昨日、E 社の社長(兼、一人社員)の N さんとの会食中に、「韓非子」にある「象箸を怖る」という説話が話題になった。
殷の紂王が初めて象牙の箸をあつらえた。 賢臣の箕子はこの話を聞くと、ああ恐しいことだ、と言った。 象牙の箸を持ったら、紂王は今の素焼きの器に満足するだろうか、いや玉の器にしたくなるだろう。 玉の器に盛る料理は今までの通りで満足するだろうか、いや山海の珍味にしたくなるだろう。 そうなったら着物や部屋も今のままで済むまい、「則チ、錦衣八重、広室高台ナラン」。 いずれ、国中の財を集めても足りなくなるに違いない、「吾レ其ノ卒(おわ)リヲ畏ル、故ニ其ノ始メヲ怖ル、ト」。
ご存知の通り、殷の紂王と言えば「酒池肉林」、それが「箕子の怖れ」の五年後、ということになっている。 紂王は弁舌に優れ、頭も良ければ、猛獣を倒すほど力も強く、しかも美貌。おかげで臣下が無能に見えてしようがなかった。 そのせいでもないだろうが、段々と、傍には佞臣ばかりを集め、悪女の妲己に溺れ、重税を課して、贅沢に狂い、殷は滅びた。 箕子は紂王の性根はもちろん、環境や世情についても、良く理解していたのだろう。 だからこそ、象牙の箸を作ったというような些細な出来事の時点で、その結末を怖れることができたのであり、 そういう人を賢人と言うのだ、というお話である。