「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2016/07/31

日曜日

朝食はヨーグルト、珈琲、トマトと胡瓜とチーズのサンドウィッチ。朝風呂。湯船にいただきものの青い入浴剤を入れて、「断腸亭日乗」(永井荷風著/磯田光一編/岩波文庫)を讀む。

晝食。トマト、胡瓜、玉葱のサラダ。ターメリックオイルで卵と炒め、ミントを散らした御飯に、タイ式グリーンカレー。ビール。食後一時間ほど晝寢して、午後は家事あれこれの他、「アシェンデン」(S.モーム著/中島賢二・岡田久雄訳/岩波文庫)を讀んだり。「アシェンデン」讀了。

夕食。鰻ざく、冷奴で冷酒を五勺。のち、鰻白焼でお茶漬。



2016/07/30

祝賀会

定例のデリバティブ研究部会自主ゼミの日だが、今日は特別版で私が M.Hino-K.H. 論文の内容紹介。特に難しいことは使はないし、内容に比べ時間も十分にあつたため、ほぼ完全に理解していただけるやうに話せたと思ふ。

参加メンバによるゼミ後のランチも特別企画、赤坂の四川料理屋にて「祝賀会」を開いていただく。いやいやそんな大袈裟な……と恐縮だが、普段一緒に自主ゼミをしてゐるご学友にお祝ひしていただけて嬉しい限りである。

店から外に出ると、そこは真夏。これはたまらない。慌てて家に帰り、冷房の効いた部屋で「アシェンデン」(S.モーム著/中島賢二・岡田久雄訳/岩波文庫)など読んで過す。

2016/07/29

ビールと餃子

午前は往訪先でのミーティングだつたので自宅から直行。おかげでいつもよりゆつくり朝が過せ、線形代数の勉強が進んだ。しかし外は夏だ。曇りがちとは言へ、蒸し暑い。

夕方退社して、焼き餃子をお土産に買つて帰宅。風呂上がりに焼き餃子でビール。他に誰が言つてくれるわけでもないので、自らに御苦労様でしたと声をかけ、週末に無事到着したことを言祝ぐ。皆さんの場合は、檀れい見たやうなひとが手料理あれこれと冷えたビールを用意して待つてゐてくれて、お疲れ様でした、つて、手描きの朝顔の麻帯に藍の浴衣姿で三つ指を突いてくれるんですよね、先生、知つてゐます。怒らないから正直に白状しなさい。それなら偽ビールでも全然構はない筈だよ。

夜は明日の講演の準備など。

2016/07/28

外国語で読む

梅雨が明けたさうで、いよいよ夏。道理で蒸し暑い。夕方少し早く退社し、神保町で所用を一つ片付けてから帰路につく。帰りの車中の読書はまたディック・フランシスに戻つて、「騎乗」(D.フランシス著/菊池光訳/ハヤカワ文庫)。

帰宅して、まづ風呂。湯船の読書は「殊能将之読書日記 2000-2009」(殊能将之著/講談社)。2002 年末にマイクル・イネスを集中的に読んでおられるあたり。イネスを原書で楽しめるとは流石だなあ。私も翻訳を(一冊以外)全部読んだので、"Death at the President's Lodging" など数冊買つてあるのだが、まだ積んだまま。2003 年に入つたところに良いことが書いてある。「わたしは『外国語なんかわかるわけがない。わからないからこそ一所懸命読むんだ』と思ってます」とのこと。全く同感だ。

夕食の支度。手抜きしたいときの私の必殺メニュー、タイ風炒めものかけ御飯。夜は読書と、講演の準備。やうやく思ひ出してきた感じ。

2016/07/27

明日の私

週末に講演をするので、その準備をしてゐる。普段、一緒に自主ゼミをしてゐる「ご学友」たちが聴衆の気楽な会ではあるのだが、いい加減な話はできないと思ひ、隅々まで詰めてゐる。いや、詰めようとしてゐる。

ところが悲しいかな、年老いたるものよ、数年前に自分で書いたことが分からないところだらけである。例へば、「この等式が成立することは、○○の定理と○○の公式よりただちに分かる」なんて書かれてゐる。どう見ても、ただちには分からない。ひよつとして論文が間違つてゐるのではないか、とまで疑つたが、二日間考へた末に、「ああ確かに、ただちに分かる(と言へなくもないな)」と理解した。

しかし、この定理とこの公式を使ふのだ、とキーポイントを書き残してゐるところからして、数年前にして既に私は、明日の自分を信用してゐなかつたのであり、それはまさに正しかつた、と言へよう。ヒントなしには、この部分の証明に何日費したことか。できなかつた可能性すらある。そして、私がもつと若かかつた頃、例へば三十代の頃ならば、「ただの計算。証明略」とか、「明らか」などと書いてゐたに違ひないのである。

昨日できたことが今日はできなくなり、今日できたことも明日にはできなくなる、と言ふことは悲しいが、物理定数の如く不動の事実であり、宿命なので、それを前提に諦観とともに行きて行くしかあるまい。

2016/07/26

エリー・パスコー

往きは「源氏物語」だが、最近の帰りは「武器と女たち」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ・ミステリ 1710)を読んでゐた。読了。私の嫌いなタイプの女性像であるエリー・パスコーが主役なので、読むのが時に辛かつた。しかし、こんなタイプの人物を描けると言ふところがレジナルド・ヒルの偉いところだらう。

愚かで嫌な人間を描くのは難しくないが、それでも愛すべきところがなくもなく、たまには許してあげたくなるし、一瞬、好きになる時さへなくはない、と言ふ塩梅の人物を創造するのは難しい。しかし私の見るところ、世の中のほとんどはそんな人間なのである。

帰宅して風呂に入つてから夕食の支度。冷奴、ゴーヤのおひたし、焼き鳥でビール。のち、冷やし蕎麦。我ながら満足度の高い夕餉だつた。

2016/07/25

澪標

最近は朝夕が涼しくて、いつも以上に良く眠れる。寝て暮らしたいところだが、また一週間の始まり。往きの車中の「源氏物語」(玉上琢彌訳注/角川ソフィア文庫)は「明石」の帖を終えて「澪標」に入つた。光源氏が明石から都に復帰。

夕方退社。帰宅して風呂に入つてから夕食の支度。ゴーヤチャンプルー、豆腐と葱の味噌汁、御飯。いつもと同じく、特に何の事件もない良い一日であつた。

2016/07/23

初体験

生まれて初めて食べた。説明書きに従つて作つたものの、正しく出来てゐるのか、その完成形からは判断しづらい。けつこう美味しかつたので、多分、これで良かつたのだと思ふ。ベビースター入り。

2016/07/22

早い週末

月曜日が祝日だつたので、週末が来るのが早かつた。帰宅して、風呂に入つてから、お土産の握り鮨でビール。週末はいいなあ。しかも今日は涼しいせゐか、ビールがしみじみと沁みる。夜は心静かに、「アシェンデン」(S.モーム著/中島賢二・岡田久雄訳/岩波文庫)を読み始める。この週末に読もうと楽しみにしてゐたのである。

2016/07/21

雨の木曜日

雨で涼しい一日。通勤電車の往きも帰りも偶然、隣に若い女性が座り、それぞれ別人なのだが、どちらも分子生物学の論文を読んでゐた。今、二十代女性に分子生物学ブームが来てゐるのだらうか。面白さうな論文だつたので、「遺伝子の記号力学系に興味がおありかな、ヤングマン」とか、話しかけようかとも思つたが、変な老人だと思はれるのも何なので止しておいた。

帰宅して風呂に入つてから、冷奴で冷酒を五勺。のち、冷やし蕎麦(葱、茹で卵、揚げ玉、油揚げ)。夜は「人間臨終図巻」(山田風太郎著/徳間文庫)など。


2016/07/20

キャヴィアについて

昨日、キャヴィアに適したスプーンについてスタインガーテンが書いてゐたやうに思ふ、と書いたのだが、今朝、書庫で調べてみたらピーター・メイルだつた。「贅沢の探求」(P.メイル著/小梨直訳/河出書房新社)の「黒い真珠をほおばる」の章。

読み返すと、銀のスプーンは金属の味が微かに混じるので良くないが、他の素材なら何でもよい、と書いてある。しかし、プラスティックの短いスプーンは手軽で、軽く、輪郭なめらか(だから繊細な卵をつぶさない)、機能的かつ衛生的で使い捨て可能、妙なあと味もなく、しかも無料、などの理由から著者のお薦めである、とのこと。

「キャヴィアは楽しいときに食べても、悲しいときに食べてもいい。成功したあかつきにはお祝いに、悲惨な出来事があったときには慰めに。初めて百万ドルを稼いだ日には素晴しい御馳走となるだろうし、破産寸前に思いきって最後の贅沢とすれば、それ以上の格別な味わいとなるかもしれない。また情事の始まりに、あるいは終わりに。といった具合に口実はいくらでも転がっている。もし思いつかなければ、ただ健康のために食べてもよい。聞くところによると、キャヴィアは体にいいそうだから。」(P.メイル「贅沢の探求」より)

2016/07/19

クリュグにキャヴィア

弊社メンバの一同から、受賞祝ひにとクリュグのハーフボトルと壜詰めのキャヴィアを頂いた。ありがたし。かう言ふ贅沢品に値する私ではないのだが、しかし、この今でなければ、これまでの、そしてこれからの人生の、いつ味はふのか、との理屈ももつともなので、ありがたく今、いただいてゐる。

確か、スタインガーテンが書いてゐたと思ふのだが、キャヴィアを味はふにもつとも適したスプーンは、コンビニエンスストアでアイスクリームを買ふとくれたりするプラスティックの小さなスプーンだ、と。まあ、美食学の理屈ではさうかも知れないが、普通は専用の金のスプーンと行きたい。しかし、現実はただの鉄製のティースプーン。

(2017/07/20) 追記: 上のキャヴィアとスプーンの話はスタインガーテンではなくて、ピーター・メイルだつた。(「贅沢の探求」(P.メイル著/小梨直訳/河出書房新社)の「黒い真珠をほおばる」)


2016/07/18

「海から来た男」

祝日で休み。今日も自宅で静養。「海から来た男」(M.イネス著/吉田健一訳/筑摩書房)、読了。アプルビイものなどとは違つて、普通の小説に近いエスピオナージュ。吉田健一訳と言ふこともあつてか、いかにも、ある一つの時代の英国風で、サマセット・モームやグレアム・グリーンと言つた伝統の中に位置付けるべき作品と思ふ。この翻訳はずつと品切れで入手し難いが、もつと評価されても良いのではないか。

そして、吉田健一の「訳者あとがき」が短いながら味はひ深い。この訳書の出版は昭和四十五年だが、当時の日本の状況に対して思ふところがあつたのだらう。

これで翻訳で読める M.イネスの長編はあと「学長の死」を残すのみ。しかし、1959 年刊行、木々高太郎訳のこの一冊は入手困難で非常に高価。イネスを日本語で読むのは「海から来た男」で打ち止めになりさうだが、この後、原書にまで挑戦するかどうかはまだ決めかねてゐる。

2016/07/17

日曜日

読書コーナのつもりで椅子を置いたのだが、効率の悪い本置き場、もしくは帽子置き場になつてゐる。

2016/07/16

七月大歌舞伎

午前中は定例のデリバティブ研究部会自主ゼミ。そのあと参加者によるランチ。午後は歌舞伎座へ。「七月大歌舞伎」夜の部。

「荒川の佐吉」を佐吉に猿之助、郷右衛門に海老蔵、政五郎に中車など。人情話なので当然だが次々に泣かせにかかつて来て、また猿之助が情感たつぷりに熱演するものだから、場内もらい泣き。やり過ぎの感もなきにしもあらずだが、カタルシスが心地良かつた。

「鎌髭」「景清」を景清に海老蔵で。歌舞伎十八番の荒事。海老蔵はあまり好きな役者ではないし、上手だとも思はないが、存在感はやはり只者ではないので、荒事に向いてゐると思ふ。

2016/07/15

金曜日

今日も蒸し暑い。雨が降るやうな降らないやうな湿気で充満した一日。

夕方退社して帰宅。明日から三連休だ……嬉しい。風呂に入つてから板山葵とツナ胡瓜で冷酒を五勺ほど。のち、冷やし中華(錦糸卵、トマト、胡瓜)。

暑かつたり寒かつたりの上、猛烈な湿度で、かなり身体に疲れがたまつてゐるやうに思ふ。連休はゆつくり休もう。

2016/07/14

夕立

今日も蒸し暑い……空気から湯が滲み出して来そう。午後は渋谷で往訪ミーティング。予定通りに時間を使ひ、そのあと道端で作戦会議もしたので、やや遅くなつた。オフィスに戻らずに、そのまま帰ることにする。乗り換への神保町で珈琲豆を購入。

丁度、夕立に降られ、濡れ鼠になつて帰宅。絵に描いたやうな、定義通りとでも言ふべき夕立だつた。すぐに風呂に入つて身体を温める。

湯上がりに、アヴォカドの刺身と枝豆でビール。ああ今日も何とか生き延びた。あと明日をしのげば三連休だ。週末に「海から来た男」(M.イネス著/吉田健一訳/筑摩書房)を読むのを楽しみにしてゐる。

2016/07/13

中国地方出身者とトンカツ

どうにもこの蒸し暑さはたまらない……早く秋が来ないかなあ。

夕方退社して帰宅。湯船の読書は「殊能将之読書日記 2000-2009」(講談社)。Akahige Namban といふ著者のポルノ小説 "Tokyo Story" によれば、中国地方出身者はトンカツを食べたことがないものらしい("... as a native of Chugoku province he had never eaten tonkatsu.")。それは知らなかつた。勉強になるなあ。それにつけても、アカヒゲ・ナンバンとは。

2016/07/12

般若湯

寝坊してしまつて、朝にはラテン語の勉強ができず。慌てて朝食を作つて食べ、お弁当も作り(今日は精進日なので料理が面倒)、線形代数の勉強をして、出勤。

今日もそれほど気温は高くないが、蒸し暑い。帰宅して風呂に入り、ラテン語を少しだけ勉強してから、夕食の支度。枝豆でビール。精進日には肉食と五葷を断ち、心静かに過すのだが、酒はどうするのかが難しいところ。私のルールでは飲んでも良いことにしてゐる。どちらかと言へば、適度な量の酒は人間を煩悩や欲望から遠ざけ、悟りに近付けるのではないか、と思つて。のち、精進揚。蓮根、茄子、牛蒡と人参のかき揚げ。

2016/07/11

月曜日

また一週間の始まり。蒸し暑い。とは言へ、今年はそれほど暑さが辛くないなあ、と思つたところで、はつと気付く。歳のせゐで暑さに鈍感になつてきてゐるのでは!平気だと思つてゐたらいつの間にか重度の熱中症になつてゐて救急車で運ばれる独居老人……気をつけよう。

光源氏の須磨への隠居に若干の憧憬も感じつつ出勤。夕方退社。帰宅して風呂に入つてから、夕食の支度。板山葵と冷奴で冷酒を五勺。いや、こんなワビサビめいたものばかりではいかん、年寄りは積極的に肉を食はねば、と豚肉の生姜焼きとキャベツ千切り。そして素麺。

2016/07/10

subtle

週末のイネス研究。「アリントン邸の怪事件」(M.イネス著/井伊順彦訳/長崎出版)、読了。アプルビイは警視総監を引退して荘園生活を満喫中なので、シリーズ後期に属する。イネスには珍しくかなりトリック指向。伏線も丹念に引かれてゐて、一見は本格ミステリの秀作と思へなくもない。

しかし、伏線と言つても、単に先回りして書いておきました、と言ふ程度のものであつて、モダン・ディテクティヴの文法における伏線ではない。つまり、「あれはこのことであつたのか」と謎や不自然さが合理的に解決されるわけではない。また、「意外な真相」を聞かされても、一つの解釈のやうな印象しか受けない。結局のところ、パズラーの格好はしてゐながらもパズラーの精神がない。

しかし、ミステリ小説としてつまらないわけではなく、実際面白いのである。鷹揚としたクラシックなミステリのムードと、それに対してオフビート気味な展開、いかにも英国風の皮肉なユーモアと英国的教養に満ちた会話と描写、複雑で微妙な真相、まさにイネス節が満喫できる(やや軽めの)一品。

イギリス人から「一言で言ふと、シェイクスピアは "subtle" なのだ」と聞いて、うまいことを言ふものだな、と思つた記憶がある。日本語にはぴつたり一致する語がないのだが、イネスを読んでゐてもこの "subtle" と言ふ語が良く思ひ浮かぶ。




2016/07/09

SurPrize, surPrize!

私自身とても驚いてゐますが、ロンドン数学会の "Senior Berwick Prize" を京大の日野さんと共同受賞しました(LMS Prize Winners 2016)。末席を汚す、と言ふ言葉が今ほど心に沁みたことはないです。

数学の共同研究では、貢献度は無条件に等分が建前で、だからこそ数学の共著論文の著者名は常に ABC 順なのですが、もちろん現実には等分でないことがあります。実際、この授賞対象の論文では、「予想の解決」を最初に証明したのは日野さんであり、実質的貢献のほとんどは日野さんにある、と言ふことをはつきりとここに記しておきたいと思ひます。

私の貢献を強ひて言へば、この問題が気に入つて機会あるごとに研究会などで宣伝したこと、そして、投稿先を相談したときに Bull. L.M.S. を挙げたことくらゐです。そもそもこの問題に取り組んだ切つ掛けも、シャーロック・ホームズの宿敵モリアーティ教授に倣つて、イギリスで二項定理の研究がしてみたかつたに過ぎません。この問題が数学的に深いと思つたわけでは全然ないです。むしろ、こんな労して益の少ない問題はいくら宣伝したところで、世界で私くらゐしか考へないだらう、と得意に思つてゐたほどです。

私はこの問題を数年間ほど、一人だけで考へ続けてゐたのですが、これと言つた成果は得られませんでした。とは言へ、「一日中、たった一つの微分方程式を睨んでいた」幸福な時間を私に授け続けてくれた問題であり(この場合は、たつた一つの不等式でしたが)、日野さんから「どうやら解けたやうに思ふ」と連絡を突然いただいた時は、同じ問題を考へてくれたこと、解決してくれたことを嬉しく思ふと同時に、もうあの幸福な時間は終はつたのだと、とても寂しく感じたのを、つい昨日のことのやうに思ひ出すことができます。

そんなわけで、私には全く相応しくない授賞なのですが、私自身はずつと以前にこの賞以上のものを数学自身からいただいてゐたな、と思ふのです。

2016/07/08

金曜日

さほど気温は高くないが蒸し暑い。今日も少し早く退社して、本郷にて所用を片付けてから帰る。今週は色々とイレギュラーなイベントがあつたなあ。兎に角また週末に辿り着いてほつとしてゐる。


2016/07/07

「巨大なインク壺の謎」

一昨日、昨日と涼しかつたのだが、今日は全力で夏。辛い。少し疲れてゐるのか、昼休みにデスクでぐつすり眠つてしまつた。

帰宅して、まず風呂。湯船の読書は「ルーフォック・オルメスの冒険」(カミ著/高野優訳/創元推理文庫)。「巨大なインク壺の謎」で、読了。この圧倒的な馬鹿馬鹿しさ、阿呆らしさ。世は憂きものなりけり、と光源氏のやうに思ひ定めて悟り澄ましたこの私でさへ、日常の憂さを一瞬忘れるほどの脱力感。

やはりフランス人は偉大だ。イギリス人もナンセンスが得意だが、所詮、「お殿様のご乱心」めいた上品さや知性がすけて見えてしまふところを、このフランス人の駄目さ加減は、何の中身も底もなく、単に阿呆らしい。さすがダダイスムを生み出した国で、ダダイスト新吉も草葉の陰で反省してゐることだらう。こんな全身が脱臼したやうな小説は、誰の作品か忘れたが「機械探偵クリク・ロボット」以来だ。

この本を読んだ時間を返してくれ、と言ひたいが、そもそも私の人生全体が、今まで生きた時間を返してもらふべきものなのかも知れず、人生とはこれカミ頼みなのかも知れない。

2016/07/06

須磨

往きの車中の読書の「源氏物語」(玉上琢彌訳注/角川ソフィア文庫)は第三巻に入つた。「須磨」の帖。光源氏の都落ち。桐壺院の崩御によつて政敵の右大臣一派が勢力を強め、光源氏は朧月夜との密会事件などの処分を待たずして、自ら須磨に身を引く。須磨あたりに隠居もいいなあ。今、神戸の須磨区は「消滅可能性都市」の一つに挙げられるくらゐ寂れてゐるらしいので、平安時代と同じく隠居には絶好かも知れない。

今日も私用のため、少し早めに退社させていただいた。今、帰宅して、これからお風呂。


2016/07/05

花散里

曇り空。しかし昨日と変わつて気温の低い一日。朝の車中の源氏物語は「花散里」の帖を終へた。私用のため午後早い時間に早退させてもらつて、築地へ向かふ。夕方、帰宅。

夕食はポテトサラダ、タイ風グリーンカレー、ビール。夜の読書は「モンテ=クリスト伯爵」(デュマ著/大矢タカヤス訳/新井書院)など。

2016/07/04

冷やし中華あり升

朝から晴れたり曇つたり雨が降つたりの奇妙な天気。蒸し暑い。ああ夏が来たのか。午後は六本木の豪華ビルに往訪ミーティング。初顔合はせだしと思つて、一応ネクタイをして行ったら、ジーンズと T シャツでないのは私だけ、みたいな環境だつた。

夕方退社。さらに猛烈な湿度。まさに夕立と言ふ豪雨が降つては上がり、降つては上がりしてゐる。高温と湿度と低気圧でふらふらになりながら帰宅。風呂に入つてから夕食の支度。食欲もなくて、トマトと錦糸卵と若布の冷やし中華。冷やし中華日和ではある。

昨日から読んでゐる「死すべき定め」(A.ガワンデ著/原井宏明訳/みすず書房)。とても重い内容だが、既に本年度ベスト・ノンフィクションの気配。ちなみに先月出版されたばかり。

2016/07/03

「アララテのアピルビイ」

週末のイネス研究。「アララテのアプルビイ」(M.イネス著/今本渉訳/河出書房新社)、読了。「アプルビイズ・エンド」などから比較しても、さらに変てこな作品。客船が U ボートの攻撃で沈没、たまたまサンデッキの喫茶室に居合はせたアプルビイを含め六人のイギリス人は、引つくり返つた喫茶室を船代はりに漂流ののち、無人島らしき島に漂着。原始的な共同生活を始めた矢先、その一人が殺される。アプルビイは事件の捜査を始めるものの謎めいた展開が次々に……と言ふやうなお話。

これまた怪作。外の世界では第二次世界大戦中、この小さな島では一人の黒人が殺された殺人事件、という奇妙な対照とからみあひ、良く言へば予想を裏切り続ける、悪く言へばとりとめのない展開、あまりにも独特の怪作。ピーター・ディキンスン風味も感じられるが、この飄々として、あつけらかんとした味はひはまぎれもなくイネスの持ち味である。無論、これが探偵小説、推理小説、ミステリの枠組みに入るかどうかも怪しく、十八世紀的な雰囲気で書かれたドタバタ冒険小説風イネス作品、とくらゐにしか言ひやうがない。

第二次世界大戦中に「アララテ」を題したこんな作品を書いてゐたイネスに思ひを馳せると、愛国、反戦などと単純にとらへ切れない複雑なものが、シリアスな文学者のシリアスでない余技としてのミステリ(風)作品の中に浮かび上がる姿に、複雑な感慨を持たざるを得ない……と真面目に考へるのは、おそらく間違ひだらう。英国的教養に裏打ちされたイネスの軽さ、陽気さ、幸福感はまだ私には解かれざる謎である。

2016/07/01

本当の週末

何だか今週はとても長かつた。一昨日が金曜日のやうな気がしてゐたほど。今日は、週末で、月の初めで、四半期の初日で、親会社の新年度の初日だつたので、「前期のレヴュと反省」がトリプルウィッチ以上の状態で、反省ばかりしてゐる一日だつた。

夕方から親会社の新年度開始の全体会議とイベントに参加して、鮨を撮み食ひしてから、少し残つてゐた仕事を片付けて退社。今、帰宅してこれからお風呂。