 お風呂に入って、湯船で「ラテン語のはなし」(逸身喜一郎著/大修館書店)を読む。
夕食は池波流の鶏細切れ肉の水炊き。自家製ポン酢に酢橘。 リースリングを少々。 あとのスープかけ御飯には、細葱を刻んで散らし、柚子胡椒を添える。 おびただしく、うまい。確かに、これはいい。 七味の類もあうかも知れないが、私は柚子胡椒を推奨したい。
夜も読書など。 「文学のレッスン」(丸谷才一/聞き手・湯川豊/新潮文庫)。
今日は良い天気だ。気温も低めで快適。 いつもの納豆朝食のあと、お弁当を作る。 今日は卵焼きも入っておかずが充実しているので、海苔弁ではない。 出勤。オフィスまで歩いて行く。最近は気候も良いので徒歩が多い。
出社して静かにお仕事。夕方、退社して近所のカレー屋で夕食。 「文学のレッスン」(丸谷才一/聞き手・湯川豊/新潮文庫) を読みながら、ふかしじゃが芋とチーズでヱビスビールを少し。 のち、チキンカレー。
帰宅して、お風呂。湯船の読書は 「ラテン語のはなし」(逸身喜一郎著/大修館書店)。
何故だか今日は金曜日のような気がしてしようがないのだが、木曜日。 いつもの朝食のあと、お弁当を適当に詰める。 今日はお弁当におかずが一品足りないな、 ということがしばしばあるものだが、そういう時には海苔弁だ。 醤油をからめた鰹節と海苔を御飯の間に挟むだけで、急に充実。 海苔弁って誰が最初に考えたのかなあ。
歩いて出社。パラメータ調整のような地味で時間のかかる作業に、気長にとりかかる。 夕方退社。帰宅して、お風呂。湯船の読書は 「文学のレッスン」(丸谷才一/聞き手・湯川豊/新潮文庫)。 どこがどうとは説明し難いが、湯船でゆるゆると読むのにぴったりな本だ。
夕食の支度。細葱入りの厚焼き卵、叉焼、茄子の塩揉み、豚肉抜きの豚汁、御飯。 食後に林檎(ふじ)を一つ。
ディレクトリの奥深くに、かつて翻訳した C.L.ドジソン(ルイス・キャロル)の「枕頭問題集」のファイルを発見したので、 公開することにしました。
pdf ファイルは、こちら(pillow_problems.pdf) からダウンロードできます (Dropbox の公開サーヴィス)。 原稿を作成した LaTeX ファイルも、 GitHub リポジトリ github.com/kshara/Dodgson_translations にオープンソースとして公開しておきます。
もう随分と前のこと、某出版社の某編集者から翻訳を依頼されて、 "Pillow Problems" などドジソン関連の文書を翻訳をしたところ、 (よくあることだが)しばらくして音信不通、結局、うやむやにされてしまったもの。 "Pillow Problems" の翻訳は既に、「枕頭問題集」(柳瀬尚紀訳/朝日出版社エピステーメー叢書)があるし、 「ルイス・キャロル解読―不思議の国の数学ばなし」(細井勉著・訳/日本評論社)の中にも含まれている。 私の稚拙な翻訳、しかも初稿などハードディスクの肥やしにしておいても良いのだが、 何かの役に立つこともあるだろう、と思い直した。 また、ソースの方は、定期試験や入試問題のネタ探しをしている人には、 LaTeX から起こす手間が省けて便利かも知れない。
この私家版翻訳の欠点としては、今のところ図が全く入っておらず初等幾何学の問題が読み難いことだが、 著者が眠れない夜に頭の中だけで解いたのだから、図を見ないのがフェアというものかも知れない。 良い点としては、確率の問題に対して現代的立場からの私の注釈が入っていることをアピールしたい。 当時はルベーグ積分論やコロモゴロフによる確率の公理化以前の時代だから、確率の問題にはおかしな箇所が多い。 しかし、さすがキャロルはただものではない、という面もあって、 雑誌に投稿した記事や書簡からは、キャロルが確率の扱いに混乱しながらもその矛盾に迫っていることもうかがわれるのだが、 それはまた別の機会に。
雨が降りそうで降らない、暗い曇り空。 いつもの朝食のあと、適当にお弁当を詰めて出勤。 平々凡々と平均的、江分利満的、安部礼司的にオフィスで過して、夕方退社。
帰宅してまずお風呂。湯船の読書は 「高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学」(菅原晃著/河出書房新社) 。読了。 夕食の支度。 茄子と豚肉の黒酢炒めで、リースリングを一杯だけ。 のち、長葱入りの炒り卵、しらすに自家製ポン酢、御飯、切干し大根の味噌汁。 食後に林檎(ふじ)を一つ。
やれやれまた月曜日だ。 平日のいつもの納豆定食の朝食のあと、 昨日の酢飯の残りでしらすちらしのお弁当を作って、出勤。
夕方退社。 帰宅して、まずお風呂。湯船の読書は 「酒の肴・抱樽酒話」(青木正児著/岩波文庫)。 「三国志」魏志の東夷伝に「倭人国、其人ハ性酒ヲ嗜(この)ム」と記されているとのこと、 日本人は昔から酒好きとして外国にまで名を馳せていたらしい。 私は日本人はおおむねアルコールに弱い体質であると思ってきたし、 その証拠には事欠かないと思うのだが…… いわゆる下手の横好き、みたいなことかも知れない。
御飯を炊き、一日休ませた豚肉を蒸している間に、焼き茄子で冷酒を五勺ほど。 のち、蒸し豚のスライスに粗塩と辛子を添え、じゃが芋と玉葱のサラダ、 切干し大根の味噌汁、御飯。 食後に林檎(ふじ)を一つ。
昨日など夕方に「昼寝」をしたのだが、何の問題もなく夜早い時間に就眠して、 今朝も遅くまで寝てしまった。いくらでも眠れる。 おそらく夏の間にたまった疲れから回復しようとしているのだろう、 これは身体の防衛機能に違いない。と、納得しておく。
珈琲だけの朝食を済ませて、洗濯をし、食材の買い出しに出かけ、 鯖と豚肉ブロックにそれぞれ塩をしておいて、朝風呂に入る。 湯船の読書は、「高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学」(菅原晃著/河出書房新社) 。
昼食は、豚肉ブロックの端の余り肉を使って、豚肉と長葱のうどんすき。 豚肉の本体は一日置いてから蒸し豚にする予定。 食後にしばらく昼寝。 午後も家事と、その合間の読書。 じゃが芋と玉葱だけの単純ポテトサラダと、長葱としらす入りの卵焼きを作った。
夕食の支度。ベタ塩しておいた鯖を酢でしめて、まず腹身を短冊造りにする。 また、秋茄子を塩もみして辛子と和える。この二品で冷酒を五勺…… と思ったのだが、両方ともあまりに美味し過ぎて、一合飲んでしまった。 締め鯖の残りは鯖鮨にして、落とし卵の澄まし汁を添える。
早朝はまだ台風の影響で大雨が続いていたが、家を出る頃には弱まってきた。 大葉刻みのオムレツ、イングリッシュマフィン、珈琲の朝食のあと、 定例のデリバティブ研究部会自主ゼミへ。 必ずしも二乗可積分でない独立変数列の収束と中心値・散布度。
参加メンバでのゼミ後のランチは、フレンチ。 値段の割にたっぷりしたコースで、デザートまで充実。美味しかった。 ワインもスパークリングと赤を少々。 帰宅して、やはり昼寝。相変わらず、ナルコレプシーかと思うくらい良く眠れる。
昼に食べ過ぎたので、夕食はあっさり、梅おむすびと切干し大根味噌汁のみ。 やはり、おむすびは単純でいて、間違いのない美味しさ。
小雨の降る朝。 いつもの納豆定食の朝食のあと、適当にお弁当を詰めて出勤。 今日も、徒歩通勤。 夕方退社。
金曜は夕食の支度をサボることにしているので、帰り道で餃子を十二個買っていく。 店で食べてもいいのだが、私は焼き餃子水餃子に関わらず、 餃子は黒酢または香醋で食すのを最上とするので、買って帰ることが多い。 餃子屋は餃子のタレなんかの代わりに黒酢を置いてほしいものだが、なかなかそういう店がない。
帰宅して、まずお風呂。 湯船の読書は「酒の肴・抱樽酒話」(青木正児著/岩波文庫)。 江戸時代に「中酒」の奇妙な習慣があったという話を読む。 「中酒」とは茶懐石や祝儀の席の本膳であるように、飯と茶の間に酒を出すことだが、 江戸時代の初期には、その中酒を今食べたばかりの汁椀や飯椀に注いで飲む習慣があったらしい。 あまり良い趣味と思えないが、愉快な趣向ではある。 ちなみに、漢語では「中酒」の意味が違って、「酒ニ中(あた)ル」、つまり、二日酔いのことだそうだ。
餃子十二個を温め直し、香醋で食す。冷えた贋ビールを一杯だけ。 あつあつ餃子に冷たいビールも小確幸。 平和な良い週末だが、 東京は明日の朝にかけて大荒れらしく、大雨洪水警報が出ている。
曇り空。雨が降りそうで降らない一日。 台風の影響は明日からか。 いつもの朝食のあと、お弁当を適当に詰めて、出動。 今日もオフィスまで歩いて行く。 夕方退社。 帰り道で秋刀魚一匹を 98 円で買う。
帰宅して、まずお風呂。 湯船の読書は、 「高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学」(菅原晃著/河出書房新社) 。 御飯を炊く間に、秋刀魚を塩焼きにする。 大根おろしと酢橘を添えて、冷酒五勺ほど。秋刀魚は旨い。 焼き立ての秋刀魚に酢橘を絞り、大根おろしを添えたもの以上に美味しいものは、 世の中になかなかない。 今年は少々値段が高いが、それでも小振りなものはタイミングを測れば一匹百円程度で買えるので、非常に経済的である。 のち、ピーマンの炒めもの、卵かけ御飯(大葉)、切干し大根の味噌汁。 食後に林檎(トキ)を一つ。
夜はラテン語の勉強と、「高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学」の続き。
曇り空。 平日いつもの納豆定食の朝食。水曜日でお弁当作りは休みなので、ゆっくりした朝。 オフィスまで歩いて行く。昼食は近所のカレー屋にて。夕方退社。
帰宅してまずお風呂。 湯船の読書は、「檀流クッキング」(檀一雄著/中公文庫) 。 さて、夕食の支度。 御飯を炊いている間に、しらす大根おろしに酢橘と醤油で、冷酒を五勺ほど。 のち、人参炒め、青椒肉絲、大根の味噌汁、御飯。 食後に林檎(トキ)を一つ。
季節のせいだろうか、更年期障害だろうか、と書くのがお決まりになってきたが、 最近、夜になると眠くてしょうがない。 帰宅したら、ラテン語の勉強もしたいし、「神曲」の読解もしたいし、 トゥキュディデスの「歴史」も読みたいし、 "Stochastic Processes" 自主ゼミの予習に、料理の仕込みに、あれこれすべきこともあるのだが、 夕食が済んだら眠い。いや、暗くなるともう眠い。 どうやら、日が出ているうちに全て片付けておかないといけないらしい。
布団が気持ち良過ぎて、このままずっと寝ていたい。 覚醒とは本質的に不快なものなのです、と呟きながら起床。
珈琲、ヨーグルト、イングリッシュマフィンにバタ、目玉焼き、ソーセージの朝食。 昼食用に、御飯と作り置きの惣菜を弁当箱に詰める。 野菜ばかりで惣菜がちょっと寂しかったので、御飯の間に海苔と鰹節を挟んで、いわゆる海苔弁にした。
いつものように夕方も早い時間に退社。 帰宅して、お風呂に入ってから夕食の支度。 今日のメインは麻婆豆腐。 御飯を炊いている間に、ピーマンの炒めものと大根の炒め煮でリースリングを一杯だけ。 のち、麻婆豆腐、葱のスープ、御飯。食後に林檎(トキ)を一つ。
夜は「華国風味」(青木正児著/岩波文庫)より「花彫」、あるいは、 "Death times three" (R.Stout 著/ Bantam Books)より "Assault on a Brownstone" を読んだりして、静かに過す。
いつもの朝食のあと、 時鮭としめじの炊込みご飯の残りと作り置きの惣菜を適当に弁当に詰めて出勤。 不安定な気候のせいか、更年期障害のせいか、それとも月曜日のせいか、調子はもう一つ。 流し打ち気味に作業をして夕方退社。
帰宅してお風呂に入ってから夕食の支度。 しめじのオムレツ、ソーセージとパスタ入りのポトフ。リースリングを少々。 グラスに残ったリースリングでブリーチーズを少し、林檎(トキ)を一つ。
夜はラテン語の暗唱カードを二枚作ったあと、ダンテ「神曲」や、 "Death times three" (R.Stout 著/ Bantam Books)より "Assault on a Brownstone" 。
ああ良く寝た。どうやら今日は一日雨らしい。 たまには洋風の朝食にしてみようと思い、 珈琲、ヨーグルト、スクランブルドエッグ、茹でソーセージ、イングリッシュマフィン、林檎(トキ)一つ。 まだマフィンを焼くところにまで至っていないので、出来合いのもの。 朝風呂に入って、湯船で 「高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学」(菅原晃著/河出書房新社) を読む。 そのあと午前中は、デリバティブ研究部会自主ゼミの予習。無限分解可能分布。
昼食は手間をかけず、昨日の残りの時鮭としめじの炊き込み御飯(大葉と酢橘)、蕪の糠漬、長葱としめじの味噌汁。 合間に大根の豆板醤炒め煮もお弁当用に作っておく。 食後に昼寝しようかと思ったが、夕方まで寝てしまいそうだったので、 珈琲で目を覚まして、午前中の予習で計算していなかったところを詰めたり(平行移動した測度の畳み込み)、 スタウトの中編集 "Death times three" (R.Stout 著/ Bantam Books)より "Assault on a Brownstone" を読んだり。 夕方になって、掃除など家事のあれこれ。ちょっと早い気もしたが、居間にカーペットを出した。
さて夕食。米を炊いている間に、湯豆腐に自家製ポン酢で純米酒のぬる燗を五勺ほど。 のち、豚丼。蕪の葉のひたしと、長葱と生姜のスープを添える。 夜は "Assault on a Brownstone" の続きを読んだり、 日曜日の夜のリチュアルとして包丁を研ぎながら人生を考える。
週末は「古楽の楽しみ」が放送されないので、寝坊しがち。 昨夜は外食だったので、朝食はヨーグルトと珈琲だけにしておく。 洗濯をしたあと、朝風呂に入る。 湯船の読書は「高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学」(菅原晃著/河出書房新社)。
湯上がりに、金時豆の煮込みを肴にシャルドネを少々。 そのまま早めの昼食に移る。豚肉と玉葱の生姜大蒜炒め、蕪の葉のおひたし、黒酢と長葱の焼きそば。 食後に猫と昼寝。随分涼しくなったおかげで良く眠れて困る。 午後は食材の買い出しと、 「チューリングの大聖堂」(G.ダイソン著/吉田三知世訳/早川書房) など。 お三時は林檎(トキ)を一つと珈琲。
夕方になった。 しらす大根おろしに自家製ポン酢、冷奴に大葉と生姜に生醤油で、冷酒をひょっとこの杯に一杯だけ。 酔フヲ厭ワズ、貧シキヲ悔イズ、今日も良い一日であるなあ。 そうしているうちに、時鮭としめじの炊き込み御飯が炊きあがった。 お櫃で蒸らしている間に、長葱と溶き卵のスープも作る。
夜もダンテを読んだりして静かに暮す。
あまり体調の優れぬまま週末を迎えた。 今日も比較的涼しいので、徒歩で出勤。 今日のお弁当の黒酢焼きそばは美味しかった。
夕方退社して、近所の店でヱビスビールを飲んでいると、 丁度岩波ホールでの映画が終わったあとらしき、 洒落た帽子をかぶった上品なお婆さん二人がやって来て、隣のテーブルに座った。 何とはなしに話を聞いていると、どうやら昔はちょっとならした活動家らしく、左翼話に花を咲かせている。 一方が、デモと孫の運動会の日程が重なったので少し悩んだが無論、孫よりデモをとった、 と話すと他方が、さすが○子様だわあ、と言っていた。 ほのぼのした良い週末である。
ようやく少しは過し易くなってきたような。 私が正常に動作する推奨環境温度は 0 度から 10 度なので、まだやや暑い。 昼休憩に珈琲豆を買うついでに、 「華国風味」(青木正児著/岩波文庫)より「陶然亭」などを読みながら一服。
昔、京都の高台寺あたりに「陶然亭」という名の、酒好きというものを深く心得た店があった、という話。 店の様子や、仕組み、その全ての品書きまで、非常に詳細に書かれていることだし、 誰か、今の世の中にこの店を復元(?)してみたらどうだろうか。 戦前戦中とは違って、今ではありとあらゆる居酒屋がありそうなものだが、 こういう店はないだろう、と思わせるところからして、 そもそもこの「陶然亭」は本当に存在したのだろうか、という気もする。 夕方退社し、近所で散髪をして、帰宅。
時鮭の塩焼、金時豆の煮物、蕪の葉のおひたしで、冷酒を五勺ほど。 そのあと、そうだ「カープソース」を使わねば、と焼きそばを作る。 お好み焼きソースを使い方としては、やはり焼きそばは無難。 この前、卵焼きのだしに使ってみて、ちょっぴり後悔したように、 こういう専用調味料はあくまでそれ専用に近い範囲で使うべきなのだろう。
夜の間は強い雨が降っていたが、朝には雨は止んで代わりに激しい風。 外に出られそうにないので、午前中は自宅待機。 昼時になって風も弱まってきたので、水曜日のランチがてら出勤。 地下鉄はまだダイヤの乱れが続いている。 インド料理屋でラムのカレー。 夕方退社して、歩いて帰る。 ずいぶんと涼しくなった。長袖でもシャツ一枚では足りないくらい。
帰宅してお風呂に入ってから夕食の支度。 今日もあたため企画で、水餃子。長葱も一緒に茹でて、黒酢とおろし大蒜でいただく。 水餃子は茹で立てが美味しいので、三つずつ茹でて、食べている間に次の三つが茹で上がる作戦。 食後にシャイン・マスカットを少々。 晩酌にブリーを少々とシャルドネを一杯だけ。
夜はお弁当のおかずの仕込み。 岩谷時子の「ろくでなし」など口遊みながら、時鮭の切り身を焼き、豚肉と玉葱の生姜炒めも作る。
午後から雨が降り始めた。 夕方の帰宅時には既にかなり強い雨。 明日の朝あたりに、巨大台風が直撃するらしい。 なんだかわくわくするなあ。
帰宅して風呂に入ってのち、夕食の支度。 夕食は子母沢寛の「豚肉のうどんすき」。 鍋に湯をたぎらせ、これに豚肉を入れ、 ぐたぐたと煮立てた中へ、うどんをさっと入れて、 玉がくずれてさらさらとなったところをつまみあげて下地をつけて食べる、 というものである。 うどんの茹で加減がポイントで、芯まで熱くならない程度にさっと茹でるのだそうだが、私は特にこだわらない。 また、下地は醤油一、味醂一、昆布だし四の割合が直伝らしいが、大根おろしに生醤油もいいと思う。
晩酌は激しい雨音を聞きながら、ブリー少々を肴に、シャルドネを一杯だけ。 ラテン語の不規則変化動詞の暗唱用のカードを作り、また、 「酒の肴・抱樽酒話」(青木正児著/岩波文庫)を読む。いい夜だ。
ああ良く寝た。まだ喉にいがらっぽさが残っている。 いつもの納豆定食の朝食ののち、朝風呂に入る。 湯船の読書は「酒の肴・抱樽酒話」(青木正児著/岩波文庫)。
白楽天の夏日作に曰く、止於適吾口。 夜の雨に顔を出した筍は若く、朝露に濡れた園の青菜は新しい。 青菜を煮て、筍を焼けば、朝食にけっこう間に合う。 わが口に適いさえすればよい(吾口ニ適スルニ止ル)、何も贅沢するにおよばない、とのことである。 「適口」が奥義なのだろうなあ。
昼食には、明日のお弁当用に鶏胸肉のローストを作り、その一部を使ってオムライス。食後、一時間ほど昼寝。 午後は「チューリングの大聖堂」(G.ダイソン著/吉田三知世訳/早川書房) を読んだりして、安静に過す。
夕食は鶏胸肉と蕪の葉を小鍋仕立てにする。 自家製ポン酢はまだ熟成中なので、黒酢ベースのたれで食す。 シャルドネを一杯だけ。 あとは雑炊にする。食後にシャイン・マスカットを少々。
夜も「酒の肴・抱樽酒話」を読んだり。 私の食関係書架は中国料理が圧倒的に弱いのだが、 青木正児を読んでいると、今すぐ専門古書店の中国料理棚で色々求めたくなる。 いや、料理に限らず、そもそも漢籍の教養が全くないことを反省して、 ここで青木正児全集を揃えたりしちゃおうかなあ。
今日も夏日とは言え比較的に涼しい。 納豆定食の朝食のあと、朝風呂に入って、湯船で 「フェデリコ・カルパッチョの極上の憂鬱」(木暮修訳・註/幻冬舎) を読む。いい休日である。
90 年あたりの "ELLE Japon" に連載されていたエッセイで、 当時、この 1 ページだけを立ち読みしていたなあ。 ドットーレ・コグレの亡き後、カルパッチョ氏も姿を消して久しいが、 今頃、イタリアの片田舎に隠棲し、 謎の国ニッポンの沢山の女性たちのことを懐しく思い出しながら、 何の変哲もないソーダガラスの寸胴グラスでワインを流しこんでいることだろう。
昼食は長葱としめじとアンチョビのスパゲティーニ。シャルドネを一杯だけ。 その一杯を飲み切れなかったので、ブリーを少々切る。 午後は料理の仕込みをしたり、 「チューリングの大聖堂」(G.ダイソン著/吉田三知世訳/早川書房) を読んだりして、安静に過す。
夕食には、大振りの秋刀魚一匹を塩焼きにし、大根おろしと酢橘を添える。 他に金時豆の煮物、人参の千切り炒め、蕪の葉の味噌汁、御飯。 食後に、シャイン・マスカットを少々と柿を一つ。
ああ、良く寝た。まだ若干風邪気味。 朝食は珈琲と柿一つ。 午前中は朝風呂のあと、家事を少し。 人参の千切りの炒め物を作った。
昼食はやはり温かい麺類で、月見蕎麦。長葱としめじと海苔。 食後にしばらく昼寝。 午後は「チューリングの大聖堂」(G.ダイソン著/吉田三知世訳/早川書房) を読んだり、アナログ TV で「赤い霊柩車」の再放送を観たり、のんびり過す。 一体いくつになるまで、明子はんとドクターは「婚約者」だと主張し続けるつもりなのか。
夕方になったので、米を研いで浸水の間、自分も風呂に浸水。 湯船の読書は「食卓は人を詩人にする」(山縣弘幸著/潮出版社)。 私の食・料理関係の本棚の中でも、特に愛着のある一冊である。 一つの話題が一ページなので、どこからでも読み始め、読み終えられて結構だ。 今日、読んだところには「メシュイ」というアラビア料理のことが出ていた。 基本的には仔羊の丸焼きだが、うっとりするような詩情がある。
仔羊の内臓を抜いて、腎臓だけを腹に戻し、細かく刻んだ玉葱、塩、胡椒、バターも一緒に詰める。 そして、木片と洗った小腸を使って腹を閉じる。なぜなら鉄のピンは肉に嫌味をつけるし、紐の類は燃えてしまうからだ。 これを串刺しにして、地面に掘った溝に渡し、薪で焼く。有塩の溶かしバターを刷毛で塗りながら、炭火の遠火で。 ナイフで刺してピンク色の肉汁が出なくなったら出来上がり。皮はカリカリ、肉はこんがり。 各人が好きな部位を手でちぎって、指で食べる。一番のご馳走は、腎臓だそうである。 でもって、食べ終わると、薔薇で香りをつけたぬるま湯で指を洗う。 締め括りは、一杯の珈琲と一服のパイプ。 この料理の本当の味わいを知るには、砂漠の中、降るような星空の下で、 寡黙なアラブ人に囲まれて食べなければならないだろう。
夕食も手間をかけずに御飯だけ炊いて、レトルトのカレーライスにしておく。 粉末の鶏ガラスープの素で生姜と葱と人参皮のスープを前菜にし、カレーライスにはらっきょうの甘酢漬けを添える。 シラーズの最後の一杯も。食後に柿を一つ。
朝方に降った雨で濡れた地面を、日が照りつけている。 見るからに蒸し暑い。 平日用の納豆定食の朝食をとり、お弁当を作って、出勤。 予定通り今日のお弁当は焼豚丼。他に、豆の煮物、大根炒め、隠元の胡麻和え。 冴えないままに粛々と作業をして、夕方退社。 この不快さは体調のせいなのか、この天候のせいなのか。
風邪っぽい時はやはり、熱い麺類だな、と思って、 夕食は自家製焼豚で叉焼麺。長葱、しめじ、卵をトッピング。 生姜と大蒜入り。
相変わらず体調はいまひとつ。 朝食とお弁当作りのあと出勤。 昼休憩に新刊書店で 「歴史 (上・下)」(トゥキュディデス著/小西晴雄訳/ちくま学芸文庫) を買った。 夕方退社。相変わらず、蒸し暑い。温かく湿った空気。 今週は駄目駄目だ。とにかく明日をやり過して、いや失敬、乗り切って、三連休をゆっくり休もう。
帰宅してお風呂に入ってのち、夕食の支度。 御飯を炊いている間に、作り置きの焼豚と隠元胡麻和えでシラーズを一杯だけ。 焼豚が美味しい。明日のお弁当は焼豚丼にしよう、と心積もりする。 のち、肉じゃがの残り、しめじと若布の味噌汁、卵かけ御飯。 食後に巨峰を少し。
夜はラテン語の勉強をしたら、「老年について」(キケロー著/中務哲郎訳/岩波文庫)でも読み返して元気を出すかな。
やはり風邪のようだが、症状は軽い。 いつもの朝食のあと出勤。今日も夏の蒸し暑さ。 今日も一番乗りだな、と思ったら、二人もオフィスに泊まっていた。ブラック? 水曜日なので昼食は外食だが、風邪に効きそうなものを考えた結果、 近所の昭和な店でスープカレー。やはりカレーだ。 新刊書店で「高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学」(菅原晃著/河出書房新社)を買った。 夕方退社。 この不快さは、体調が悪いせいなのか、おかしな蒸し暑さのせいなのか。
帰り道の八百屋で長葱を三本 150 円で買う。 この店は古いタイプの八百屋なので、長葱を新聞紙でくるんで渡してくれる。 もちろんレジなどなく、お金は笊に出し入れしている。 片手に長葱を持って帰宅。
お風呂に入ってから、夕食の支度。 隠元の胡麻和え、蒸し豚の端っこを使って豚汁(長葱、しめじ、人参、大根皮)、鯖の梅煮、御飯。 食後に巨峰を少しと、柿を一つ。
夕食の支度の他に、残りの蒸し豚をたれで焼いて焼豚にしたり、 大量にいただいた酢橘で冬の鍋用のポン酢を仕込んだり。
喉がいがらっぽい。身体もだるいような気がするし、風邪かしらん。または、更年期障害。 いつもの朝食とお弁当作りのあと出勤。 朝から蒸し暑い。夏だ。暦の上では「寒露」だが。
今朝もオフィスに一番乗り。 昨日に続き体調がよろしくないので、比較的単純な作業で過す。 夕方、退社。やはり風邪のような気がする。
帰宅してお風呂に入ってから夕食の支度。 身体の温まるものにしようと、昨日作った蒸し豚を使って野菜も沢山の豪華ラーメン。 ベースは徳島製粉の「金ちゃんラーメン」だけれども。
夜は、グレイ卿の「フライ・フィッシング」(E.グレイ著/西園寺公一訳/講談社学術文庫) を読んだりして、安静に過す。
月曜日らしく朝が辛い。 何とか、いつもの平日用朝食の納豆定食を用意し、 おかずを適当に詰めて海苔鮭弁当らしきものを作り、出勤。 曇り空で、少し蒸し暑い。 月曜日らしく低調。とりあえず手を動かした方がいいので、何とか簡単な作業をこなす。 夕方退社。
帰宅して、お風呂に入ったあと夕食の支度。 昨夜から塩をして休ませておいた豚肩肉を蒸し豚にする。 御飯を炊いている間に、粗塩少々だけで蒸し豚を味見しつつ、シラーズを一杯だけ。 蒸し豚うまい。シラーズにはあわないが、毎回の料理にあわせてワインを買えるほどお大尽ではないのでやむを得ない。 御飯は、鯖の梅煮、隠元の胡麻和え、豚肉抜きの豚汁。 食後に巨峰少しと柿一つ。
夜はラテン語の動詞活用の暗唱カードを作ったり、ダンテ「神曲」関連の読書。
昨日と変わって蒸し暑い曇り空。明日からしばらく、また夏日だとか。 もう明後日は寒露なのだがなあ。 珈琲とヨーグルトだけの朝食。洗濯などの家事をしてから、 朝風呂に入って、湯船で「そうざい料理帖 巻一」(池波正太郎著/平凡社) を読む。 午前中は食材の買い出しなど家事の続き。
昼食は、鯖の梅煮、蒸しブロッコリ、長芋のとろろ御飯、切干し大根の味噌汁。 私にとって最も懐かしい料理とは何だろうと考えた結果、鯖の梅煮かも知れないと思った。 もちろん子供の頃には特に好きでも嫌いでもなく、 マルシンのハンバーグとキャベツの千切り炒めのケチャップとウスターソースがけの方が、 はるかに私の中の地位は高かったが。
食後に二時間ほど昼寝。 午後は家事の他、その合間にグレイ卿の「フライ・フィッシング」(E.グレイ著/西園寺公一訳/講談社学術文庫) を読んだり。
二度目のお風呂に入ってから夕食の支度。 御飯を炊いて、メインは肉じゃが(牛肉、玉葱、じゃが芋、隠元)。 肉じゃがでニュージーランドのシラーズを一杯だけ飲み、 のち、肉じゃがの残り、しらす大根おろし、糸若布の味噌汁と御飯。 食後に巨峰を少しと柿を一つ。
朝から終日、雨。昨日に続き涼しい一日。 土曜日の簡易朝食と朝風呂のあと、午前中は自主ゼミの予習など。 昼食は、秋鮭としめじの炊き込み御飯の残りで済ませておく。 他に、長芋のとろろ汁、しらす大根おろし、金時豆の煮物。 しばらく昼寝。 体調が悪いわけではないが、どことなく疲れている感じ。 気候のせいでもあり、歳だからでもあろう。
確かショーペンハウアーが書いていたと思うのだが、 生命力の面では三十六歳までは金利生活者みたいなもので、今日使った分は明日になると元通りになっている。 しかし、それから後の年齢では、金利が下がって、それだけではやって行けず、元金を取り崩し始める形だ、と。 元金に手をつけた以上、後は減る一方で、最後は破産とあいなる。 哲学者だけに、なかなかうまいことを言う。
午後は読書や料理の仕込みなどでのどかに過す。 夕方になり、二度目のお風呂に入ってから夕食の支度。 蒸しブロッコリと茹で卵のサラダ、カレーライス、らっきょうの甘酢漬け。 ニュージーランドのシラーズを少々。 食後に巨峰を少し。
夏のようだった昨日から、今日は急激に気温が下がった。 初老の身には急激な寒暖差がこたえるなあ、と思いつつ、朝食の支度とお弁当作り。 出勤して粛々と作業。 昼休憩に新刊書店で 「暮しの手帖の基本料理」を買った。 夕方退社。
夜は日比谷のみゆき座で映画 「パッション」(ブライアン・デ・パルマ監督/2012)を観る。 「ミッション・インポシブル」のヒットで今やハリウッドの大監督だとは言え、 デ・パルマにはB級サスペンスが良く似合う。 その窃視症的なテイストや、 ちょっと街角に停めた車を撮っただけで「デ・パルマだな」と分かる趣味の悪さ、いや失敬、趣味の良さ、 そして意味がありそうでなさそうな画面分割など、 一言で言うとデ・パルマらしさとは「見る」ことの多面的ないやらしさだと思うのだが、 そういうデ・パルマらしさはB級サスペンスでこそ生きてくるというものだ。
今日のお弁当は鮭としめじの炊き込み御飯、ポテトサラダ、 獅子唐とじゃこの炒め煮。結局、残りものを詰めただけで、今日もやや反省。 久しぶりにオフィスに一番乗り。 粛々とプログラミングに励む。 夕方退社。
帰宅して、お風呂に入ってから夕食の支度。 先日、親切な方が「カープソース」を送って下さった。 しかし、広島人でも大阪人でもない私は、 そんなにお好み焼きばかり食べるわけでなし、どうやって使ったものだろう、 と広島出身者に相談したところ、 「オタフクソース」のサイトに色々なレシピが出ているから参考にせよ、とのことだった。
すると、確かに様々なレシピがある。 例えば、和風の卵焼きの作り方として、卵 3 個に「オタフクソース」大さじ 1 と刻み葱を混ぜて焼く、 なんて書いてある。塩も薄口醤油も味醂もだしも不用。味付けは「オタクフソース」のみ。 これは試してみる一手だと思い(「オタフク」と「カープ」の違いはあるが)、 早速、今日の夕食のおかずの一品に作ってみた。
その結果だが、思った以上に普通の卵焼きができた。 色がやや悪くなるが、気になるほどではない。 味は、私にはやや甘く、やや塩が足りない。 だし巻きとはとても言えないが、卵焼きとしては悪くなかった。
朝から雨。台風が接近中らしい。 いつもの朝食のあと出勤。 リリース直後だからか、 それとも季節の変わり目のせいか、体調を崩しているメンバが多いみたい。 水曜日なので昼は外食。近所のカレー屋にて。 夕方退社。台風が連れて来たらしい、温かく湿った空気。
お風呂に入ってのち夕食の支度。 今日のメイン、秋鮭としめじの炊き込み御飯を炊いている間に、豚の肝の生姜醤油煮のスライスで、冷酒を五勺ほど。 他に、獅子唐とじゃこの炒め煮、長芋のとろろ汁。食後に巨峰を少し。
「ビッグデータの正体」(V.マイヤー=ショーンベルガー&K.クキエ著/斎藤栄一郎訳/講談社)、読了。 「ビッグデータ」の考え方の本質を、「データを全部見る」、「データの質より量」、「因果より相関」 の三つのみに整理してうまく描いている。 すぐに陳腐化して移り変わって行く宿命の技術的詳細にこだわらずに、その思想だけをシンプルに伝えるという意味で良書だろう。 とは言え、そのおかげでやや極論に流れるところがあり、反論したくなる箇所が沢山あったけれども。
季節の変わり目で暑いような寒いような妙な天気が続く。 おかげで身体に疲れがたまっているのだろうか。 思いがけず寝坊して、お弁当作りに力を入れよう計画がいきなり挫折。 でも、冷凍しておいた秋刀魚ごはんを電子レンジで温め、 作り置きの惣菜を適当に詰めて、つまり、いつものお弁当を作り、出勤。
何とかいつもの時間に出社できた。 夕方退社。気温はそれほどでもないが、湿度が高くて、秋の空気ではない。 帰宅して、お風呂に入ってから夕食の支度。 秋鮭の塩焼、里芋の煮物、冷奴(茗荷、生姜)で、いただきものの冷酒を五勺。 矢鱈にうまい。送って下さった方、ありがとう……。 のち、徳島製粉の「金ちゃんラーメン」(細葱、蒸しブロッコリ)。 食後に巨峰を少し。
夜はラテン語の勉強をしたり、ダンテの「神曲」を読んだり。 「神曲」関連の本を読んでいると、これこれの箇所はドロシー・セイヤーズの英訳と注釈によれば、 などという記述がたまに出てくるのだが、「ひょっとして」と思って調べてみると、 やはり推理作家のドロシー・L・セイヤーズと同一人物だった。 ところで、彼女自身によれば、彼女が創造した探偵ピーター・ウィムジィ卿はフレッド・アステアとバートラム・ウースターのミックスらしい。 ほとんど記憶にないのだが、そんなに素敵なものだったかなあ。今度、どれかを再読してみよう。
また月曜日。いつものように朝食とお弁当作りのあと出勤。 お弁当のアンソロジを読んだからというわけでもないが、 私のお弁当はあまりにも手抜きなのではないか、と思う。 明日からはもうちょっと真面目に作ろう、と思うも、 「明日からは」と言っている段階で駄目な気もする。
夕方退社。帰宅してお風呂に入ってから夕食の支度。 豚肝の生姜醤油煮の冷製で、冷酒を五勺ほど。 秋鮭のあらの塩焼、大根おろしにしらす、冷奴(大葉)、 獅子唐と茗荷の味噌汁、御飯。 食後に巨峰を少し。
夜はラテン語の勉強と、読書など。 「ビッグデータの正体」(V.マイヤー=ショーンベルガー&K.クキエ著/斎藤栄一郎訳/講談社)など。 ビッグデータねえ…。
ある日、渓流釣りに来ていて、うっかり弁当を川に流してしまった。 昼時に侘しくしていると、向こうで釣り糸を垂れている見知らぬ紳士が手招きをする。 弁当を一緒にどうか、と言うのである。 一旦は辞退したのだが、余分にあるからご遠慮なさるな、と紳士は風呂敷包みを解き、 黒塗り三段の重箱を広げ始めた。 それは、彩り、素材、手間のかかり方、どこをとっても、 かつて見たこともないような素晴しい弁当だった。 あとで一筆お礼の手紙でも書かねば、と名を尋ねたのだが、 その紳士は笑って答えず、迎えに来た車で帰って行った。 あれは何者だったのだろうか。
と、いうような話を昔、誰かの随筆で読んだはずなのだが、誰のものだったか思い出せない。 内容からして子母沢寛か伊丹十三あたりだろうと、料理関係の書棚を探索してみるも、 どこにもそのような文章はない。 もしかすると、この話は私が夢か何かで見たのかも知れないなあ、とさえ思っていたところ、 今日、「アンソロジー お弁当。」(PARCO 出版)を読んでいて、事実が判明した。
答は向田邦子だった。この実話の主人公は彼女の父親で、 弁当の紳士は勅使河原蒼風(華道草月流の創始者)だったらしい。 その紳士がどんな様子だったか、その弁当がどんな内容だったか、 精緻に記述されていたように記憶していたのだが、 それについてはやはり、私自身が妄想を育ててしまっていたようだ。 彼女の実際の文章では、このエピソードは1ページ程度で簡潔に書かれていて、 例えば、風呂敷包みの重箱、などという記述もない。
午前中はデリバティブ研究部会の自主ゼミ。 中心値と散布度による緊密性、測度の収束など。 参加メンバでのランチは、神田の居酒屋にて。 店に入ったときはまだ正午前だったのだが、 既にビールや焼酎をぐいぐい飲んでいるおじさんたちで一杯。 店の人が「飲みますか、定食ですか」と訊くくらいだから、 飲むのが普通なのだろう。素晴しきかな、神田。 とは言え、我々は素直に定食。
帰宅して二時間ほど昼寝。 午後は「動物農場」(G.オーウェル著/開高健訳/ちくま文庫) を読んだり。読了。 「動物農場」は二十世紀の古典的名作なので色々な翻訳で読むことが可能だが、 この新刊のちくま文庫版は、開高健による熱のこもった「動物農場」論、 「一九八四年」論が含まれていて貴重。 そう言えば、新訳の「一九八四年」はピンチョンの解説がついているし、 読み直してみようかなあ。
お風呂に入ってから夕食の支度。 今日のメインは、秋刀魚ごはんだ。秋だなあ。 繊細に骨をとってから、豪快に皮やワタも一緒にかき混ぜる。 他に隠元のサラダ、大根と細葱の味噌汁など。 食後に梨を一つ。
今日は良い天気。お弁当を作って出勤。メインはたらこ入りの卵焼き。 昼休みに新刊書店で「アンソロジー お弁当。」(PARCO 出版)を買う。 カレーライスに続いて、「お弁当」についてのエッセイのアンソロジー。 「お弁当」と言えば、「ことばの食卓」(武田百合子著/野中ユリ画/ちくま文庫)で読んだ文章が印象深かったなあ、 と思いつつ、書店で「アンソロジー お弁当。」を開くと一つめがそのエッセイだった。 さらに二つめが俳優の池部良で、これまた傑作。
夕方、退社して、近所の欧風カレー屋で夕食。 まずチーズを肴にヱビスビールを飲みながら、 「動物農場」(G.オーウェル著/開高健訳/ちくま文庫)より、開高健の論考「オセアニア周遊紀行」を読む。 そのあと、残ったビールとチキンカレー。
今朝も雨が続いている。 最近、猫の健康を気にして、外国産の「健康に良い」系の某キャットフードに変えたら、 あまり食べてくれない。 自分の朝食とお弁当作りのあと出勤。
オフィスにて粛々とお仕事。 昼休憩に新刊書店で「動物農場」(G.オーウェル著/開高健訳/ちくま文庫) を買った。夕方退社。
帰宅してお風呂に入ってから、いただきものの冷酒を五勺ほどで一服のあと、夕食の支度。 最近届いた荷物に、隙間に詰めるためだろうか、インスタントラーメンが沢山入っていた。 普段は食べないものなのだが、あると食べたくなる。 そんなわけで、今夜は徳島製粉の「金ちゃんラーメン」。せめて、送っていただいた野菜類で具を充実させる。 獅子唐、隠元、里芋、茹で卵。 食後に巨峰を少しと梨を一つ。
朝から小雨。秋雨らしくはなく、やや蒸し暑い。 来週、十月に入ってもまだ夏日が続くらしいのは憂鬱だが、 今年の冬は例年より寒いとの予報もあるので、それを楽しみに残暑をしのいでいこう。
と、気候くらいしか悩みや愚痴がないことが幸せということなのだろう。 確か、塚本邦雄だったと思うのだが、 閑雅な君の悩みといったら苧環(おだまき)の花芽に虫がついて困るなんてことなんだねえ、という歌があった。 ショーペンハウアーも、その人がどれくらい幸せかは悩みの些細さで分かる、 なぜなら幸福とは大して悩みのないことだからだ、という主旨のことを書いていたような気がする。
水曜日なのでお弁当作りを休み、昼食は外食。 注文したカレーが出てきたあとで、本しか持たずにオフィスを出て来たことに気付く。 店の人に「財布を忘れました……」と素直に打ち明けたのが、今日のニュースです。
夕方退社して、小雨の中を帰る。 途中のスーパーで秋刀魚を一匹と、梨を買う。 秋刀魚はまだ高いなあ。梨は見切り品で安く買えた。 帰宅してお風呂に入ってから夕食の支度。 秋刀魚一匹を丸ごと焼き、酢橘と大根おろし。 他に、獅子唐の焼きびたし、ポテトサラダ、隠元と茗荷の味噌汁。 食後に巨峰を少しと梨を一つ。
夜は自主ゼミの予習("Stochastic Processes" (K.Ito 著 / Springer))、 ラテン語の勉強(未完了過去)など。
昨日よりはかなり涼しくなったが、それでもまだ最低気温が 20 度を切ってくれない。 「開口閉口」(開高健/新潮文庫)で冬の羅臼の居酒屋の話などを読んで慰める。
いつもの朝食をとっていると、荷物が届いた。 奇特な方が野菜など色々を送って下さったものである。 ありがたし。特に東京では高価な酢橘を沢山。 これからの秋刀魚の季節になくてはならないし、 自家製ポン酢も丁度切れたところなので仕込みに使わせていただこう。
昼食はカレーライスと、隠元のサラダ。巨峰を少々。 しばらく昼寝。 午後は料理の仕込みと、合間の読書。 「江戸の風評被害」(鈴木浩三著/筑摩書房)。地味ながら面白い。 「蕎麦を食べると当たって死ぬ」(水害で使えなくなった綿畑で育てた蕎麦が有毒「らしい」)、 「馬がしゃべった」(馬が疫病の流行を予言した「そうだ」)などの一見は滑稽に思えるものから、 上水道への毒物混入、大地震などの天変地異、金融相場などに関連する風評被害、神社仏閣の風評利益など、 江戸時代の様々な風評と幕府の対応を通して、群集心理と社会システムを論じる書。
夕餉の支度。 御飯を炊く間に、獅子唐を網焼きして、冷酒を少々。冷酒もいただきもの。 鶏胸肉の照り焼きに青紫蘇、しらすと大根おろしに二杯酢、隠元の味噌汁。 食後に烏龍茶。
平穏な日曜日を家事と読書で過す。 まだ秋と言うには蒸し暑い。気温で言えば、今日も真夏日。 今日が最後であってほしいものだが。
夕方。米を研いでからしばらく置いている間に、いただきもののイカ天で冷酒を五勺ほど。 今日のメインは鶏胸肉のスライスの照り焼き。他に、しらすと大根おろし、里芋と茗荷の味噌汁、御飯。
"In the best families" (R.Stout 著 / Bantam Books) 読了。 ネロ・ウルフの宿敵、悪の天才アーノルド・ゼックとの対決、完。 ゼック三部作はどれもミステリとしても出来がいいし、 なによりホームズ対モリアーティ教授のような対決の構図が面白い。 ゼックが登場する三作は翻訳していただきたかった、いやこれからでも翻訳していただきたいと思うが、 新生ポケミスは新しい作品ばかり出しているから無理かなあ。 それに今さら、スタウトの読者がそれほどいるとも思えないし。
コクヨの 「測量野帳」 というものを知り、検索してあちこち見てまわったり、 「知的生産の技術」(梅棹忠夫著/岩波新書)の「野帳」関連のところを読み返したりする朝。
コクヨの野帳は半世紀前からのロングセラーらしいが、今また注目を集めている模様。 一冊 189 円(税込)と兎に角、安いのがいい。 同じデザインのまま提供され続け、プロに愛され続けている安定感もいいし、 硬くしっかりしたカバー、ジャストなサイズ、3mm 方眼、と全て好ましい。 まとめ買いしそうになったが、 今年はスケジュール帳とメモ帳が一冊になった某手帳を愛用していることだし、 何とか思いとどまった。
いつものように納豆定食の朝食を済ませ、朝風呂に入ってのち、洗濯などの家事。 昼食はサッポロ一番味噌ラーメン。 食後しばらく昼寝。 午後も読書などして平穏無事に暮らす。 奇特な方が、日本酒の他、あれこれ食べ物を送って下さった。多謝。 夕方、再びお風呂。湯船の読書は 「江戸の風評被害」(鈴木浩三著/筑摩書房)。
夕食の支度。 秋刀魚を塩焼にして大根おろしと自家製ポン酢、切干し大根の味噌汁、御飯。食後に巨峰を少し。
朝は涼しいのだけれども、涼しければ涼しいで、 早くもっと寒くならないかなあ、と思う。 昼休みに古本屋で 「スパイになりたかったスパイ」(G.ミケシュ著/倉谷直臣訳/講談社文庫) を買った。 開高健がジンメルの「白い国籍のスパイ」と並べて絶賛していたので。 探すのが大変かなと思ったのだが、近所のミステリ専門の古本屋の棚を見たら、置いてあった。 夕方退社。
帰宅して、お風呂に入ってから夕食の支度。 御飯を炊いている間に、切った茄子に胡麻油を塗って網で焼き、冷酒を五勺ほど。 いつもキャヴィアがあるとは限らないのが人生だから、 あるもので何とかしなければならないのだが、それが例えば焼き茄子ならばいいじゃない。
キャベツの炒めもの、白菜の浅漬、茗荷の味噌汁、目玉焼き丼。 夜はいつものように、ラテン語を少し勉強し、 ダンテの「神曲」を研究し、 "In the best families" (R.Stout 著 / Bantam Books)を読む。
湿度が低いとは言え、まだまだ暑い。早く寒くならないかなあ。 朝食ののち出勤。 水曜日でお弁当作りはお休みなので、昼食は近所の餃子屋にて。 夕方退社。
帰宅して、まずお風呂。 湯上りに、鰯の煮付けで冷えたビールを一杯だけ。 のち、白菜の浅漬、里芋の味噌汁、卵かけ御飯に大葉刻み。 食後にネーブルオレンジを一つ。
昨日深夜に "Mynd Daily" メンテナンスのお報せが届いていたところを見ると、 無事に、ヴィータ・ヌォーヴァ、すなわち「新生」 "Mynd" への移行が行われつつあるらしい。 と言うか、全ユーザに一斉メイルでお報せした以上、行われなければならない。 新生は 20 日金曜日の朝 7 時、と予告されている。
朝は流石に涼しく感じた。 こんなに気温が低かったのは、と言っても 20 度を少し切る程度だが、三ヶ月ぶりくらいか。 いつもの朝食とお弁当作りのあと出勤。 午前、午後とオフィスで過す。 リリースを間近に控え、最後のテストやデバグにオフィスは緊迫している。 私だけは、ぼーっとしているのだが。
夕方退社。 秋の気配は感じるものの気温はまだまだ高い。 帰宅してお風呂に入ってから、夕食の支度。 御飯を炊いている間に、鰤のアラの煮付けで冷酒を五勺ほど。 筑前煮、壬生菜の胡麻和え、里芋と細葱の味噌汁、御飯。 食後にネーブルオレンジを一つ。
夜はラテン語の勉強と、 "In the best families" (R.Stout 著 / Bantam Books)。 つまり、スタウトはホームズ・ファンとして、自分の作品で「空き家の冒険」をやってみたかったのではないか。
朝方は強い雨。昼頃にはやや強い風が吹いたりしていた。 朝食、朝風呂ののち、午前中は "Inferno" (Dante 著 / R.Kirkpatrick 訳 / Penguin)で原文と英訳を参照しつつ、 「ダンテ『神曲』講義」(平川祐弘著/河出書房新社)を読んだり。
昼食は実家産の玉葱とキャベツでサッポロ一番味噌ラーメン。 食後に二時間ほど昼寝。 起きたら、台風は過ぎ去っていた。 これで気候が一変、秋が訪れているのではという期待から、 果物を買いに外に出てみたが、まだ「温かく湿った空気」だった。 この「温かく湿った空気」というのは私の嫌いな言葉ベストスリーに入るなあ、 と思いつつ、ネーブルオレンジを買って帰る。 逆に「冷たく乾いた空気」という言葉は、 発音するだけで心が洗われて綺麗になるような気がする。
二度目のお風呂に入ってから、夕食の支度。 鶏肝とハツの生姜醤油煮でピノ・ノワールを少々の合間に御飯を炊く。 切干し大根の味噌汁を作り、実家から送られてきた惣菜のあれこれ。 食後にネーブルオレンジを一つ。 夜はラテン語の勉強と、 "In the best families" (R.Stout 著 / Bantam Books)など。
朝は激しい雨が降っていたが、そのあとはそれほどでもない。 午後には晴れ間も出てきた。 台風の影響の本番は明日だろうか。
納豆、たらこ、糠漬、蜆の味噌汁のお決まりの朝食のあと、 珈琲とヨーグルトのジンジャーシロップがけで一休みしてから、朝風呂。 湯船で「開口閉口」(開高健著/新潮文庫)から、いくつかエッセイを読む。 朝は "In the best families" (R.Stout 著 / Bantam Books)や、 「ダンテ『神曲』講義」(平川祐弘著/河出書房新社)を読んだり。
昼食は、玉葱と鶏レバのオムレツ、茄子のアーリオオーリオ。 午後も読書と家事など。 掃除機がけ、トイレ、風呂、玄関の掃除。 実家から届いた料理類の整理。
夕食は、冷酒を五勺ほどで、 母の作り給いし稲荷寿司と惣菜あれこれ。 夜も閑暇に憩う。
今日は真夏日。洗濯をしてから外出。 午前中は、デリバティブ研究部会の定例自主ゼミ。 参加メンバとランチののち、帰宅。 午後からは閑暇に憩う。
ダンテ「神曲 地獄篇」の対訳本、 "Inferno" (Dante 著 / R.Kirkpatrick 訳 / Penguin) より、訳者の序文解説を読んだり。 私の予定では、ラテン語の勉強を一通り終えてから、 このトスカーナ方言(イタリア語)/英語対訳本を読むと、 天国篇に辿りつく頃には、 ボルヘスのようにいつの間にか原文でダンテを読めているはずなのだが、 何年または何十年かかるか見積りは立っていない。寿命と競争くらいだろうか。
夕方。お風呂に入って、湯船で 「開口閉口」(開高健著/新潮文庫) より、三つ、四つエッセイを読む。 夕食の支度。 御飯を炊く間に、冷奴(茗荷、大葉)で冷酒を五勺ほど。 随分と安い純米生酒なのだが、意外なほど美味しい。 こういうものが安く、どこでも買えるのだから、日本は豊かだ。 のち、鰤のアラの煮付け、ツナサラダ、蜆の味噌汁(細葱)、御飯。 食後に梨を一つ。
夜は "In the best families" (R.Stout 著 / Bantam Books) の続きを読んだり。 ネロ・ウルフが世界で唯一の居場所である事務所兼自宅、 一万株の蘭と蘭の世話係のシオドア、料理人フリッツ、 部下のアーチーを置き去りに、突然、失踪するという、珍しく劇的な展開。
真夏が戻ってきた。気温の上下で疲れているのだろうか、 舌が腫れているような気がする。
暑いので昼休みもオフィスから出ず。 夕方退社。近所の洋食屋にて、「開口閉口」(開高健著/新潮文庫) を読みながら、日も高いうちからビールを飲む。 鼠は意外と美味しいものだ、などという話を読みつつ、ついでに夕食。
やはり今日は蒸し暑い。真夏だ。 帰宅してすぐにお風呂。 湯船の読書は「フェイスブック 子どもじみた王国」(K.ロッシ著/夏目大訳/河出書房新社)。 読了。
夜にはかなり涼しくなってきた。 梨を剥く。秋は梨だな。
また真夏日が戻ってきた。 午前、午後と今日も静かにお仕事。 昼休憩に新刊書店で「四季の味」の最新号を買う。 いつもは真っ先に矢吹申彦氏のエッセイを読んでいたのだが、 前号で終了したのは残念である。 夕方退社して、帰宅。外は真夏の夕暮れ。
帰宅して、まずお風呂。湯船の読書は 「フェイスブック 子どもじみた王国」(K.ロッシ著/夏目大訳/河出書房新社)。 湯上がりに、鶏肝の生姜醤油煮でピノ・ノワールを少々。 夕食の支度。 やや季節を先取り気味だが、 秋鮭としめじの炊込みご飯、冷奴(大葉、茗荷)、里芋と葱の味噌汁、と秋らしいメニュー。 食後に無花果を一つ。
夜は 150 円で買った天然鰤のアラを煮たり、 ラテン語の勉強をしたり、"In the best families" (R.Stout 著 / Bantam Books)など。
今日も比較的涼しい。静かにお仕事して夕方退社。 帰宅すると、注文したメモリが届いていたので、 MacBookPro (2008, late) の中を開けて増設。 中に猫の毛が詰まっていて驚いた。ついでに掃除しておく。
もう五年近く使っているので、そろそろ新しいのを買おうか、と思っていたのだが、 とりあえずその前に OS を Snow Leopard を経由して最新にまでアップデートし、 メモリを増設したら(しかも猫毛を掃除したら)、非常に快適に使えるようになった。 どうせ大したことには使っていないし、まだしばらくこれでいいか……。
お風呂に入って、湯船の読書は 「フェイスブック 子どもじみた王国」(K.ロッシ著/夏目大訳/河出書房新社)。 湯上がりに、豚舌でピノ・ノワールを少々。 夕食の支度。秋鮭を塩焼きにして、卵かけ御飯に大葉を刻み、里芋の味噌汁に葱の刻み。 食後に無花果を一つ。 夜はラテン語の勉強と、"In the best families" (R.Stout 著 / Bantam Books)など。
予報によれば明日からはまた真夏らしい。やれやれ。
今日も空気が乾いていて、気温は高いが過し易そう。 リリース間近なのでオフィスの緊張感は高まっているが、 私だけは特に緊急性なく、おっとりした作業を慎しく行う。 夕方、退社。
帰宅して水分補給ののちお風呂。 湯船の読書は「フェイスブック 子どもじみた王国」(K.ロッシ著/夏目大訳/河出書房新社)。 湯上がりに、鶏皮ポン酢で冷酒を五勺ほど。 夕食の支度。ツナと葱のスパゲティーニ。 無花果を一つと、オレンジを一つ。
スーパーには夜の顔があるもので、うちの近所のスーパーだと 19 時から雰囲気が変わる。 精肉、鮮魚の対面販売が終了するし、惣菜は割引が始まるし、家族連れは勿論、主婦的なお客も見かけなくなる。 一方で、中島みゆきの夜明け間際の牛丼屋ほどではないが、何かしら人生の物語を感じさせる人、 あるいは、ある種のオーラを漂わせる人がいたりする。
今日は、買い物中もレジの間もタブレット画面から目を離さない、ラフな格好の男性を見かけた。 デスマーチ中のプログラマだろうか、気の毒に、と思って、 隣に立ったときにふと画面を覗くと、表示されているのは米ドル/円と複数のクロス円のティックとチャートだった。 彼は半額に値引きされた弁当を、何故か四つも買って、割り箸も四つもらい、夜の闇に消えていった。
いつもの朝食のあと、お弁当を作って出動。 朝には、気温は低いがまだ夏の空気だなあ、と思ったが、 帰る頃には湿度が下がって、秋の始まりを思わせないでもなかった。 帰宅して、水分補給のち、お風呂。 湯船の読書は「フェイスブック 子どもじみた王国」(K.ロッシ著/夏目大訳/河出書房新社)。
湯上がりに、鶏皮ポン酢で冷酒を五勺ほど。 夏疲れ対策として鶏雑炊を作ってみた。他にツナサラダと茹で豚舌のたれ漬け。 食後に無花果を一つ。 夜は "In the best families" (R.Stout 著 / Bantam Books) を読んだり、 ラテン語の勉強をしたり。人称代名詞とか。
最近、就眠儀式として「神曲 天国篇」(ダンテ著/平川祐弘訳/河出文庫) を一歌ずつ読んでいる。 「天国篇」を楽しんで読むことは非常に難しい、との評判であるし、 「天国篇」自体にも、「小さな舟にいる人」はついてくるのを止めてさっさと岸に帰りなさい、 なんてことが始めのあたりに書いてあるのだが、読み始めてみると意外と面白い。 例えば、第二歌では、 ボルヘスが「七つの夜」の講演の第一夜で言っていた、 矢が的に当たって、飛んで、弦を離れる間に、と時間を逆転させた比喩は、 これであるな、なるほど簡潔ながら巧妙なものだ、と思ったり。 また、月の模様はどういう理由でそう見えるのか、という、 かなり論理的、科学的、実験的な議論があったり。
厚い曇り空。 珈琲、ジンジャーシロップ入りヨーグルト、無花果を一つの軽い朝食。 朝風呂の湯船の読書は 「フェイスブック 子どもじみた王国」(K.ロッシ著/夏目大訳/河出書房新社)。 午前中はラテン語の勉強と、料理の仕込み。鶏皮と豚舌を茹でて下処理など。
昼食は普段の平日の朝食メニューで、納豆(葱、ちりめんじゃこ)、たらこ、茄子の糠漬、御飯、玉葱と葱の味噌汁。 しばらく昼寝。 午後ものんびり。 「ダンテ『神曲』講義」(平川祐弘著/河出書房新社)、 "In the best families" (R.Stout 著 / Bantam Books) など。 合間に玉葱と胡瓜のツナサラダを作ったり、掃除機がけをしたり。 夕方近くから雨になった。雨降りには外国のミステリーが良く似合う。
夕食は、鱈のムニエル(アナトリアスパイスを使ったのでトルコ風?)、ピーマンと鶏皮の青椒肉絲風の炒めもの、葱スープ、卵炒飯。 食後にオレンジを一つ。 夜も閑暇に憩う。
昨夜、「ダンテ・クラブ」(M.パール著/鈴木恵訳/新潮社) を読了。 おかげで少し寝坊。熱帯夜から解放され、今朝も気温が低めだが、湿度は高い。 朝食は珈琲と、ヨーグルトのジンジャーシロップがけのみ。 朝風呂。湯船の読書は 「哲学者は午後五時に外出する」(F.パジェス著/加賀野井秀一訳/夏目書房)。読了。 午前中は洗濯などの家事。
昼食は、パセリ入りのソーセージとスクランブルドエッグ、たらこスパゲティ。 ビールを一杯だけ。 食後しばらく昼寝。 午後は「ダンテ『神曲』講義」(平川祐弘著/河出書房新社)を読んだり。 二度目のお風呂に入ってから、夕食の支度。 胡瓜もみ(ちりめんじゃこ、糸若布)、揚げ玉と玉葱と卵の丼、茄子と人参の糠漬、糸若布の味噌汁。 食後にオレンジを一つ。
夜は、「フェイスブック 子どもじみた王国」(K.ロッシ著/夏目大訳/河出書房新社) を読んだり。 フェイスブック社の 51 番目の社員が書いた、内側からのレポート。 彼女がカスタマーサポート係として入社したのは 2005 年で、サーヴィス開始の翌年。 当時、まだユーザはアメリカの学生に限定されていて、ユーザ数は五百万人程度だった。 機能面で言えば、画像をポストすることすら出来なかった頃なのだが…… そんなに何もないサーヴィスに五百万人もユーザがいた、というところからして、 フェイスブックの基本機能に何か多くの人の欲望に火をつける要素があるのだろうなあ。
曇り空。今朝は比較的に涼しい。 朝食を済ませ、お弁当を作って出動。 やはり外は蒸し暑い…… 今週はもう一つ調子が出ないのは、 縦夏休みが終了して一週間が長いからか。
ようやく金曜日にたどりついた。 夕方退社。金曜日なので、夕食は近所で。 最近、インドカレーを食べ過ぎなんじゃないか、と思い、欧風カレーにしておく。 小さなヱビスビール(チーズ付き)も追加。
帰宅してお風呂に入り、湯船の読書は「哲学者は午後五時に外出する」(F.パジェス著/加賀野井秀一訳/夏目書房)。 哲学者の女性問題について。 夜は、ラテン語の勉強と、「ダンテ・クラブ」(M.パール著/鈴木恵訳/新潮社)。
激しい雷雨で早朝に目が覚めた。 朝食の間も激しい雨が続いていたが、 家を出るくらいには小雨になった。 夕方帰る頃には、また蒸し暑い夏。 お湯のような空気に、もうグロッキー……(死語)。秋はいずこ。 目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚いたりしてみたいものだぞ。
帰宅して水分補給をして一服ののち、お風呂。 湯船の読書は、「哲学者は午後五時に外出する」(F.パジェス著/加賀野井秀一訳/夏目書房)。 湯上りに、冷奴(生姜)でビールを始め、続けてソーセージの酢漬けキャベツ煮に辛子。 ソーセージと酢漬けキャベツの相性は手堅い。 のち、御飯が炊き上がったところで、卵かけ御飯にしらすポン酢と、茄子の味噌汁。
夜はラテン語の短文解釈をしたり、「ダンテ・クラブ」(M.パール著/鈴木恵訳/新潮社)を読んだり。
夜の雨で少しは涼しくなるかと思ったら、相変わらず。 行きも帰りもお湯の中を行くが若し。 丈夫だけが取り柄の私も流石に調子が落ちてきたかも。
帰宅して、水分補給のち、まずお風呂。 湯船の読書は「哲学者は午後五時に外出する」(F.パジェス著/加賀野井秀一訳/夏目書房)。 この本によれば、ホッブスは散歩の時に必ず、特製の杖を持っていった。 この杖は握りの部分にペンホルダーとインク壺が仕込まれていたそうで、 この仕込み杖とポケットの手帳によって、ホッブスは散歩中いつでもメモをとることができた。
夕食は、冷奴(浅葱、生姜)、青椒肉絲、胡瓜もみ(ちりめんじゃこ、糸若布)、御飯、玉葱と浅葱の味噌汁。 夜はラテン語の短文解釈をしたり、「ダンテ・クラブ」(M.パール著/鈴木恵訳/新潮社)を読んだり。
朝から蒸し暑い。秋はいずこ。夕方退社して、帰宅。 今日も暑かったねぇ、と猫に話しかける夕暮れ。
ジンジャーシロップの炭酸水割りで水分補給。一服してからお風呂。 湯船の読書は「哲学者は午後五時に外出する」(F.パジェス著/加賀野井秀一訳/夏目書房)。 歴史上の有名哲学者たちのささやかで下らないエピソードを集めた本。 現代版のディオゲネス=ラエルティオス「ギリシア哲学者列伝」、というところだろうか。 この大古典よりはずっと不真面目ではあるが。
湯上がりにビールを一杯だけ。 冷奴(浅葱、生姜)、焼き茄子、青椒肉絲、と順に作りながら食べて行く。最後は自家製の麺つゆで素麺。
夜はラテン語の短文解釈をしたり、「ダンテ・クラブ」(M.パール著/鈴木恵訳/新潮社)を読んだり。
朝方は少しずつ涼しくなりつつある、ような気もする。 朝食を済ませ、お弁当を詰めて、出動。 しかし、やはり外は湿度の高い真夏日。 オフィスから一歩も出ずに夕方まで過す。
帰宅して、ジンジャーシロップの炭酸水割りで水分補給。 一服してからお風呂。湯船の読書は 「哲学者は午後五時に外出する」(F.パジェス著/加賀野井秀一訳/夏目書房)。 御飯を炊いて、夕食の支度。今日のメインは麻婆茄子。 他にポテトサラダ、玉葱と浅葱のチキンスープ、御飯。 食後にネーブルオレンジを一つ。
夜は「ダンテ・クラブ」(M.パール著/鈴木恵訳/新潮社)と、ラテン語の勉強など。 第三、第四変化動詞。
ああ良く寝た。9 月に入ったものの、今日も猛暑日らしい。 珈琲だけの朝食。洗濯など家事をしてから、朝風呂。 湯船の読書は「ダンテ・クラブ」(M.パール著/鈴木恵訳/新潮社)。
昼食はたらこスパゲティと、長葱のスープ。 しばらく昼寝ののち、 午後も家事のあれこれ。その合間に読書や、ラテン語の勉強。
夕方になって再びお風呂。 湯上がりに、いただきもののジンジャーシロップの炭酸水割り。 夕食のメインに秋鮭を塩だけで焼く。 せめて食卓に秋の香りを。 東京は今日も猛暑だが、既に秋鮭の新物が出回り始めている。 他に、ポテトサラダ、キャベツの酢漬け、御飯、糸若布の味噌汁。 食後にネーブルオレンジを一つ。
ああ良く寝た。朝食は軽めに、珈琲、ヨーグルト、チーズのサンドウィッチ。 少しラテン語の勉強をしてから、出動。 午前中はデリバティブ研究部会の定例自主ゼミ。 中心値と散布度の弱*位相に対する連続性など。 いつものように参加者とランチ。イタリアン。
帰宅。一服してから、お風呂に入って、湯船で 「神曲 煉獄篇」(ダンテ著/平川祐弘訳/河出文庫)の残りを読む。 運命の女性ベアトリーチェが降臨するのだが、 田舎の祭みたいに山車に乗ってがらがら登場するのはいかがなものか…… いかに車を引くのがグリフォンだとは言え。 「天国篇」はなかなかに読み辛いものだとされているので、一旦ここで「神曲」は中断。 湯上がりにビールを一杯だけ飲みつつ、通俗的に 「ダンテ・クラブ」(M.パール著/鈴木恵訳/新潮社)を読み始める。
夕方、身支度をして再び外出。 夜は神楽坂にて会食。
今日も早起き。 朝から気温が高い。今日、明日は猛暑日らしい。 朝食のあと、サンドウィッチのお弁当を作って、出動。
昼休みにちょっと外に出たら、猛烈な熱風が吹きつけていた。 さすがフェーン現象。実際、午後の気温は体温を越えたらしい。 新刊書店で「ダンテ『神曲』講義」(平川祐弘著/河出書房新社)を買う。 この前のボルヘスの誕生日 8 月 24 日にボルヘスを読み返していたのが切っ掛けで、 ダンテの「神曲」に興味を持ち始めた昨今。 夕方退社して、素早く帰宅。
お風呂に入って、湯船の読書は「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 最終章「世界の分配」と、「五十年後のあとがき」。 最終章で、植民地獲得競争から第一次世界大戦の結末までを語り、 それでもなお希望を信じる言葉で一旦筆を置いた著者が、その五十年後に書いたあとがき。
湯上りに冷やした無花果を一つ、さらにポテトサラダの残りでビールを一杯だけ。 のち、素麺(錦糸卵、茗荷、生姜、大葉)。 夜はラテン語の勉強と、「神曲 煉獄篇」(ダンテ著/平川祐弘訳/河出文庫)など。
昨夜あまりに早く寝たので、かなり早起き。 「古楽の楽しみ」を聞きながら「神曲 煉獄篇」(ダンテ著/平川祐弘訳/河出文庫) を読みつつ、流石に 5 時起床だと朝に余裕があるなあと思う。
朝食の支度をして、お弁当を作り、朝食を済ませて出動。 また湿度が上がり、真夏の気候。今日から週末にかけてまた猛暑の復活だとか。 これで最後だと良いのだが。
夕方退社して、散髪に行く。散髪中の読書も「神曲 煉獄篇」。 遅くなったので近所でカレーの夕食を済ませて帰宅。 お風呂に入って湯船の読書は「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 イタリアの統一とドイツ帝国の誕生。
今朝も空気が乾いて比較的に涼しいが、日差しは痛いほど厳しい。 秋はまだ遠い。水曜日なので昼は外食。 競馬新聞に没頭する老人たちに囲まれながら、 「神曲 煉獄篇」(ダンテ著/平川祐弘訳/河出文庫)を読みつつ、餃子を食べる。 夕方退社。
帰宅して、まずお風呂。湯船の読書は 「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 産業革命と、その頃の中国と日本とアメリカ。 湯上りに冷やした無花果を一つとスパークリングワインを一杯だけ。 夕食は、ポテトサラダ、キャベツ炒め、長葱の味噌汁、しらすと大葉の卵かけ御飯。
夜は「神曲 煉獄篇」を読んだり、ラテン語の勉強をしたり。 第一第二変化形容詞の別形。
朝起きると、知らぬ間に夏は過ぎ去っておりました、 と言いたくなる涼しい朝だが、天気予報によれば今週はまだ暑いらしい。 珈琲、ヨーグルト、いつもの納豆定食のあと、お弁当を作って出動。
昨日で縦夏休みは終了。 やはり夏休みは横にとらないと休んだ気がしないものの、 もう一日おまけの休みがある小さな幸せが毎週続くのも悪くない。 長く連続した休みをとるのが難しい人などは、この「縦休み」をお試しあれ。 猛暑が少しは過し易くなるかも。
早めに退社して帰宅。 夕方から、キッチンの水廻りの修理工事に入ってもらうため、あれこれ片付けと準備。 カレーライス、ポテトサラダ、らっきょうの甘酢漬けで、夕食も簡単に済ませておく。 のち、工事の立ち会い。一時間半ほどで完了。 この数日間、料理に困っていたのだが、これで解決。 蛇口も新品ぴかぴかで、めでたし。
夜はラテン語の勉強をしたり、「神曲 地獄篇」(ダンテ著/平川祐弘訳/河出文庫)を読んだり。
いつもの納豆定食の朝食。 朝風呂に入って、湯船で 「神曲 地獄篇」(ダンテ著/平川祐弘訳/河出文庫)を読む。 午前中はラテン語の勉強など。 第一変化名詞の例外的な変化。
昼食はキャベツのアーリオオーリオ、チーズを少し、冷やした無花果、スパークリング・ワインを一杯だけ。 小一時間食休みをしたあと、「神曲 地獄篇」を読む一日。
夕食は、鶏手羽の黒酢煮(煮卵つき)、マカロニサラダの最後の残り、もろきゅう。 最後の縦夏休み日を祝して、冷酒を五勺ほど。 のち、素麺(茗荷、大葉、生姜)。
昨夜は久しぶりに、熱帯夜ではなかったようだ。 寝室を出てもそれほど暑くない。外は小雨。 どうやら今日は久しぶりに、真夏日にもならないらしい。 珈琲、ヨーグルトだけの軽い朝食のあと、朝風呂。 湯船の読書は「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 ナポレオンの興亡。 午前の残りはラテン語の短文解釈など。
早めの昼食は、サンドウィッチ三種(胡瓜、チーズ、卵)、冷やした無花果を一つ、スパークリングワインを一杯だけ。 しばらく食休みをしてのち、午後は料理の仕込みや家事のあれこれ。 ポテトサラダと、鶏手羽の黒酢煮を作った。
夕食の支度。鶏手羽の黒酢煮、マカロニサラダ、葱のチキンスープ、御飯。 夜は、「神曲 地獄篇」(ダンテ著/平川祐弘訳/河出文庫)と、 「シャーロック・ホームズの最後のあいさつ」(A.C.ドイル著/阿部知二訳/創元推理文庫)。
この「最後のあいさつ」所収の「瀕死の探偵」の有名なホームズ語録に、 「大洋の底がどうしてぎっしりと牡蠣だらけになっていないのか、ぼくにはわからん」がある。 この知名度の高さに比べると、「半クラウン」の方は全くと言っていいほど知られていない。 ホームズがワトスンに半クラウン硬貨を何枚持っているかと尋ね、 ワトスンが五枚だと答えると、「ああ、少なすぎる、少なすぎる!実に運が悪いな」と嘆いた上で、 半クラウンは全部、時計用のポケットに入れて残りの小銭はズボンの左ポケットに詰めろ、 などとワトスンに指図するのだが、 この「半クラウン」は「牡蠣」よりギャグとして完成度が高いと思う。
今、思いついたことには、パブあるいはオイスター・バーの店名として「牡蠣と半クラウン」 は、なかなか洒落ていると思うのですが、どうですか。
ああ良く寝た。 寝坊したので朝食は珈琲、ヨーグルト、チーズを少し。 朝風呂に入って湯船で 「ラテン語の世界」(小林標著/中公新書)を読む。 午前中はラテン語の短文解釈など。
早めの昼食はいつもの朝食的メニューで、 納豆(大葉、茗荷、ちりめんじゃこ)、たらこ、胡瓜の糠漬、茗荷と揚げ玉の味噌汁、御飯。 食後の昼寝ののち、午後も閑暇のうちに過す。 冷やした無花果とスペインの安物スパークリングワインを一杯だけ。 「シャーロック・ホームズの復活」(A.C.ドイル著/深町眞理子訳/創元推理文庫)より、 「アビー荘園」と「第二の血痕」。
夕食の支度。豚肉生姜焼き、キャベツ千切り、マカロニサラダ、もろきゅう、糸若布の味噌汁、御飯。 夜は、「七つの夜」(J.L.ボルヘス著/野谷文昭訳)の「第一夜 神曲」を参照しながら、 「神曲 地獄篇」(ダンテ著/平川祐弘訳/河出文庫)より第五歌、第二十六歌を読んだり。
朝食のあと、お弁当を作って出動。 今日も空気をしぼったら、お湯がしたたってきそうな蒸し暑さ。 午前、午後と仕事をして、さっと帰る。
帰宅してお風呂。 湯船の読書は「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 フランス革命、ロベスピエール。 夕食はお弁当用のおかずの残りの、青椒肉絲、マカロニサラダなどで簡単に済ませておく。
夜は「ビッグ・アップル・ミステリー」(アシモフ他編/常盤新平訳/新潮文庫)より、 「殺人は笑いごとじゃない」(R.スタウト)。 ニューヨークの各地域 12 箇所を舞台にした短篇ミステリを選んだアンソロジーで、 西 35 丁目はもちろんスタウトのネロ・ウルフの縄張り。
昨夜の雨で少しは涼しくなったかと期待していたのだが、 湿度が上がってより蒸し暑いだけ。 朝食をとり、お弁当を作って、出動。 午前、午後と推敲仕事。 夕方退社。
帰宅して水分補給で一休みしてのち、お風呂。 夕食の支度。餃子の皮の残りを使い切る。 今日は皮の上下をくっつけただけで左右を解放したまま焼く焼き餃子。 神保町に詳しい方には「スヰートポーヅ」式、と言えばすぐに分かるだろう。 ちなみにウー・ウェン先生によれば、中国で餃子と言えば茹でるか蒸すものであって焼き餃子はないが、 鍋貼(ゴーティエ)あるいは火焼(ホアンヤオ)がそれにあたる、とのことである。 スヰートポーヅ式の焼き餃子は、老北京鍋貼(ラオベイチンゴーティエ)あたりであろう。
夜は、明日のお弁当のおかずにチーズオムレツと青椒肉絲を仕込んだり、 老眼鏡をかけてラテン語の勉強など。
比較的気温は低いが湿度が高くて蒸し暑い。 午前、午後とオフィスにて心静かに推敲作業など。 水曜日なので昼食は外で。 オフィスから一番近いインド料理屋に久しぶりに行く。 マトンのカレーと野菜のカレー。 夕方、近付く雨雲の動きを見計らって退社。 家に着く直前くらいに、土砂降りの雷雨。 かなり激しい雨だったが、三十分くらいで通り過ぎて行ったみたい。
まだまだ餃子の皮が余っているので、今日はミニピザにした。 餃子の皮にオリーヴオイルを塗り、ケチャップと適当な具を載せ、 チーズを振って、オーヴントースターで焼く。 こういう「素敵な奥さん」系の料理は不本意なのだが、やむを得ない。 と言いつつ、後片付けも楽だし、なかなか結構なものだな、と思った。
夜はラテン語の勉強と、「シャーロック・ホームズの復活」(A.C.ドイル著/深町眞理子訳/創元推理文庫)より 「金縁の鼻眼鏡」、「スリークォーターの失踪」など。
三日ぶりに外出して、オフィスへ。 外は猛暑らしいので、オフィスからは一歩も外に出ず。 しかし、外に出ないことにはお家に帰れないので、 夕方やむをえず炎天下を帰宅。やはり猛暑だ。
お風呂に入って湯船の読書は「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 クロムウェル、リシュリュー、そしてルイ十四世の治世のところ。 夕食の支度。餃子の皮を消費するために、今日は茄子とキャベツと油揚げの水餃子。 茹で上がったところを待ち構えて、黒酢と辣油で食す、を三度繰り返す。 お供は冷えた贋ビール。焼き餃子もよいが、水餃子もなおよし。 食後に巨峰を少し。
夜はいつものラテン語の勉強のあと、 "The Elements of Style" (W.Strunk Jr. & E.B.White 著/ Allyn and Bacon) をぺらぺらと。 今、昼間は英文の推敲作業をしているので、気持ちを盛り上げるため。 この題名をもじった "The Elements of Programming Style" (B.W. Kernighan & P. J. Plauger) という古典的名著があるように、この英文スタイル指南書は情報科学系の人に人気がある。 しかし、英語の専門家には、かなり批判的な人もいるようだ。 英文スタイルの本としての良し悪しについては、私には全く判断できないのだが、 推敲しよう、良い文章を書こう、というその気にさせる、という意味では、良い本だと私は思う。
相変わらず月曜日は夏休み。 昨夜は「捜査官ポアンカレ — 叫びのカオス」(L.ローゼン著/田口俊樹訳/ハヤカワ・ミステリ 1874) で夜なべしてしまったため、寝不足。 鍵になっている数学的部分については荒唐無稽の感はあるし、 プロットも終わってみればやや拍子抜けなのだが、 兎に角、勢いがあって、一気に読ませるスリラーだった。
いつもの朝食ののち一服してから朝風呂に入り、湯船で 「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫) を読む。 午前中はラテン語の勉強など。 昼食の支度時になったので、また餃子を作る。 今回は豚肉とキャベツを中心に、韮、生姜、大蒜などを入れた強い味の餡で。 昼食は餃子を焼いて即、冷えた贋ビールで食べる。 食後に昼寝。また二時間以上寝てしまった。
午後はマカロニサラダを仕込んだり、家事をあれこれ。 二度目のお風呂。 湯船の読書は「食卓は人を詩人にする」(山縣弘幸著/潮出版社)より、豚、雉、鶉、鶏の項目。 夕食の支度。 鯵の開きを焼いて、マカロニサラダ、キャベツの酢漬け、油揚げと茗荷の味噌汁、御飯。 食後に巨峰を少し。 うーん、このメニューのカオス感が日本の家庭料理というものだろうか。
ああ、良く寝た。かなり寝坊。 朝食は水とヨーグルトと巨峰だけで済ませておく。 洗濯をしてから、朝風呂。 湯船で「捜査官ポアンカレ — 叫びのカオス」(L.ローゼン著/田口俊樹訳/ハヤカワ・ミステリ 1874) を読み始める。 この週末の楽しみにとっておいたもの。
昼食は、鯵の開きを焼いて、納豆(昆布と大葉)、胡瓜の糠漬、韮の味噌汁、御飯。 良く寝たはずだが、また昼寝。二時間くらい寝てしまった。 相変わらず、いくらでも眠れる。 祖先が三年寝太郎か何かなのだろうか。 冷たい珈琲で目を覚まして、ラテン語の勉強をする。 ラテン語文の翻訳は、ちょっとしたパズルのようで面白い。 パズルの中でもジグソーパズルに似ている気がする。 夕方までは家事あれこれと、その合間の読書。
夕食は、豚肉とじゃがいもと茄子のグリーンカレーペースト炒め煮、 トマトとカッテージチーズのサラダ、油揚げと茗荷の味噌汁、御飯。 夜も「捜査官ポアンカレ」など。
今日も早起き。 水とヨーグルトとキウィと巨峰だけの簡単な朝食。 しばらく読書などして開店時間を待ち、近所のスーパーに買い出しに行く。 帰宅して朝風呂。 午前中は "The second confession" (R.Stout 著 / Bantam books) を読んだり。
昼食の支度。ポテトサラダの最後の残りと鯵の開きで贋ビールを始め、茄子の糠漬、山形だし、御飯。 茄子の糠漬には辛子があう。 食後にちょっと横になろう、と思ったが最後、二時間以上熟睡していた。 午後は読書など。
今朝、期限切れ間近で安売りしていた餃子の皮を買ったものだから、 夕食は焼き餃子。餡は茄子と豚肉。 韮と溶き卵のスープを添える。 茄子餃子、うまい! 餃子の皮はまだまだ沢山余っていて、 出来る限り早く使い切らなくてはいけないことをちょっと負担に思っていたのだが、 今は毎食餃子でも OK さ、くらいの気持ち。
夜は "The second confession" の大詰めを読んで、読了。
今日も早起き。歳のせいだろうか、起きるのが段々と早くなってきた。 いつもの朝食のあと、オムライスのお弁当を作って出動。 鞄の中のオムライスを楽しみに午前中を過す。 普通の金曜日に、オムライスのアクセントを。 午後は鞄の中の「シャーロック・ホームズの復活」(A.C.ドイル著/深町眞理子訳/創元推理文庫) を楽しみに過し、夕方退社。 普通の金曜日に、ホームズのアクセントを。
夕食は近所の洋食屋にて。 「シャーロック・ホームズの復活」より「空屋の冒険」を読みつつ、冷たいビールを一杯だけ。 泡の出る飲み物は昼に飲む方が美味しい。
帰宅してお風呂に入り、湯船で「ノーウッドの建築業者」を読む。 夜はさらに、「踊る人形」、「ひとりきりの自転車乗り」、と読み進める。 いい夜だ。
昨日に続き、早朝に目が覚めてしまって、余裕のある朝。 朝食を済ませて、お弁当を作り、出動。 家の周りはすっかり夏休みの雰囲気で、人っこ一人いない。 猫達すら暑さを避けてどこかに消えている。
午前午後とオフィスで過す。 最近はこの炎天下に外を歩き周るのは危険だという認識から、 昼休憩の散歩を昼寝に置き換えている。 午後早い時間に退社。素早く帰宅。
水分補給をして一服してから、お風呂。 湯船の読書は、「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 夕食の支度。 卵とトマトの炒めもの、ポテトサラダ、山形だし、御飯、糸若布のスープ。 食後に巨峰を少々。
夜はラテン語の勉強と、 "The second confession" (R.Stout 著 / Bantam books) を読んだり。
あまりに早く寝過ぎて、かなりの早起き。 水曜日はお弁当作りを休むので、さらに余裕のある朝。 朝食のあとゆっくりしてから出動。 今日は久しぶりにオフィス一番乗り。 冷房が効いてくるまでに熱中症で倒れないよう水分補給。
昼食は近所のインド料理屋にて。 神保町はカレー天国で、インド料理屋も沢山ある。 オフィスから気軽に歩ける範囲だけでも数軒あって、 今日はそのうちの近い方から三番目くらいだが、 本屋街と方向が違うので滅多に行かない店。 マトン、茄子、ダールのカレー三種とサラダと巨大なナン。 食後に熱いマサラ・チャイ。
午後も軽めに作業をして、素早く退社。素早く帰宅して、すぐに水分補給。 体調が落ち着いてから、お風呂。 湯船の読書は、「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 夕食の支度。鶏肉の鍬焼き、ポテトサラダ、山形だし、御飯、オクラのチキンスープ。 食後に巨峰を少し。
夜は、明日のお弁当用のチキンライスを仕込んだあと、 ラテン語の勉強や、読書など。
三日ぶりに人里に下りて行く。 しかし、ほとんどの人間は避暑やヴァカンスに消えたらしく、人影は少ない。 オフィスから一歩も出ずに午前午後と過し、 夕方とも言えないほど早い時間に退社。山の涼しい洞窟に帰る。
帰宅。まず水分補給をし、一服してから、お風呂。 湯上がりに、冷やしトマトにカッテージチーズ、ポテトサラダで、贋ビールを一杯だけ。 その間に御飯を炊いて、鶏胸肉とピーマンの青椒肉絲、豆腐と長葱のチキンスープ。
夜は "The second confession" (R.Stout 著 / Bantam books) を読んだり、ラテン語の勉強をしたり。 動詞、名詞、形容詞の第一変化、第二変化を覚えたので、 その範囲で短いラテン語文の解釈など。
さて、洞窟の天井から逆さにぶら下がって寝るか。
月曜日は夏休み。通常通りに起床して、いつもの朝食。 朝風呂に入ったあと、午前中は "The second confession" (R.Stout 著 / Bantam books) を読んだりして、のんびり過す。
昼食はカレーライスとらっきょう甘酢漬け。 食休みにしばらく昼寝。 午後は料理の仕込みなど。 ラテン語の第一第二変化形容詞の活用を暗唱しながら、 実家産のキタアカリを蒸して、玉葱、人参、ピーマン、 蒸し鶏の残りとあわせてポテトサラダを作った。
夕方、再びお風呂。湯船の読書は 「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 上巻読了。 湯上がりに、ポテトサラダと醤油卵で冷酒を五勺ほど。 窓を開けて、雷鳴の轟く夏の夕暮れの蒸し暑さを楽しむ。 さらに、自家製の麺つゆで素麺(茗荷、生姜、山形だし)。
夏の夕暮れは素麺で充分に堪能したので、 そのあとは窓を閉め、夜も読書などして静かに過す。 気付いたら三日間ずっと家に篭り切りだった。 明日は人里に下りて行かねば。
また寝過ぎ。 朝食は、ココナツミルク、ヨーグルト、ブルーベリー、オレンジ一つで軽く済ませておく。 洗濯をしてから朝風呂に入る。 湯船の読書は「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 午前中はラテン語の暗唱用カードを作ったり。
昼食は、豚肉とピーマンの青椒肉絲、マカロニサラダ、山形だし、御飯、豆腐と長葱の味噌汁。 食後にしばらく昼寝。 午後は家事のあれこれ、 その合間に "The second confession" (R.Stout 著 / Bantam books)の続きを読む。
あらゆる犯罪をマスターマインドする悪の天才ゼックの尻尾を、再び踏んでしまったウルフ。 自慢の蘭の温室をマシンガンで襲撃されたウルフは、その報復に立ち上がるのだが……というお話。 ホームズ対モリアーティ教授に対応するウルフ対ゼックものという観点からは、 ゼックの名前が初登場する "And be a villain" に続く第二幕。 これはさらに、第三幕 "In the best families" に続くが、 このトリロジーは残念ながら翻訳されていない。 ネロ・ウルフものとしては欠かせないエピソードのはずだが、 一つ訳すと三つ訳さなくてはならない羽目になるので、敬遠されたのだろう。
夕方、再びのお風呂から上がり、 窓を開けて、夏の夕暮れの蒸し暑さを楽しみながら、冷えた贋ビールを飲む。 オニオンスライスに胡麻油と自家製ポン酢と大葉のドレッシング、 鶏レバの生姜醤油煮のだし汁で作った醤油卵、 鶏肉と茄子とピーマンのグリーンカレー。
夏の夕暮れの素晴しさはビールとグリーンカレーで充分に堪能したので、 そのあと夜は、空調の効いた部屋で "The second confession" を読んだり。
土曜日の朝食は珈琲とブルーベリーとヨーグルトだけで済ませる。 ジーンズを洗濯してから朝風呂。 湯船の読書は「食卓は人を詩人にする」(山縣弘幸著/潮出版社) より魚介篇。
魚偏に「時」と書く字に「魚」と続けて「シーユイ」と読む魚が揚子江にいて、鱗の見事さと美味で知られる。 この立派な鱗をつけたまま調理して、その鱗をしゃぶるようにして鱗と身の間の皮のところを賞味するのだそうだ。 清朝の頃のあるお偉方が、水槽にこの魚を入れて揚子江から北京までの二千五百里を、 時々水を入れ替えながら馬三千頭で運ばせ、それでも生きたまま到着したのは千尾のうち二、三匹で、「一尾値千金」と呼ばれた、とか。 また、清朝も下って日清戦争の頃となると、 食通で知られた欽差大臣の李鴻章は、この魚を軍艦で揚子江から天津に運び、天津から北京へは陸軍の大部隊に運ばせたらしい。 なお、この魚は自らの美しい鱗が傷つくことを恐れて、網にかかると動かなくなるため、惜鱗魚(シイリンユイ)とも呼ばれる、と。 うーむ、いやはや、なんとも東洋的。
昼食は、 胡麻鯖の照り焼き、納豆(大葉、茗荷、ちりめんじゃこ)、茄子の糠漬、豆腐と長葱の味噌汁、御飯。 食休みにしばらく昼寝してから、午後も料理の仕込みなど。 昨夜から塩をしておいた鶏胸肉を蒸しながら、 ココナツミルクで作った飲み物を傍らに "The second confession" (R.Stout 著 / Bantam books) を読む。
夕方になって、二度目のお風呂。湯上りにマカロニサラダと贋ビールで一服してから、夕食の支度。 蒸し鶏とオニオンスライスに胡麻油とポン酢と大葉のドレッシング、山形だしをかけた御飯、 生姜と長葱のチキンスープ。食後に冷やした桃を一つ。 夜も "The second confession" など。
フルに十時間くらい熟睡して元気回復。 たっぷり朝食を食べて、お弁当を作り、家を出る。 今日も猛暑になるらしい。 午前、午後とオフィス。 かなり早い時間に今日の目標が達成されたので、 まだ夕方と言うにも早い時間だが、 さっさと帰ることにする。
土日月と自宅を出なくていいように、帰り道に食材を十分買い求めて、帰宅。 水分補給して一服ののち、お風呂に入る。 湯船の読書は 「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 湯上がりに、鶏レバの生姜醤油煮で贋ビールを始めながら、 「ラ・ロシュフコー箴言集」(二宮フサ訳/岩波文庫)を読む。 そのあと、鶏肉と茄子とピーマンのグリーンカレー。 うまい。やはり夏はタイ料理と薄いビールだ。
ラ・ロシュフコーの言葉で好きなものの一つは、 「われわれは皆、他人の不幸には充分耐えられるだけの強さを持っている」、かな。
昨夜は飲み過ぎたので、朝食は珈琲、ブルーベリー入りヨーグルト、オレンジ一つだけであっさり。 作り置きのおかずを適当にお弁当に詰めて、オフィスへ。
夕方退社、さっと帰宅。 まず水分補給をして一服してから、お風呂。 湯上りに、冷奴(茗荷、大葉、鰹節)で贋ビールを一杯だけ。 続いて、マカロニサラダ、胡麻鯖の照り焼き。 食後に冷やした桃を一つ。 夜は "The second confession" (R.Stout 著 / Bantam Books) を読んだり、 ラテン語の勉強をしたり。
加齢による記憶力の減退は哀しいくらいに残酷で、 第二変化名詞の活用を覚えたら第一変化名詞の方を忘れているし、 両方何とか覚えたと思ったら第一変化動詞の活用を忘れている。 第一変化動詞の活用を覚え直したら、第一変化名詞も第二変化名詞も忘れている。 ざるで水を汲むような、と言うのは、こういうことなんだろうなあと、しみじみ。 ここまで記憶力が衰えると、知的な作業や仕事は困難だろうから、 昔の人が人生五十年と言ったり、四十にもなったら隠居して後進に道を譲ったりしたのは、もっともなことだなあと思う。
私もそろそろ隠居して、万年青や文鳥を育てたり、 昔はさぞ美人だったろう縞の着物の似合う師匠に長唄を習って、 あンた筋がいいよしっかりおやり、とか、気のない感じで言われたい。
最近は蒸し暑いとは言え比較的気温の低い日が続いていたのだが、東京にも再び猛暑到来。 猛暑日は誰でも仕事を休んでいいことにしたらどうかなあ……と思いつつ出勤。 水曜日はお弁当を作るのを休む日なので、昼食は近所の洋食屋へ。
こういう日は木陰でモヒートでも飲みながらコクトー詩集でも読むのが、 快く、かつ、思慮ぶかく美しく正しい生活の仕方だと思うのだが、 エピクロスの悟りは現代人には遠い蜃気楼なのだろうか…… と思いながら、まだ午前中の洋食屋に入ると、 おじさんたちが各々のテーブルで、 ランチのプレートを肴に生ビールを飲みながら文庫本を読んでいた。 近所の古本屋のご主人たちとか、大手出版社の窓際族の方々だろうか、 現代人もなかなか豊かなようだ。いや、私は飲んでません。 午後も軽く仕事をして、夕方退社。
帰宅して、水分補給をしてから、お風呂。 湯船の読書は「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 湯上がりに、鶏レバの生姜醤油煮で冷えた贋ビールを飲んで一服していたら、 N 研究所に出張で来ている K 大の S 君から食事のお誘い。 神保町に出かけなおす。
朝食とお弁当の支度をして、朝食を済ませて出勤。 気温は低いが、蒸し暑い。嵐の予感。 午後、定例のミーティングをしている間に大雨洪水警報が出た。 大雨にならないうちに退社。 既に雨が降り始め、息もできないような蒸し暑さ。
帰宅して、まずお風呂。 湯船の読書は 「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 お風呂上がりに、鶏レバの生姜醤油煮と冷酒を五勺で一服してから、夕食の支度。 鯵の開き、マカロニサラダ、山形だし、御飯、葱と生姜のスープ。 食後にオレンジを一つ。 夜は "The second confession" (R.Stout 著 / Bantam Books) を読んだり、ラテン語の勉強をしたり。第一変化名詞。
月曜日は夏休み。 珈琲、ヨーグルト、ブルーベリーで目を覚ましたあと、朝食の支度。 胡瓜の糠漬、たらこ、納豆と山形だし、御飯、豆腐と長葱の味噌汁。 朝風呂に入って、湯船の読書は 「若い読者のための世界史」(E.H.ゴンブリッチ著/中山典夫訳/中公文庫)。 若い読者ではないけれども。 ラテン語の第二変化名詞の変化を暗唱したりしているうちに昼。
昼食はカレーライス、自家製のらっきょう甘酢漬け、チェコの瓶ビール。 昼間に家で飲むビールは美味しい。 食後しばらく昼寝。親が死んでも食休み。 昼寝のあと目覚しにオレンジを一つ食べて、 午後は、読書と料理の仕込みなど。 マカロニサラダと、鶏レバの生姜醤油煮を作った。 買うと美味しくないけれど、自分で作ると必ず美味しい、 というタイプの料理があるもので、マカロニサラダはその例だと思う。
今日二度目のお風呂に入ってから、夕食の支度。 鯵の開きを焼いて、マカロニサラダ、山形だし、御飯、長葱と揚げ玉の味噌汁。 夜も「若い読者のための世界史」を読んだり。 今日もいい一日だなあ。
八時過ぎまで寝てしまったので、 朝食は軽く珈琲と、ヨーグルトと、ブルーベリーを少々。 洗濯をしてのち、朝風呂。 午前中は料理の仕込みと読書など。 "And be a villain" (R.Stout 著 / Bantam Books)。
昼食は鯵の開きを焼いて、紐茄子の糠漬、山形だし、御飯、豆腐と長葱の味噌汁。 食後、しばらく昼寝。午後は読書と、家事のあれこれ。 夕方になって夕食の支度。 鶏手羽元と長葱の酢醤油煮の残りと醤油卵、 焼き茄子(生姜)、山形だしをかけた冷奴、御飯、紐茄子の味噌汁。 夜も読書など。"And be a villain" 読了。
私の最近の趣味の一つは、辞書を傍らにレックス・スタウトのネロ・ウルフものを読むことで、 ストーリーが面白くなくても面白いのだが、"And be a villain" はストーリーも面白い。 スタウトのベスト級に入るのでは。これは翻訳を出すべきだと思うなあ。 ところで、この長編には、ウルフの宿敵で悪の天才アーノルド・ゼックが、ある巧妙な犯罪の黒幕として登場する。 「巧妙」と言っても、「赤毛連盟」の強盗計画や、ブラウン神父ものに出てくる怪盗フランボウの犯罪にも似て、 あまり現実的とは思えない、よくぞそんな馬鹿馬鹿しいことを思いつきましたね、 というタイプの巧妙さなのだが、そこが天才的犯罪者のユーモアと言いますか……天才的なところ。
それはさておき、スタウトはシャーロッキアンだったので、 モリアーティ教授に対応する悪のキャラクタを創造せずにはいられなかったと見える。 ゼックが初登場するこの "And be a villain" には、確率論が専門らしき数学者も登場するが、 それもホームズへのオマージュをほのめかすためだろう(モリアーティは元数学教授)。
盛蕎麦に山形だしの朝食のあと、定例のデリバティブ部会自主ゼミへ。 明日からのファイナンス系研究会のため上京した R 大の女子学生 4 人が飛び入り参加。 女性が多数派になった上に、お菓子を差し入れしていただいたりして、いつもとは一味違った雰囲気。 ランチは参加メンバでタイ料理。 タイ料理ではパイナップルを使うときがあるが、 この味覚のセンスはなかなかのものだなあと思いつつ、 パイナップルと海老のカレーを食べたり。
帰宅して、午後はお風呂に入ったり、 "And be a villain" (R.Stout 著 / Bantam Books) を読んだり、ラテン語の暗唱用カードを作ったり。 夕食は昨日作った鶏手羽元と長葱の酢醤油煮と、 そのだしに一晩漬け込んで作った醤油卵、 胡瓜もみ(ちりめんじゃこ、糸若布)、紐茄子の糠漬、御飯、豆腐と茗荷の味噌汁。
夜も "And be a villain" など。
今日も比較的に涼しい。 メンバの持ち込みによる提供で、オフィスに氷かき機とミキサーが登場。 これで生産性が急上昇するに違いない。 いや、ひょっとすると、いっそ、かき氷屋に転業する手もあるのではないか?
ベンチャーと言うと、ついITとか新素材とかIPS細胞とかに気持ちが向きがちだが、 スターバックスやアマゾンのことを思えば、かき氷で挑戦してどこがいけないのか。 アメリカ人に、フランス人に、中国人に、ケニア人に、 本物の日本のかき氷の素晴しさを伝え、「かき氷体験」(しゃくしゃく、きーん)を売ることは可能に違いない。 しかも、地球は高温化している。 近いうち、フィンランド人にだってかき氷を売れるだろう。 地球上の全ての街の 1 ブロック毎に神保町かき氷屋を作れるくらい市場があるのではないか。 などと妄想しているうちに午後も過ぎて、夕方退社。
今週の東京は気温が低いとは言え湿度は物凄く、 汗をあまりかかない私でも、少し歩くと汗が吹き出してくる。 ああ、ここにかき氷屋があれば! 帰宅して、まず水分補給をしてから一休み。 そのあとお風呂。 湯上がりに、冷奴(茗荷、大葉、生姜)で冷えた贋ビールを飲む庶民の幸せ。 そして、ゆるゆると、夕食の支度。 メインは鶏手羽元と長葱の酢醤油煮。 御飯に山形だし、大和芋のとろろ汁(大葉)。
小雨の降る朝。気温も低い。 いつもの朝食のあと、お弁当を作って出勤。 もう八月か。早いなあ。 そんなわけで、「暮しの手帖」の 8-9 月号を昼休みに新刊書店で買った。 夕方退社。 午後からは晴れて、気温も上がり、大変な蒸し暑さ。 知的な文化は空気が綺麗で乾いた土地にしかない、 と書いていたのはニーチェの「この人を見よ」だったかなあ、 などと思いつつ帰宅。
帰宅して、水分補給をして一服してから、お風呂。 湯船の読書は "To save everything, click here" (E.Morozov著 / Allen Lane)。 夕食の支度。 昨日から仕込んでおいた山形の「だし」、塩鮭、御飯、大和芋のとろろ汁(浅葱)。 「だし」をかけた御飯が美味しい。夏だなあ。 食後にオレンジを一つ。 夜は、ラテン語の勉強をしたり、 "And be a villain" (R.Stout 著/ Bantam Books)を読んだり。
山形の「だし」は主に胡瓜と茄子などの夏野菜を小さく刻んで、 そこに生姜や茗荷などの薬味の微塵切りにしたものも混ぜ、 醤油をかけてしばらく冷蔵庫に置いただけのもので、主に御飯にかけて食べる。 オクラなどの粘りのあるものも入れるとなお良し。 聞いただけでは「?」な感じだが、試してみると意外に良いものだ。 夏の暑い時には素晴しく美味しくて、他の季節だと特にそうでもない不思議な料理で、 元気な夏野菜の味をその季節に集中して味わうところに良さがあるのだろう。
朝食のあと、ラテン語の動詞活用と引用文の暗唱カード二枚を作って、出勤。 一日に暗唱カード二枚が老人の限界かなあ、と。 「独習者のための楽しく学ぶラテン語」(小林標著/大学書林) の第 2 課より、 動詞 "sum" の現在形と未完了過去形の変化表と、「始めに言葉ありき」うんぬんの短文。 宗教はあまり好きではないのだが、 初学者向けの暗唱文にはウルガータ(カトリック公式ラテン語訳聖書)からの引用が多い。 やはり、極端に単純で、かつ、意味深い文章と言うと、そうなってしまうのはやむをえないのだろう。
午前、午後とお仕事。 水曜日はお弁当なしなので、昼食は近所でスープカレー。 昼食の帰りに神保町交差点を通ると、 F屋スーパーのあたりに何か、不穏なムードが漂っている。 近寄ってみると、弁護士名義で閉店のお報せが貼ってあり、 文章の中に「破産」という言葉が見える。 今日まで改装のための在庫一掃セールだったはずだが……。
夕方退社。すると、交差点の向こうに不穏な動きが。 どうやら近くのS大学の職員たちが大学当局の不当な扱いについて訴えているようだ。 どうも今日は街角の不景気なムードが目に入る一日だなあ。 たまたまだろうとは思うが。
帰宅。気温はそれほどではないとは言え、歩いて帰るには大変な蒸し暑さだった。 水分補給をして、一息ついてからお風呂。 湯上がりに、鶏砂肝の大蒜オイル煮で、冷たい贋ビールを飲みつつ、 ようやく生きた心地がする。 さらに、いただきもののオリーヴの実とチーズで贋ビールを終えたあと、落ち着いてから夕食の支度。 塩鮭を焼き、他に胡瓜もみ(糸若布、ちりめんじゃこ)、大和芋のとろろかけ御飯(浅葱)、オクラの味噌汁。 ついでに、明日以降のために山形名物の「だし」なるものを作ってみる。 本物を見たことがないのだが、大体こういうものだと聞いているので、 胡瓜、紐茄子、茗荷、オクラ、生姜を適当に細かく刻み醤油をかけて、適当に混ぜ、冷蔵庫に保存。
昨年からだろうか、うちの猫が、夏になると横に寝転がったまま水を飲む技を身につけたのだが、 これは日本の夏が過酷になっているせいなのか、 猫が賢くなっているのか、または歳のせいで堕落してきているのか。 ちなみに、キャットフードの方は普通に箱型に座って食べている。 そんな年老いた堕落猫のキャットフード代を稼ぐために、今日も出勤。
昼休憩に新刊書店で 「独習者のための楽しく学ぶラテン語」(小林標著/大学書林) を買った。 「はじめてのラテン語」(大西英文著/講談社現代新書)で、 大体ラテン語文法の雰囲気は分かったので、 いよいよ教科書できちんと勉強しようかと。
夕方退社して、食材など買い求めて帰宅。 お風呂上がりに、鶏砂肝の大蒜オイル煮を肴に、冷えた贋ビールを飲んで、庶民のささやかな口福を満喫。 その間に御飯も炊けたので、支度にかかり、 メインは薬味だけの貧乏ちらし寿司(茗荷、生姜、胡麻、大葉、ちりめんじゃこ)と、大和芋のとろろ汁(浅葱)。 歳のせいか、薬味の類が好きになってきて、 薬味だけのちらしも結構ご馳走だし、茗荷の握りとか乙なもんだな、と思う。 山葵巻きなんてのも悪くない。 食後にオレンジを少々。
夜は、ラテン語の勉強をしたり、 "And be a villain" (R.Stout 著/ Bantam Books) の続きを読んだり。
どうしてこんなに眠れるのかなあ…… 月曜日は夏休み。 珈琲、ヨーグルト、オレンジ一つの軽い朝食。 朝風呂に入って、湯船の読書は 「不思議なミッキー・フィン」(E.ポール著/今本渉訳/河出書房新社)。 午前中は読書の続きと、お風呂そうじなどの家事。
米を炊いて、昼食の支度。鰻の蒲焼の残りと大和芋で鰻ざくとろろ御飯、 胡瓜の糠漬、切干し大根と浅葱の味噌汁。 少し食休みをしてから、午後も読書などして、のんびり過す。 そうこうしているうちに、夕方。夕餉の支度。 また鰻の残りを使って鰻巻き、鶏砂肝の大蒜炒め、自家製の麺つゆで素麺(浅葱と生姜)。
夜も読書など。「不思議なミッキー・フィン」、読了。 罪のないドタバタ式のユーモア小説で、細部の描写が古のパリの香りを伝えて芳しい。 吉田健一が誉めたおかげで、 日本ではエリオット・ポールの名前だけは良く知られているし、いくつか翻訳もあるが、 消えていく文化を伝える、消えていくタイプの、作家なんじゃないかなあ、という気がしないでもない。 実際、アメリカではほとんど絶版の模様。 かなりユニークな人物だったようで、 Wikipedia の "Elliot Paul" の項目も、 短いわりに味がある。
ところで、「ミッキー・フィン」の結末近くに、 「アメリカじゃあ探偵は何か知りたいとき瓶ビールをたらふく飲むって本当か?」 という台詞がある。 これは、ネロ・ウルフのことでしかありえない、と思って確認すると、 レックス・スタウトがネロ・ウルフをデヴューさせたのは 1934 年、"Fer-de-Lance"(「毒蛇」) でのことだから、「ミッキー・フィン」が出版された 1939 年に間に合う (なお、1939 年は第二次世界大戦勃発の年でもある)。 「ミッキー・フィン」の訳者あとがきによれば、 エリオット・ポールはスペイン内乱の悲惨を目にして、 自らの精神状態を保つため、強いて明るいユーモア・ミステリを書こうとしたそうで、 ミステリをほとんど読んだことがなかったポールは、 かのシェイクスピア書店から沢山のミステリ小説を借りて勉強したらしい。 それが 1938 年のことだと言うから、 その中にアメリカでヒットしていたスタウトの初期傑作群が含まれていて当然だろう。 エリオット・ポールは第二次世界大戦直前のパリで、スタウトのネロ・ウルフものを読んだ、はず。
ああ良く寝た。 冷たいミルクで珈琲を割って、目覚しにする。 他にヨーグルト少々だけの、軽い朝食。 洗濯などの家事をして、朝風呂に入る。 昼食の支度。平日の朝食的メニューで、 冷奴(生姜、浅葱)、たらこ、納豆(ちりめんじゃこ、浅葱)、糸若布の味噌汁、御飯。 食休みの昼寝を少々。 午後も家事あれこれの他、 「不思議なミッキー・フィン」(E.ポール著/今本渉訳/河出書房新社) を読んだり。
「不思議なミッキー・フィン」の作者エリオット・ポールは、 吉田健一のお気に入りで(無論、吉田健一はポールをポオルと書くが)、 「最後に見たパリ」(E.ポール著/吉田暁子訳/河出書房新社)を激賞して、 「荷風の『ふらんす物語』などこれに比べれば寝言に近い感じがする」とまで書いているし、 この「ミッキー・フィン」から始まるミステリ小説の連作もあちこちで誉めている。 アメリカ国籍の若きディレッタントで究極の暇人ホーマー・エヴァンズが探偵役の主人公で、 第一次世界大戦後のパリを舞台に愉快な奇人変人、芸術仲間たちと浮かれ騒ぎながら、 奇妙な事件を解決したりする、というシリーズ。
吉田健一がこんなミステリ小説を読んで、にやにやしていたのかと思うと、ちょっと楽しいが、 これらのエッセイとミステリに共通するのは、 二つの大戦の間に挟まれた時期のパリとそこに暮らす人々の生き生きとした描写であり、 吉田健一にとっては、それは失われたパリ、そして、象徴としては、失われた東京でもあり、 失われつつあった文化の最後の輝きだったのかも知れない。
夕方涼しくなった頃に買い出しに行く。でも、やはり蒸し暑い。 道路の真ん中に近所の子猫が猫倒し、じゃなくて、横倒しになって、 通り過がりの人々にお腹を撫でられるままになっていた。 猫もこの暑さじゃ、やってられないだろう。 冷たいマタタビビールか何かをきゅーっ、とやって 「やっとれん」とか何かぼやきたいに違いない。
帰宅し頃に雨が降り出した。お風呂に入ってから、夕食の支度。 冷奴とポテトサラダで贋ビールを始め、メインは出来合いの鰻の蒲焼で鰻丼。 らっきょうの甘酢漬け。 夜も「ミッキー・フィン」など。
昼食後しばらく昼寝ののち、身支度をし、 高橋葉介的なちょっとおどろおどろしい模様のネクタイを締めて、銀座に出かける。 シャンパーニュと食べ物を調達してから、歌舞伎座へ。
夕方から夜にかけ、歌舞伎座にて「東海道四谷怪談」を観る。 お岩を菊之助、伊右衛門を染五郎。言わずと知れた鶴屋南北の傑作、怪談の中の怪談である。 舞台の他にも、落語、小説、映画、TV ドラマにと、様々なヴァリエーションで取り上げられるので、 誰でも大まかな筋は知っているし、 歌舞伎で観たことがなくても、「髪梳き」や「戸板返し」などの場面が目に浮かぶ。 今回、菊之助はお岩と小平と与茂七の一人三役なので、 「戸板返し」の表と裏を一人で演じるし、大詰めで伊右衛門を討つ与茂七も菊之助。トリッキー。 さらに、大詰めの「蛇山庵室の場」の直前、 伊右衛門が見る一時の美しい夢である「蛍狩の場」が歌舞伎座では三十年ぶりに演じられる、 ということにも期待。 やはり、血と悪のグロテスクには、蛍狩のような儚げな美が表裏に寄り添ってこそ、 互いが際立つというものだ。
今回は桟敷席をとっていただいたので、 夏はやはり怪談だねえ、などと言いつつ、 合計四時間強を飲み食いしながらの観劇。
比較的に気温の低い日が続いていたのだが、今日は暑い。 いつもの朝食とお弁当作りのあと出勤。 午前、午後と静かにお仕事。 夕方退社。
帰宅してまずお風呂。 湯船の読書は「四谷怪談」(廣末保著/岩波新書)。 のち、夕食の支度。 豆腐と胡麻油と浅葱の白和え、ポテトサラダ、しらすと大根おろしに自家製ポン酢、糸若布の味噌汁、御飯。 作ってから気付いたが、料理が全て白い。こういう失敗もたまにある。 食後にパイナップルを少々。
そう言えば誰かから、ブルガリア料理はたいてい白く、 どの皿もかき氷みたいで食卓は真っ白だ、と聞いたことがある。 ブルガリアと言えばヨーグルトの白いイメージしか浮かばないので、 その時は「へぇ、そうなんだ。さすがブルガリア」と感心したのだが、 今、「ブルガリア料理」で画像検索してみると、 確かに彩り豊かとは言えないものの、そんなに真っ白じゃない。 からかわれたのだろうか(笑)。
昨日のパズル の解答。 不可能であることが、以下のようにパリティ(偶奇性)を用いて簡単に証明できる。
チェス盤の市松模様に注目し、二つの石が同色のマスにある場合を「偶配置」、 異なる色のマスにある場合を「奇配置」と呼ぶことにする。 異なるマスに黒石一つ、白石一つを置く方法は 64 かける 63 通りあるが、 このうち、偶配置は 64 かける 31 通り、奇配置は 64 かける 32 通りあって、後者の方が 64 通り多い。 一方、ある配置からどちらかの石を上下左右のどのマスに動かしても、 偶配置は奇配置に、奇配置は偶配置に変わることに注意せよ。 よって、この動かし方を続ける限り、 辿った配置における偶配置と奇配置の数の差は 0 か 1 にしかならない。 しかし、全ての配置では奇配置の方が 64 多いのだった。 ゆえに、全配置を一度ずつ辿ることはできない。
この問題の出典は、2001 年のモスクワ数学オリンピックだそうだ(その割にはちょっと易しめ?)。 私は Futility Closet で知った。
久しぶりにパズル。チェス盤が舞台なのは、パリティ(偶奇性)に注目しなさい、 というヒントであり、そう思うとパスタイムに丁度良いくらいの手頃な問題かと。
8x8=64 マスの普通のチェス盤の異なるマスに黒い石一つと白い石一つを置く。 ここから、どちらかの石を上下左右のマスのどれかに移動する、というステップを繰り返して石を動かして行く。 ただし、黒石と白石が同じマスに入ってはいけない。 この方法で、盤上の異なるマスに黒石一つと白石一つを置く全ての配置を一度ずつ辿ることができるだろうか。 できるならその方法を示し、できないならそれを証明せよ。 解答と出典は明日。
今日は暑くなりそう。 私が休みの日に涼しくて、出勤日に暑いのは、納得いかない。 でも逆に、私が休みの日に暑くて、出勤日に涼しいだけでは、物足りない。 つまり、猛暑に皆が働いているときに私だけが、涼しい自宅で休んでいられるのが理想だ。
いつもの朝食とお弁当作りのあと出勤。 昼休みの時間帯は猛暑。外に出るのは危険そうなのでオフィスで過す。 午後には、激しい雨。まさに豪雨が通り過ぎていった。 雨の合間を見計らって、夕方退社。
帰宅してまずお風呂に入ってから、夕食の支度。 胡瓜もみ(ちりめんじゃこ、糸若布)、鶏皮の辛子ポン酢で贋ビールを飲みつつ、 「男の手料理」(池田満寿夫著/中公文庫)を読む。 鶏皮ポン酢がうまい。ちょっと手間はかかるが、非常に安上がりな口福だ。 のち、豚肉ともやしの炒め物、オクラと茗荷の味噌汁、御飯。 食後にパイナップルを少々。
たまに池田満寿夫の「男の手料理」を読むと心が洗われる。これは名著だと思う。
御飯の上に目玉焼きをのせてウスターソースをかけて食べるとうまい、とか、
茹で卵を乱切りして醤油をかけて食べると最高、
なんて素敵なことがどんどん書いてある。
たまに手のかかるものが出てきたなと思うと、
フライパンのサイズの巨大ギョーザとか。
しかし、それでありながら、今度の女房に変わって贅沢が分かるようにもなったと書く。
もう何年もパリに住んでいるのにフランス語ができないので、
女房がいないとレストランでまともな注文ができないとも書く。
モテる男の料理はこれだな、と思う。
芸術家にしてエピキュリアンたる男はこういうものであり、
その作る料理とはこういうものなのである。
私のようにちまちま鶏皮ポン酢やもやし炒めを作っているようでは駄目なのだ。
ああいう料理だからこそ、あんな顔して満寿夫はもてもてだったのだ。
そうに違いない。
少し寝坊して、7 時過ぎに起床。 珈琲、甘夏入りヨーグルトで目を覚ましてから、朝食の支度。 小さい豚丼、胡瓜の糠漬、大根と茗荷の味噌汁。 朝風呂に入って、 午前中は「生ける屍」(P.ディキンスン著/神鳥統夫訳/ちくま文庫) の続きを読む。読了。いかにもディキンスンらしい、と言うか、ディキンスンはいつもディキンスン。
ちなみに、このちくま文庫版「生ける屍」には、 俳優の佐野史郎氏の巻末エッセイがついている。 少し前に放送していた連続 TV ドラマで、佐野史郎氏が古書店主を演じていて、 そこで R.F.ヤングの短編集「たんぽぽ娘」がテーマになったのだが、 そのコバルト文庫版「たんぽぽ娘」と同じくサンリオ文庫版「生ける屍」も古書市場で非常に高額だった、 ということ以外に関連性はなさそう。
昼食は、秘蔵のパンツェッタを使ってカルボナーラ。 食後にしばらく昼寝。昼寝から覚めて、"Stochastic Processes" (K.Ito 著/ Springer)の予習や、 料理の仕込みなど。夕方になって、近所のスーパーに食材の買い出し。
涼しくなったかと思って外出したのだが、 気温はさほど高くないものの、湿度が猛烈。雨が近そうだ。 帰宅して、お風呂に入ってから、夕食の支度。 鶏皮の辛子ポン酢、実家産のじゃがいもと玉葱だけの単純ポテトサラダで、贋ビールを始め、 メインは豚肉と茄子とピーマンのグリーンカレー。
やはり、雨になった。 夜は "And be a villain" (R.Stout 著/ Bantam Books) を読み始めたり。
いくらでも眠れるなあ。 8 時くらいまで寝てしまった。 朝食は珈琲、甘夏いりヨーグルト、ピンクグレープフルーツだけで軽く済ませておく。 洗濯をして、お風呂に入り、湯船の読書は "Three doors to death"(R.Stout著 / Bantam books) より "Door to death"。 湯船で読書することの唯一の問題点は、たまに栞を湯に落としてしまうことだ。 午前中は "Door to death" の続き。読了。
昼食は親子丼と、茄子の糠漬、大根の味噌汁。 食後にしばらく昼寝。そのあとは、 「生ける屍」(P.ディキンスン著/神鳥統夫訳/ちくま文庫) を読み始める。
たぶん瀬戸川猛氏の「夜明けの睡魔」だったと思うのだが、 ディキンスンのピプル警視シリーズをとにかく変な推理小説である、 と絶賛(?)している評論を子供の頃に読んで以来、 ディキンスンの翻訳はほとんど読んでいる(児童文学と聖書もの以外)。 その紹介のされ方というのが、 存在感の薄い主人公ピプルが、舞台設定だけは奇妙奇天烈な事件に遭遇しては何もせず右往左往し、 しかもシリーズが進むごとにおちぶれて歳をとり、 警察はクビになり、ボケはじめ、最後は療養施設で事件を解く、 という調子。だったと思うのだが、記憶の中で変質したのかも。 でも、これは読まずにおれないな、と、 当時から既に入手困難だったディキンスンを集めて読んだものだった。 今、思うと、知的な意味であまりに背伸びだったと思う。
夕方になって、掃除などの家事を片付け、お風呂に入ってから、夕食の支度。 と言っても、一昨日のレッドカレーの残りが今日のメインなので楽。 夜も「生ける屍」。
ああ良く寝た。 珈琲、甘夏ジャム入りのヨーグルト、ピンクグレープフルーツだけの簡単な朝食ののち、 定例のデリバティブ研究部会自主ゼミに向かう。 伊藤オルフス大講義録より、一次元確率測度の空間の弱*位相と Levy 距離。 そのあとのランチは蕎麦屋にて、海老天つけ蕎麦。
帰宅して、午後は主に読書など。 「幸福の計算式」(N.ポータヴィー著/岡部直子訳/阪急コミュニケーションズ)、読了。 幸福感についての行動経済学の最新研究は、私の認識とほぼ一致している。 多分、ゴータマ・シッダールタの認識とも一致しているだろう。
例えば、結婚初年度の幸福感は、数十万円もらうことと同程度でしかなく、 しかも約二年間で消滅し(これは昇給の喜びに慣れるのよりも早い)、以降はややマイナスに(つまり、不幸に)なる、とか、 子供を持つと持たないより少し不幸になる、とか、 人は配偶者や子供と死別した悲しみにもわずか一年間で順応し、元の幸福度をほぼ回復する、とか、 一方、いくら時間をかけても順応できない最悪の不幸は通勤時間である、とか。 とは言え、人間はこのような事実と正反対の行動をし、そのことが幸せであり、生き甲斐だと信じる。 おそらく、進化論的な理由か、ショーペンハウアー言うところの「意志」のせいだろう。
お風呂からあがって、 米を炊いている間に、いただきものの梅醤(うめびしお)と山葵を和えたもので冷えた贋ビールを始める。 夕食のメインは、鶏肉とピーマンとキャベツのタイ風炒めものかけ御飯。 日本の夏の幸せは、ホットなタイ風炒めものかけ御飯と、クールな飲み物。
今日はちょっと涼しめかな。いつもの朝食をとって出勤。 昼は近所にて会食の予定なので、お弁当は休み。 出勤して静かにデータ処理。 夕方退社して、近所で散髪をし、カレー屋で夕食を済ませて帰宅。 髪を切ってもらいながら、 "Three doors to death"(R.Stout著 / Bantam books) より "Door to death" を読み進めた。
今年は縦に夏休みをとることにした。 来週から毎週月曜日は夏休みである。八月末まで毎週が三連休。 これに夏休みの効果があるのか、毎日の幸せに結びつくのか、身をもっての実験である。 この実験結果が日本の闘うサラリマンに与える影響は小さくないであろう、と確信するものだ。 とりあえず、最初の報告として、「金曜夜の幸福度はかなり高い」。
いつもの通り朝食を作り、お弁当を詰めて出勤。 曇り空で蒸し暑い。 最近の私は、近頃の日本の夏を乗り切るにはタイ(風)料理ではないか、 いう確信を深めつつある。そんなわけで、 既にタイ料理のレシピ本は複数持っているのだが、 昼休憩に古書店で 「私のタイ料理」(氏家昭子著/柴田書店) を買う。
以前からこの本には興味を持っていて、たまに古書店で手に取っていたのだが、 タイ料理のスパイスは石臼(「クロック」と言うらしい)でつぶさないと本格ではない、とか、 タイ料理と一口に言っても北、東北、中央、南、と四地方で違い、宮廷料理もまた別、 なんて難しいことが最初の方に書いてあるので、ちょっと敬遠していた。 しかし良く見てみると、シンプルなレシピがけっこうあって、 それほどおっかなくはない。 それに、勝手に適当なアレンジが加えられたものより正調のレシピの方が、 自分なりに変形したり簡略化した時に本物との差異が分かって有り難い。
夕方退社。午後から気温が上がり、真夏日に。やむなく地下鉄で帰る。 帰宅して、お風呂に入ってから、夕食の支度。 御飯が炊けるのを待つ間に、 大根の浅漬に梅肉、胡瓜もみ(ちりめんじゃこ、糸若布)で贋ビールを始め、 のち、鶏肉と茄子とピーマンのレッドカレー。 食後にピンクグレープフルーツを少々。
先週に比べれば今日も涼しい。いつもの朝食のあと出勤。 水曜日でお弁当はなし、昼食は近所の餃子屋にて。 夕方退社。銀座へ向かう。
夜は、孤高のネットワークハッカー改め、独立系 SI 会社社長 N さんと、鮨屋にて会食。 N さんはこの春に個人事業を法人化して代表取締役兼社長に就任され、お忙しくしておられるようだ。 しかし聞いている分には、人脈を拡げるためと称しての娯楽的な予定ばかりのような気がするのだが、 もちろん、自分で自分を雇っているのだから文句を言われる筋合いはどこにもない。 ワイン講習会に、落語の会に、銀座バー巡りにと、景気刺激に尽力していただきたい。
それはさておき、以前は N さんに出張時の猫の世話を気楽に頼んでいたのだが、 これからはお忙しい社長に頼むわけにはいかないだろうことが残念だ。 ちなみに、N さんも昨年から猫を飼い始めた。 「ノルウェーの森の猫」と言う品種で、名前の通り極寒に耐えられるよう身体が大きく毛が長い。 雪原を歩くため指の間にも毛房をたくわえているとか。 この蒸し暑い東京での生活は大丈夫なのか、ちょっと心配ではある。
ja.Wikipedia の項目 に、この品種の「成長過程」の写真があるのだが、「一年弱」と「一年半」の間にかなりのギャップが。 その間に何か事件があったとしか思えない。
珈琲、キウィ、ヨーグルトで目を覚ましてから、朝食の支度とお弁当作り。 出勤。北方から涼しい高気圧が入って来ているらしく、今週はそれほど暑さに苦しまないで済みそう。 夕方退社して、久しぶりに歩いて帰る。 しかし、日陰はわりと涼しいとは言え、夏であることには変わりない。 途中でちょっと後悔。
帰宅して、とりあえず水分補給。一息ついてからお風呂。 夕食のメインは豚肉の生姜焼き玉葱入りバージョン。 つけあわせに、トマトと千切りキャベツ。 長芋の味噌汁、御飯。
夜は 「はじめてのラテン語」(大西英文著/講談社現代新書)でラテン語の勉強と、 "Three doors to death"(R.Stout 著/ Bantam books)より "Omit flowers"。 "Omit flowers" 読了。 "Omit flowers" というタイトルが効いている。
今日も猛暑日だそうだ、噂に聞いただけなので詳しくは知らないが。 十時間ほど寝て、8 時過ぎに起床。 レモンを絞った冷水とヨーグルトで目を覚ましてから、いつもの納豆定食の朝食。
朝風呂に入ってから、 「HHhH — プラハ、1942年」(L.ビネ著/高橋啓訳/東京創元社) の続きを読む。 読了。リョサが「偉大な書物」とまで絶賛したそうだが、 そこまでとはいかなくても、非常に楽しめた。 「HHhH」とは "Himmlers Hirn heißt Heydrich" (「ヒムラーの頭脳はハイドリッヒと呼ばれる」)の頭文字、 すなわち、ヒムラーの右腕としてユダヤ人虐殺を指揮したラインハルト・ハイドリッヒ。 このハイドリッヒを暗殺すべくロンドン亡命中のチェコ政府が計画した「類人猿作戦」の顛末を描いた作品。 フィクションでもなく、ノンフィクションでもなく、ノンフィクションを書くというフィクション、と言ったところで、 喩えれば、ミラン・クンデラがナチスを題材にドキュメンタリを書いたらこんな感じかも、 と言うと著者に失礼だろうか。
昼食は、蒸し鶏とキャベツ千切りとトマトの冷やし麺。 食後二時間ほど昼寝。 二時間も寝てしまうと、午後はほとんど昼寝でつぶれてしまうのだが、 それはそれでいいじゃない。
夕食は、冷奴(茗荷、細葱、生姜)とオクラ茗荷和えでビールを始め、 豚肉とキャベツのタイ風炒めものかけ御飯。 フェデリコ・カルパッチョ氏の専任通訳の小暮修氏も言っていたが、 日本の夏はタイ風炒めものかけ御飯にビールだ。 今日もいい一日だなあ、と思いつつ、 "Three doors to death" (R.Stout 著/ Bantam Books)より、"Omit flowers" を読む夜。
ああ良く寝た。昼寝も二時間以上しているのに、いくらでも眠れる。 朝食の支度。 納豆(ちりめんじゃこ、細葱、茗荷)、胡瓜の糠漬、たらこ、オクラと細葱の味噌汁、御飯。 朝風呂に入ってから、洗濯などの家事。 一段落して、「HHhH — プラハ、1942年」(L.ビネ著/高橋啓訳/東京創元社) を読み始める。
昼食は、作りおきの惣菜類と、揚げ玉と柚子胡椒のお茶漬け。 てんちゃはしつこいかな、と思ったのだが、揚げ玉が上等なせいか、 むしろ、あっさりとして美味しかった。思いつきの柚子胡椒があう。 二時間ほど昼寝ののち、午後も家事と読書など。 夕方、雷をともなう激しい夕立。
夕食の支度。御飯を炊く合間に、 冷奴(茗荷、生姜)、胡瓜と玉葱とツナの和え物で、ビールを少々。 御飯が御櫃で蒸らされるのを待って、長芋とオクラのとろろ御飯(自家製ポン酢)、葱と大根の皮のスープ。 夜も「HHhH」を読んだり。 今日も良い一日だ。
さて、昼食。 玉葱と胡瓜とツナの和え物でビールを始め、 「編集者を殺せ」を読みながら、 御飯が御櫃で蒸らされるのを待つ。 のち、カレーライスで残りのビール。今日はいい日だ。
食後は空調の効いた部屋でしばらく昼寝。除湿万歳。 ほんの十五分ほどうたたねのつもりだったのだが、 気付いたら二時間半ほど寝ていた。 昼寝のあとの午後は、読書など。
夕食の支度。昨日から塩をしておいた鶏肉で蒸し鶏を作る。 冷奴(細葱、茗荷、生姜)、蒸し鶏と胡瓜とトマトの冷やし麺。 夜も静かに読書。 「編集者を殺せ」を読了。なかなかの佳作だった。
今日も猛暑日。 幸せとは何か一度でも真剣に考えたことのある人ならば今頃、 前衛的なオブジェのような装置で茹で卵の殻をコツンコツンと割りながら、 ベリー類を散らした冷たいクスクスの皿を物憂げに眺めているのは、 朝食のオレンジジュースをミモザにするのはコードに反するのかしら、 と考えているだけだったりする、そんな高原のテラスの遅い朝なのだろうと思うが、 今日も味噌代を稼ぐために炎天下に出動だ。
オフィスに到着して、 冷水とアイスクリームで身体の熱を冷ましてから、 午前二時間、午後二時間働く。 外に出るのは危険なので、オフィスから一歩も出なかった。 夕方退社して、速やかに帰宅。 帰宅すると、「四季の味」の最新号と「編集者を殺せ」(R.スタウト著/矢沢聖子訳/ハヤカワ・ミステリ 1767) が届いていた。良い連休になりそうだ。
玉葱酢大豆、ツナと胡瓜と玉葱のサラダで冷酒を五勺ほど。 のち、自家製の麺つゆで素麺(生姜、細葱)。 小一時間ほど食休みしてから、近所のスーパーに食材の買い出しに行く。 日が落ちてもまだ気温は 30 度を越えているので、 外出したくはなかったのだが、 三連休を幸せに過すためにはやむをえない。
今日も猛暑日である。 正しい人生観を持った方ならば、今頃、 東南アジアって日本より涼しいんだねえ、なんて言いながら、 朝市で粥の朝食をとり、ドリアンを買ってホテルに戻ったら、 お客様、お部屋にそれをお持ち帰りになることは禁じられております。 もしよろしければ、こちらでお預かりしまして、 お好きな時にあちらのレストランでお出しいたしますがいかがでしょう、 なんて、イスラム風のユニフォームの美人が胸に手を置いてにこやかな笑顔で言うものだから、 おっとそれはエクスキューズミー、ここのシェフのニョニャ料理は最高だね、などと、 どぎまぎ答えているそんな最中だろうが、 私は今日もキャットフード代を稼ぐために炎天下に出動する。
いつもの通り、午前二時間、午後二時間、オフィスから一歩も出ずに働いて、夕方退社。速やかに帰宅。 お風呂に入って、湯船で「コクトーの食卓」(R.オリヴェ著/J.コクトー画/辻邦生訳/講談社)を読む。 そして何故か今まで全く気付いていなかったのだが、 表紙のコクトーの絵を見ていたら、ふと、このオリヴェというのはソースの本で有名なオリヴェではないか? と思い至り、あとで調べたら、やはりそうだった。 と言うよりむしろ、そうでしかありえず、何故気付いていなかったのか謎。
さて、夕食。 作りおきのポテトサラダと玉葱酢大豆で、税金の安い贋ビールを一杯だけ。 のち、トマトと胡瓜とツナの冷たい麺。 たれは醤油、味醂、酢、胡麻油で作った。 夜は、レックス・スタウトとラテン語。
今日も猛暑。猫もソファの下で伸びている。 炎天下を出動。 まっとうな暮らしをしている人々は今頃、 道路でレモン・シャーベットを食べながら、 ホテルへ送ってくれる、 ヴィオロンセロより美しい辻馬車を待っているところだろうが、 日本はマヨルカ島のパルマではない。
午前、午後と低調気味にオフィスで過す。 昼食は近所のインド料理屋にてチキンカレーとナン。 ついでに新刊書店で 「HHhH」(L.ビネ著/高橋啓訳/東京創元社) を買った。 夕方退社して、素早く帰宅。
お風呂に入ってから、夕食の支度。 長芋の短冊に自家製ポン酢、茹で卵入りのポテトサラダで、贋ビールを一杯だけ。 のち、自家製の麺つゆで素麺(茗荷、生姜、細葱)。 食後に冷やした桃を一つ。
朝食とお弁当作りのあと出勤。今日も猛暑日。 まともな人たちは今頃、マルティニーク島の波止場から大型帆船が離れて行くのを見て、 「まあ、綺麗な、百貨店が動き出したみたい」なんて、 フェッラガーモのドレスを潮風にそよがせながら言っているところだろうが、 日本の労働者は 7 月だろうが 8 月だろうが炎天下を出社する。 それが、メッシホーコー・スピリット。
午前、午後とオフィスで働く。 この暑さでは外に出るのも危険なので、昼休憩もオフィスで仮眠。 夕方退社。素早く帰宅。
お風呂に入ってから、夕食の支度。 作りおきのポテトサラダ、胡瓜もみ(糸若布、ちりめんじゃこ)で贋ビールを飲みながら、 「食卓は人を詩人にする」(山縣弘幸著/潮出版社)を読む。 のち、豚肉の生姜焼き(玉葱入り)、らっきょうの甘酢漬け、とろろ御飯。 食後に冷やした桃を一つ。桃はいいね。
夜は、 "Three doors to death"(R.Stout 著/ Bantam books)より "Omit flowers" の続きを読んだり、 「はじめてのラテン語」(大西英文著/講談社現代新書)でラテン語の勉強をしたり。
さて、出勤。 外に出ると、今日も昨日に続いて、猛暑。 梅雨が明けたら即猛暑で、少くとも今週はこんな調子らしい。 この暑さで働く人なんてあまりいないだろう。 みんな、那須高原とか、コモ湖畔とか、グラインドボーンとかに行ってしまったに違いない。 そしてこんな暑さでも満員電車で通勤して働く生真面目な労働者の健気さを思って、 お気の毒に、前世に何があったのかしら……なんて話しているんだ、 芝生でナイティンバーのスパークリングを傾けつつ、胡瓜のサンドウィッチをつまみながら。 ここのローストビーフも何と言いますか、以前のようではないように思いますの、 年寄の感傷でしょうねえ、良き日々は真っ先に消えて行きますわ、なんて言ってるんだ、そうに違いない。 次の選挙では共産党に入れよう、と秘かに誓う私であった。
出社して、心を落ち着け、静かにお仕事。 普段なら昼休みに神保町散歩に出るところだが、 熱中症で倒れて救急車で搬送されかねないので、ずっとオフィスで過す。 午後も同じ調子で過して、夕方退社しようと思った頃に、雷雨。 夕立の合間を見計らって退社。 雨に降られずには済んだが、外は天然のサウナ状態。
帰宅して、お風呂に入ってから、夕食の支度をしながらの夕食。 冷えたビールで、豆腐と葱の白和え。 水を切った木綿豆腐をつぶして多めに刻み葱を和えて、塩と胡麻油だけで味を整える、 という難易度の高い料理である (この料理は「贋食物誌」(吉行淳之介/新潮文庫)で知った)。 続いて、作りおきのポテトサラダ、豚肉の冷しゃぶと大根おろしに自家製ポン酢、 素麺(茗荷、生姜、細葱)を自家製の麺つゆにて。 夏の口福を満喫。
ああ良く寝た。電気代は節約したいものの、 老人は睡眠中に室温が 28 度を越えないよう気をつけろ、 と各メディアがしきりに忠告するので、 熱中症予防のため寝るときには空調している。 さて、今日も猛暑の一日だそうだ。軽い朝食のあと、洗濯などの家事。
朝風呂に入って、 「贋食物誌」(吉行淳之介著/山藤章二イラスト/新潮文庫) を読む。 夕刊紙の連載だっただけあって、くだらない話、特にエロ話ばかりなのだが、 ハードカバー版の初版が昭和四十九年だから今からは一昔前、 しかも著者がその時点から一昔前の思い出話をするから、 一昔前と二昔前の話、ということになり、世相の違いや類似が面白い。 今日読んだところには、買ったばかりの靴を家の三和土から盗まれて、 もっと金持ちのところから盗めばいいのに、と思ったという話があった。 昭和二十年代の思い出で、靴一足が月給くらいだったそうだ。 イラストの方には山藤氏が、同じ頃に通学の満員電車で弁当をスラれた、という思い出の絵を描いている。 母親が働きに出ていたため自分で作った麦飯の日の丸弁当だっただけに、 「その日の空腹は心底こたえた」そうである。
結局、貧乏人が貧乏人から奪うのは一種の近親憎悪なのではないか、 という内容なのだが、何故かそのエッセイのタイトルは「ヨーグルト」。 やはりその頃、安岡章太郎が勤務中の吉行淳之介に電話をかけると、 吉行氏が「その電話の近くにミルクホールがあって、ミルクは一杯二十円である。 ところでな、もう五円フンパツすれば、ヨーグルトというものが食べられる。これは旨いぞ」 と答えたそうだ。 そのことを安岡氏がその後もしきりに蒸し返した、という記述があることだけが、タイトルの理由である。 何故、この発言がしきりに蒸し返すに値するのかというところに、滋味があると思う。
朝風呂のあと、自家製のレモネードなど飲みながら読書をしているうちに昼時。 昼食の支度。塩鯖、胡瓜もみ(糸若布、ちりめんじゃこ)、炒り卵と細葱の冷たいチリソース麺。 夏には冷たい麺類だねえ、と暑さと冷たさを堪能したあと、 28 度に設定した部屋でしばらく昼寝ののち、午後も読書と家事。 ふと思い立って、本の整理(もちろん作業中は 28 度に冷房して)。 すると、なんということでしょう、並び換えただけなのに五百冊ほど床にあふれ出す始末。 バナッハ=タルスキの実例構成に成功したらしい。
夕食の支度。 実家の畑産のキタアカリにバタ、豆腐と刻み葱の白和え、茄子の糠漬、じゃこ入りとろろ御飯。 夜は、 "Three doors to death" (R.Stout 著/ Bantam books) より "Omit flowers" の続きを読んだり。