昔、以下のようなお話を何かで読んで、子供心にも非常に感心し、ずっと心に残っていた。
ある王様がビシカという美少年を寵愛していた。 ある日、二人が桃の園を散歩しているときのこと、 ビシカが枝から桃を一つとって食べたところ、甘くて美味しい。 そこでビシカはその桃の半分を王様にあげた。 王様は、なんと可愛いやつであろう、こんな美味しい桃を残して分けてくれるなんて、と思った。 しかし月日が過ぎ、寵愛が失われたとき、 王様は、やつは食い残しの桃をわしに食わせよった、と言ってビシカを処罰した。
原典は何なのだろうなあ、と思いつつ、特に調べることもしなかったのだが、 昨日、歌舞伎座の幕間に「文章読本」(丸谷才一著/中公文庫)を読んでいると、 名文の例としてこの話が引用されているのに、思いがけなくも出くわした。 「韓非子」の「説難」、つまり権力者に意見することの難しさについて論じた章の終わりの方、 「昔者、彌子瑕、衛ノ君ニ寵有リ」から始まる短い説話である。
彌子瑕は母親の急病を知って、許しを得ずに君の車に乗って出かけた。 君はそれを知って、「孝ナルカナ、母ノ為メノ故ニ其ノ刖(げつ)罪ヲ忘レタリ」と誉めた。 衛の国の法律では、許しを得ずに君の車に乗ったものは足斬りの刑だったのである。 また、ある日、彌子瑕は君と果園に遊び、桃を食べてうまかったので、食べさしの桃を君に与えた。 君は、「我ヲ愛スル哉、其ノ口味ヲ忘レ、以テ寡人ニ啗(くら)ハシム」と言った。 しかし、彌子瑕の「色衰へ愛弛ブ」におよび、君から咎めを受けることになった。 君が言うには、「是レ固ト嘗テ吾車ニ矯(いつ)ハリ駕シ、又嘗テ吾ニ啗ハシムルニ餘桃ヲ以テセリ」と。 しかし、彌子瑕の行いは最初から全く変わらず同じであり、変わったのは衛王の心である。 「故ニ彌子ノ行ハ未ダ初ヨリ変ゼザルナリ」。
ちなみに、今日「韓非子」のその箇所を読んで驚いたことには、これは有名な「逆鱗」を説明した逸話だった。 初老にいたっての無知は恥ずかしいことである。 なお、この箇所が「文章読本」で引用された理由は、 「色衰へ愛弛ブ」や「故ニ彌子ノ行ハ未ダ初ヨリ変ゼザルナリ」のような、 冷酷で、厳しく、簡潔な文章表現は、漢文を読まぬことには学べない、という主旨だった。 思うに、こういう簡潔にして怜悧な感じはラテン語に似ていて、東西は違え、どちらも古典であるところが面白い。