「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2016/08/31

二百十日

涼しい夜で良く眠れたやうだ。朝食のあと、いつものやうにラテン語と線型代數の勉強をして、出勤。いつものやうに、往きの車中では「源氏物語」(玉上琢彌訳注/角川ソフィア文庫)を讀む。「朝顔」の帖。今、全十巻の第四巻だが、通勤で読み終へられるだらうか。

いつものやうに夕方退社。今日はかなり気温が上がつたやうだが、湿度が低いらしく、夕方は涼しげにさへ感じられる。歸宅して、風呂に入つてから夕食の支度。冷奴で冷酒を五勺。のち、塩鯖の酒焼き、だし巻き卵、葱と油麩の味噌汁、御飯。

夜は  "The Paper Thunderbolt" (M.Innes / Penguin) と「人間臨終図巻 4」(山田風太郎著/徳間文庫)を讀んだり。

2016/08/30

朝寝坊

雨の涼しさで良く眠れたせゐか寢坊。まだ寢足りないが、やむなく起床。しかし、出勤までの時間が短くなり、ラテン語の勉強を諦める。颱風は東京にはほとんど影響を与へなかつたやうだ。傘を差す必要もなく出勤。

夕方退社して歸宅。風呂。湯船の讀書は "The Paper Thunderbolt" (M.Innes / Penguin). 晩餐の支度。豆腐にレモンと醤油で。冷酒を五勺。のち、卵とトマトの炒め物、香菜の味噌汁、御飯。卵とトマトの炒め物のポイントは大蒜なのだが、今日は切らしてゐて、やむを得ず大蒜抜きで。これはこれで優しい味はひで悪くなかつた。

夜は朝に出来なかつたラテン語の勉強三十分。あとは「人間臨終図巻 4」(山田風太郎著/徳間文庫)を讀んだり。「七十八歳で死んだ人々」より、ガリレオ、スウィフト、グリム・兄、イプセン、ルノワール、など。

2016/08/29

香菜

さてまた月曜日だ。昼間は晴れてゐたやうだが、往きも歸りも雨。歸りは言はゆる「温かく湿つた空気」が充満してゐて、なるほど颱風が近付いてゐるらしい。

歸りの車中の讀書は、R.ヒルの「死者との対話」を讀み終へたので、またディック・フランシスに戻つて「名門」(D.フランシス著/菊池光訳/ハヤカワ文庫)。

歸宅してまづ、風呂。湯船の讀書は "The Paper Thunderbolt" (M.Innes / Penguin). 始めの邊りはイネスらしからぬ感じ。夕食の支度。香菜のチキンスープ。適当に作つたわりに香菜のスープがいい感じ。ステーキ用の肉の残りでステーキ丼。トマトを使つたけれども和風のつもり。赤ワインを一杯だけ。

夜は豆を煮たり。

2016/08/27

土曜日

朝。目が覚めてラジオをつけると「夏の名残りの薔薇」が流れて來て、カフ刑事を思ひ出す。

朝食は休日の簡易版。ヨーグルト、珈琲、胡瓜とトマトとチーズのサンドウィッチ、ヘンデルの「水上の音楽」。午前中は朝風呂に入つてのち、「死者との対話」(R.ヒル著/秋津知子訳/ハヤカワ・ミステリ 1738)を讀んだり。

晝食は土曜の晝のお決まりで、お好み焼き。少し晝寢をしてから、午後も本を讀んだり。「死者との対話」、讀了。最近、やや惰性もしくは義務感で讀み続けてゐるダルジール・サーガだが、今回はなかなか面白かつた。次作、「死の笑話集」にも期待。「殊能将之読書日記 2000-2009」(講談社)も讀了。湯船の讀書などに少しづつ讀んでゐたので、三ヶ月以上かかつた。

夕方になり、再び風呂に入つてから夕食の支度。胡瓜とトマトで適当なサラダ。じゃが芋の千切りを敷いて肉を焼く。のち、同じフライパンで薄く切つた黒パンを焼き、じゃが芋の残りを挟んで、ミニサンドウィッチ。

夜は「人間臨終図巻 3」(山田風太郎著/徳間文庫)より「七十四歳で死んだ人々」の續き。佐藤栄作、古賀政男、水谷八重子、湯川秀樹。「七十五歳で死んだ人々」の章は、アルキメデスから始まつてゐる。

2016/08/26

再び金曜日

今朝は久しぶりになかなか起きられず。體を引き剥すやうにして起床。朝食と弁当の支度をして、ラテン語と線型代數の勉強をほんの少しづつ。分量よりも毎日することが大事、と思ひたい。出勤。外はまだ夏、真盛り。

夕方退社。花と食材を買つて歸宅。今週も何とか無事に週末に辿り着いた。上々吉。風呂に入り、湯船で「人間臨終図巻 3」(山田風太郎著/徳間文庫)より「七十四歳で死んだ人々」の邊りを讀む。白楽天、毛利元就、徳川家康、大岡越前守、ヘンデル、サド侯爵、など。

今日は料理をする気力がなく、買つて帰つた太巻きでビールの夕食。鉄砲百合を見つつ、カーラ・ヘルムブレヒトの歌声を聴きつつ。

2016/08/25

西へ東へ

夕方、関西より帰京。一日半ぶりに歸宅しても、留守番してゐた猫は何か特別の反応を見せるでもなく、全くいつも通り。人間で言へば八十歳くらゐの老猫なので、悟りすませてゐるのだらう。白楽天の詠ふ「死生可モナク不可モナシ」の境地なのかも知れない。

東京も暑いと思つてゐたが関西はもつと暑かつた。しかし、やはりと言ふべきか、関西は気持ちが落ち着く。とは言へ、あれこれで疲れたので、疲労回復のため早寝の予定。


2016/08/24

パロノメイニア

夕食に崎陽軒の「シウマイ弁当」を食べながら、「死者との対話」(R.ヒル著/秋津知子訳/ハヤカワ・ミステリ 1738)を読む。「シウマイ弁当」の完成度の高さは特筆すべきものだと思つてゐるのだが、メインが焼売と言ふところがやや邪道かも知れない。

ところで、「死者との対話」に出て來る、スクラブルに似てゐるが遥かに高度らしい「パロノメイニア」("paronomania")と言ふ二人用ボードゲームは実在するのだらうか。ないと思ふけれども、存つたら良いなあ、と。

2016/08/23

玉葱に鰹節

台風は過ぎ行き、蒸し暑い朝。これで処暑とは。朝のラテン語の勉強は第三変化動詞の章の演習問題、線型代數は特異値分解。お湯のやうな空気の中へ出勤。往きの車中の源氏物語は「薄雲」の帖。光源氏が実父であること(つまり自分が不倫の子であること)を帝が知るあたり。

夕方退社。歸りの車中の讀書は「死者との対話」(R.ヒル著/秋津知子訳/ハヤカワ・ミステリ 1738)。電車通勤の唯一の長所は強制的に讀書の時間がとれることくらゐか。歸宅して風呂に入つてから晩餐の支度。玉葱の薄切りを水にさらし鰹節とフレンチドレッシング、カレーライスにザウアークラウト添へ。

2016/08/22

猫とビール

私用のため早退して築地へ。風雨がおさまつて来たと思つて出かけたのだが、「台風の目」と言ふものだつたらしく、築地に着いたら大荒れ。とは言へ、用はすぐ近くなので、少し濡れるくらゐで済んだ。

歸宅。風呂上がりに、歸路に買ひ求めた握り鮨。猫と語らひながらビール。

野良猫上がりの雑種で、さして見目も性格も頭も良くないのだが、十五年もつきあつてゐるとそれなりに可愛いものである。このつきあひも精々あと数年なのだが、兆民先生曰く、「もし短といはんと欲せば、十年も短なり、五十年も短なり、百年も短なり。それ生時限りありて死後限りなし、限りあるを以て限りなきに比す短にはあらざるなり、始よりなきなり」であるから、今を大事にするのが肝要であらう。


2016/08/20

騎乗

昨日の車中にて「騎乗」(D.フランシス著/ハヤカワ文庫)讀了。また主人公はアマチュア騎手だが、物語の冒頭で十七歳、最後でも二十三歳と言ふ思ひ切つた設定。父親が野心的な政治家で、主人公は父の選挙活動を手伝はされることになる。しかし妨害工作と思はれる危機が次々に起こる。主人公は父を守り切れるか……と言ふストーリィ。毎回、(本質的には同じ内容ながら)良くも次々に違ふ設定を考へるものだな、と感心。

今回の主人公も、いつものやうに賢く強く公正で高潔な男なのだが、さすがにこの年齢設定だと、人間的に成熟し過ぎてゐる。こんな十七歳はゐない。しかし、さう言ふ意味の「リアリティ」を追求し出すと、ディック・フランシスの全作品が「そんなやつはゐない」の一言で片付けられてしまふ。そして、それ以外の点においては、シリーズ 36 作目と言ふ後期にあたりながらも讀み応へがあり、十分に面白い。特に、「優れた政治家」と言ふ日本では絶滅したか、そもそも存在したことのない人種を描いてゐるところが興味深い。かなり取材をしたのではないだらうか。

これだけ質の高い作品を短い周期で何十年も書き続けるのは、相当の才能と、習慣にまで化した献身的な努力が必要のはずで、やはりフランシスは「そんなやつはゐない」レベルに偉大だと思ふ。

2016/08/19

マイクル・イネス成分全部入り

M.Innes "Death at the President's Lodging" 讀了。傑作だ。やはり第一作にはその著者の全てがある。本格ミステリの枠組みをとりながら、隙あらばその関節を外して行くオフビートぶり、古典の教養あふれる英国的衒学、ドタバタ喜劇、知的で皮肉、多重の解答と説明、作家が小説に登場し登場人物がこの小説を書くメタ趣味。マニアがマニアのためにマニアを書いた作品。まさにイネス成分全部入り。

この作品は随分と昔に木々高太郎によつて翻訳されてゐるが(「学長の死」(東京創元社/1937年))、そのまま絶版になつてゐる。入手困難なので私は讀んでゐないが、復刊するか、もし翻訳がもう一つならば、新訳で出版すべきだと思ふ。私の個人的な好みもあるが、イネスの言はゆる代表作たちに勝るとも劣らぬ作品であることは間違ひない。

ちよつと前に作品が次々と翻訳されて、イネス再評価と呼ばれたりしたものだが、この第一作を翻訳出版せずして、真のイネス再評価はない、と断言してしまおう。時間をたつぷりかけてもいいなら、私が翻訳したいくらゐです。

2016/08/18

大詰め

再び月例の精進日。終日、肉食と五葷を避け、無益な殺生をせず、怒らず、歎かず、憾みず、靜かに、穏やかに暮らすやう心掛ける。

親会社の全体会議のあと、退社。歸宅して風呂に入つてから晩餐。南瓜の煮付けと高野豆腐ののち、梅茶漬。

夜は M.Innes の "Death at the President's Lodging" を讀んだり。いよいよ大詰め。名探偵、皆を集めてさてと言ひ。と、言ふ川柳は栗本薫の「エーリアン殺人事件」だつたつけ、それともその前から大學のミステリ研あたりで流通してゐたのか。

2016/08/17

台風一過

仮想お盆休み終了。休んでゐた朝の勉強も今日から再開。ラテン語は第三変化動詞の章の演習問題を解き、線型代數は正規作用素に就て讀み、出勤。台風一過、朝から猛烈な蒸し暑さ。往きの車中の源氏物語は「松風」の帖。

夕方退社。言つても仕方ないが蒸し暑い。歸りの車中の讀書は「騎乗」(D.フランシス著/菊池光訳/ハヤカワ文庫)。歸宅して、まず風呂。湯上がりに、南瓜の煮付けと冷奴でビール。のち、豚肉とキャベツの炒め物、卵かけ御飯、葱の味噌汁。

夜は M.Innes の "Death at the President's Lodging" を讀んだり、放置してゐた論文草稿に手を入れたり。どうやら、もう一本、數學の論文を書かざるを得ないことになりさうなので。私は就寢時間が早いので、既に結構忙しい。

明日はまた月例の精進日のため、若干の準備。

2016/08/16

お盆終了

今日で私のお盆は終了。先週木曜日から今日までのつもり。この期間、カレンダ通りに出勤して普通に仕事をしてゐたが、「今はお盆休みなのだ」と自分に言ひ聞かせ、朝食はサンドウィッチ、晝食は外食、晩餐も手間のかからないもの、家事はほとんど休み、と、あらゆる手抜き策をとつて、休み気分を無理に盛り上げた。

歸宅後は最後の日に相応しく、風呂上がりに冷奴と塩鯖の酒焼きでビール。M.Innes の "Death at the President's Lodging" を讀みながら。讀書も気分を變へるため、普段讀んでゐるものは休んで、「お盆」期間中はこれだけを讀んでゐた。ただ私は英文を讀む速度が日本語の數倍以上遅いので(しかも理解度は數分の一程度だが)、今日中に讀み終へられるかぎりぎりのところ。

ビールを終へてから、インスタントラーメンを使つて湯麺を作つて食す。夜は M.Innes "Death at the President's Lodging" の最後のあたりを讀む。激しい雨音を聞きながら。

2016/08/15

一則以喜、一則以懼

父から久しぶりに手紙。盆なので時候の挨拶かな、と思つたら、私の知らぬ内に色々とあつたやうだ。昔風の人たちなので、あれこれ済んだあとでしか報せないのである。この週末、論語を浚つてゐたからでもないが、父母の年は知らざる可からざる也、とは、このことなのであらうな、と思ふ。

2016/08/14

盆の日曜日

なかなか日が過ぎてくれないものだ、と普段は思つてゐるのだが、振り返るとやはり日は飛び去るやうに過ぎてゐる。嬉しくもあり、悲しくもあり。逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎てず。


2016/08/13

八月納涼歌舞伎

三越の地下の鮨屋で太巻きを買つて歌舞伎座へ。「八月納涼歌舞伎」の第一部を観劇。「嫗山姥」より岩倉大納言兼冬公館の場と、「権三と助十」。

「嫗山姥」のこの場は、元傾城の代筆屋八重桐が昔の痴話喧嘩の様子を長々と「しやべり」倒すのが近松の趣向で、扇雀が良く頑張つてゐた。

「権三と助十」は実のところ一種の捕物帳、現代的に言へば短篇ミステリである。実際、油断してゐると、最後にミステリ的なオチまである。しかし、そこは流石に「半七捕物帳」の岡本綺堂作、江戸情緒あふれる世話物である。初演は 1926 年(大正十五年)らしいが当時でも、江戸は遠い過去だつた。長屋の井戸替へなんてイヴェントを物語に取り込むのは綺堂ならでは、と言ふところだらう。家主六郎兵衛役の彌十郎は貫禄だが、他の獅童、染五郎、七之助も安心して観てゐられる安定感ではあつた。

2016/08/12

風呂敷

オフィスから持ち帰りたい荷物があつたので、手を空けるため風呂敷包みで出勤。中身は大きなおむすび一つと手帖のみ。私が子供の頃の替へ歌に、朝も早うから弁当箱下げて家を出て行く親父の辛さ、と言ふものがあつたが、かう言ふ心持ちだらうか。ちなみに、歌のオチは、嗚呼悲しや小遣ひ三十円、と言ふのだつたが、今日の私は一銭も持たずに家を出たので、それ以下。

いつもと同じく夕方退社して荷物を持つて歸宅。氣温はさほど高くないが蒸し暑いことには変はりない。風呂に入つて湯船で「一年有半・続一年有半」(中江兆民著/井田進也校注/岩波文庫)を讀む。

喉頭癌で余命一年半の宣告を受けた先生は今、大阪の文楽座で二代越路太夫や初代呂太夫を聴いてゐる。どうやら最後の黄金期に間に合つたと言ふことか。「余素より義太夫を好む、しかれども殊に大坂のものを好む、東京のものを好まず、東京の義太夫は大坂のものに比すれば一児戯に値せざるなり」。見識である。さらに先生は、令閨を伴つて明楽座で大隅太夫の浄瑠璃、壺坂寺の段を聴き、「技此に至りて神なり」「これ斯道の聖なり」と絶賛してゐる。

風呂上がりに、南瓜の煮付けと枝豆でビール。今日も生きてゐて良かつた。月例の精進日のため、そのあとも茹でた饂飩を山形だしと生醤油で食し、肉食と五葷を避く。

2016/08/11

ダイイング・メッセージ

祝日で勤めも休み。朝風呂に入つて晝までは、少しラテン語を浚つてから、「兆民先生・兆民先生行状記」(幸徳秋水著/岩波文庫)を讀む。午餐の後、枝豆を茹でてビールを飲みながら、「兆民先生」及び "Death at the President's Lodging" (M.Innes / House of Stratus) を讀む。

合間にチェス・プロブレムを考へたり、書庫に椅子を運んだり。今は照明も入れず書庫専用にしてゐるが(夜は懐中電灯を使ふのである)、讀書か仕事部屋にも使ふかな、と思ひ立つて。

晩餐後は、明日の月例精進日のため準備の他、「人間臨終図巻」(山田風太郎著/徳間文庫)を讀んだり。六十六歳で死んだ人々。池田隼人が死ぬ間際、秘書の伊藤昌也の掌に指で何か書いた逸話は、まるで探偵小説の「ダイイング・メッセージ」のやうな出来過ぎ感。

2016/08/10

塩加減

夕方早めに退社。半定期的な私用のため神保町へ。車中の讀書は「騎乗」(D.フランシス著/菊池光訳/ハヤカワ文庫)。毎回全く同じタイプの主人公に飽きないのは、多くの人が結局のところ、高潔な人格への憧れを持つてゐるからだらうか。無論自分はさうなれないし、なりたくもないのだが、さう言ふ人がどこかにはゐてもらはねば困る、と言ふ願ひを。地の塩、とはさう言ふことかなあ。

歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。ゴーヤのおひたしと枝豆でビール。今日は枝豆の塩加減がばつちりだ。こんなささやか過ぎるところで日常の小さな幸せを味はふ。のち、冷奴に山形だし、塩鯖の酒焼き、茄子の味噌汁、御飯。

夜は少し書庫の整理をしたり、三巻目に入つた「人間臨終図巻」(山田風太郎著/徳間文庫)を讀んだり、"Death at the President's Lodging" (M.Innes / House of Stratus)の續きを讀んだり、の予定だが 22 時就寢の習慣なので忙しい。

2016/08/09

デイヴィッドスン

予報によれば今日の最高気温は三十七度。夕方退社。ふらふらしながら歸宅。湯船で「殊能将之読書日記 2000-2009」(講談社)を讀む。この時期の殊能センセーはアヴラム・デイヴィッドスンを集中的に讀んでゐる。

私が讀んだデイヴィッドスンはクイーンの「黄金の13/現代篇」(ハヤカワ文庫)に収められた「物は証言できない」と、「エドガー賞全集(上)」(B.プロンジーニ編/ハヤカワ文庫)の「ラホーア兵営事件」の二つのミステリ短篇だけなのだが、両作品とも良さが分からなかつた。ちなみに両方とも、業界最高の目利きが選び、絶賛した作品である。

しかし、私の読後感は、前者は「随分とご立派な作品だな」くらゐ、後者の方は「よくあるオチ、しかもうまく生かせてゐない」と言つた感じだらうか。こんなことを殊能センセーが聞いたら、小一時間説教されるか、呆れて口も聞いてくれないか、どちらかだと思ふ。しかしさう思つてしまつたものは仕方がない。今後の人生と讀書の修行の中でデイヴィッドスンの良さが理解できて行くものと期待したい。非ミステリ作品、特に SF 作品を讀むと悟りが開けるかも知れないと思ふ。微かな願ひとして翻訳が悪かつた、と言ふ可能性もなくはない。

湯上がりに、山形だしを乗せた冷奴でビール。漸く生きた心地。のち、子母沢流の豚肉と饂飩のしゃぶしゃぶ。うまい。夜は "Death at the President's Lodging" (M.Innes / House of Stratus)の續きを讀んだり。

2016/08/08

冷やし三昧

さてまた月曜日。ラテン語と線形代数の勉強を済ませて外に出ると、雨が染み出して來さうな蒸し暑い朝。暑さの故にか電車も遅れてゐたが、最早ヴァカンスに入つた幸福な人が多いのだらう、混雑は然程でない。

夕方退社。朝以上の蒸し暑さ。歸宅してまず風呂。さうでなくてはをられぬ。湯船で「兆民先生・兆民先生行状記」(幸徳秋水著/岩波文庫)より、「兆民先生」を讀む。講談のやうな調子良さがあつて讀み飽きない。

一書生に二十五両もの大金出せるかと言つた、藩の先輩岩崎弥太郎に、若き日の先生怫然と、「然れども僕の一身果して二十五両を値ひせざるや否や、之を他日に見よ」と啖呵を切つて「袂を払ふて去れり」。ところが一方後藤象二郎は、先生が「此身合称諸生否、終歳不登花月楼」と一絶を賦して献じたところ、(岩崎とのやりとりを知つてゐたのだらう)笑つて二十五両をぽんと出して与へた、と。流石、三菱のやうな小商人風情とは器が違ふなあ、と湯船で思ふ。

夕食の支度。冷奴に山形だし、冷やしトマト、冷やし饂飩(刻み葱、揚げ玉、茹で卵、七味)。と、冷やし三昧。體に悪さうだが、かう言ふものでなければ食欲が出ない。しかし天気予報によれば明日の最高気温は三十六度を越えるとのこと、何を食せば良いのか。かき氷と西瓜?

2016/08/07

ドットーレ・コグレ

今日も猛暑だつたらしいが、外に出なかつたので氣付かなかつた。朝食はトマト、胡瓜、チーズのサンドウィッチ、珈琲、葡萄を一房。朝風呂に入つて、イネスの "Death at the president's lodging" (M.Innes / House of Stratus) を讀む。午前中は葡萄の残りを食べながら、イネスの續き。晝食はお好み焼きとビール。午後も本を讀んだり、チェスプロブレムを考へたり。

再び風呂に入つてから夕食の支度。ゴーヤのおひたしでビール。いけない、晝も夜もビールを飲んでしまつた。ピロリ菌と共生してゐる身なのに。續いて、タイ風の炒めものかけ御飯。これもビールにとても合ふ料理である。謎のイタリア人フェデリコ・カルパッチョ氏の友人ドットーレ・コグレの「家で作れないものは外で食べて、店に負けない皿を家で拵えよう。」(木暮修著/平凡社)で学んで以來百回は作つたが、毎度、「いやあ、これはたまりませんね」と独り言を言ふくらゐ美味しく、またビールが旨い。

2016/08/06

土曜日好日

今日も猛暑日だつたらしいが外に出なかつたので気付かなかつた。昨夜は食べ過ぎ飲み過ぎの上、就寢も遅かつたので、今朝は十分に寝坊する。朝食も珈琲、ヨーグルト、葡萄一房だけ。午前中は朝風呂に入つたり、本を讀んだり。

晝食は冷やし中華。具は錦糸卵、トマト、胡瓜、胡麻。食後少し横になつてから、午後も主に讀書など。

夕方になつて夕食の支度。夕餉もあつさり、野菜とチーズのサンドウィッチ。夜も讀書など。


恵比寿の恵比寿で恵比寿を飲み恵比寿を食す

東京にも猛暑が襲来。もうたまらない感じ。

夜は中古車輸出会社の社長 H さんが御馳走して下さると言ふので恵比寿へ。恵比寿の恵比寿と言ふ店で恵比寿ビールを飲み恵比寿と言ふ肉を食べる。そのあと、ホテルのバーにて、ラフロイグ 10 年を一杯、数学に因んで(?) "XYZ" を一杯飲んで終了。そして今、帰宅。普段は 22 時には寝てゐるので、かう言ふ無理は辛い……控へるやうにしなければ。

2016/08/04

蚕食鯨呑

東京もただ蒸し暑いだけではなく、段々と気温が上がり、真夏らしくなつてきた。往きの車中の「源氏物語」(玉上琢彌訳注/角川ソフィア文庫)は「蓬生」の帖を讀了。顔も体も不恰好な不美人だが、頑に家柄の古風を守る内気で純真な末摘花が、下々のものにまで見棄てられながらも待ち続けた甲斐あつて、光源氏に二条院へと迎へられる。やはり光源氏は流石にただの女好きではない。一度見込んだら最後まで面倒を見るところが偉い。やはり色の道とは究極のところ「親切」なのではないか。

夕方退社して帰宅。少し食欲が落ちて来た。冷凍の饂飩を茹でて、冷やし饂飩にする。夏バテ対策に食欲増進のため「蚕食鯨呑」(楊逸著/岩波書店)を讀む。

2016/08/03

朝の勉強

親会社の一番関係の深い部署の新年度キックオフのミーティングとパーティに参加してゐたので遅くなつた。今、帰宅。長いミーティングの間に、最近悩んでゐた(数学の)問題が一つ解けた。

今日も空気が水を一杯に含んで蒸し暑くてたまらない。集中力に欠けるのは気候のせゐにしておかう。朝のラテン語の勉強("Wheelock's Latin")は第三変化の名詞を終へたところで、今日は Livy のローマ史からルクレチア強姦事件の箇所(を易しくしたもの)の解釈をした。苦沙弥先生の細君の言ふ「七代目樽金」が没落した切掛けの事件である。線形代数の勉強(S.Axler "Linear Algebra Done Right")は、内積空間の章の解説を讀み終へて演習問題に入つたところ。

2016/08/02

妄想祭り

明け方、強い雨が降つたやうだが、今日も朝から蒸し暑い。最近、朝の勉強がなかなか捗らないのを、気候や体調不良のせゐにしてゐるのだが、単なる怠け癖か、老化だらう。

夕方退社して、水分を一杯に蓄へた空気の中を泳ぐやうにして帰宅。まづ風呂。湯船で「殊能将之読書日記 2000-2009」(殊能将之著/講談社)を讀む。ミシェル・ジュリと言ふフランス人 SF 作家の未訳短篇の紹介が續いたあと、M.イネスの "Stop Press" について(当時、「ストップ・プレス」は未訳だつた)のあたり。夕食は、冷奴に山形だし、鰻の残りで櫃まぶし、落とし卵の澄まし汁など。

滋養のあるものを食べ、何とか精をつけて頑張つて働きませう、と思つてゐるのだが、もう今年あたりが体力の限界かなあ、と言ふ気もする。余生は小石川の御隠居として、万年青や文鳥を育てたり、長唄を習つたりして、色つぽい師匠に「あンた筋がいいよ、しつかりおやり」とか言はれたい。あと、M.イネスの一番つまらない長編小説とか翻訳出版して、マイナ小説翻訳家として勇名を馳せたい。そして小石川のセンセーとか呼ばれて、夏には声のいい秘書を連れて那須あたりに避暑をして、久生十蘭の「顎十郎捕物帳」とか朗読させながらビールを飲みたい。そんなことをしてゐると、絽から透ける長襦袢の白も涼しげな長唄の師匠が、築地の割烹で重箱に詰めさせたお弁当を差し入れに来て、「オヤ、この小娘はセンセーのこれですか。隅に置けませんねえ」とか言つたりして、「いやいや滅相もない、これはただの避暑いや秘書で」なんて弁解したりして……猛暑の妄想、終了。

夜は「人間臨終図巻」(山田風太郎著/徳間文庫)などを讀む。今、第 2 巻の後半、「六十一歳で死んだ人々」の章。

2016/08/01

山形だし

晴れてゐるやうでもあり、曇つてゐるやうでもあり、また雨が今にも降り出しさうでもあり。しかし蒸し暑いことには變はりない。お若い方々にはちよつと信じ難いことだらうが、初老も過ぎて老人と呼ばれる身になると、こんな日は天気のせゐだけで体調が悪い。

何とか一日持ち堪へて、夕方退社。いつ激しい夕立になつても不思議ない空模様だが、傘を使はずに帰宅できた。

風呂に入つてから夕食の支度。冷奴に山形だしでビール。山形だしを一週間分、いや二週間分くらゐ作つてしまつた。のち、冷やし中華(胡瓜、トマト、錦糸卵)。