今日もまた良い天気。
いつものように朝食の支度。
水曜日はお弁当作りを休むので、ゆっくりした朝。
出勤して、あれこれ。
昼食は近所の洋食屋さんにて。
この店では、ランチビールと称して、
昼時にハーフパイントのビールを出す。
私にとってビールというものは、
人生における他の多くについても成り立つことであるが、
最初の半パイントが美味しいのであり、
この企画は非常によろしいものだと考えている。
いや、もちろん昼間からビールを飲んだわけじゃないです。
注文したものが出てくるまで、
「舌鼓ところどころ」(吉田健一著/中公文庫)より、「饗宴」を読む。
病気入院でまともに食事ができなかった友人を憐れんで、
自分もそうなったらどうしようと想像しているうちに、
食べたいものを想像する慰みを想像することになり、
その勢いで夢の饗宴を書き綴った、というエッセイ。
なにせ想像なのだから、満腹でもう食べられない、ということがない。
夢は楽しく奔放に拡がっていくのみで、
こんな経済的な趣味はないかも知れない。
そういう想像だから、「最後の晩餐」的な哲学的要素もなく、
変な方向に走ったりするのが面白い。
例えば、コロッケ蕎麦の改良という変てこな料理が出てくる
(ちなみに、久保田万太郎によれば、
蕎麦自体は「よし田」という店が始めたらしい)。
吉田健一案のその改良とは、
ざっくり言えば、カレー南蛮の上に巨大なコロッケを載せ、
そこに生卵を落としたものである。
味に変化をつけるため、
「茄子の辛子漬けになるべくじゅくじゅくした奈良漬け」を別に小皿でつけてほしい、
とか、ただの夢想のわりに芸が細かい。
このあたりの妄想ぶりは、吉田健一は確かに食通なんて下らないものでもなければ、
ただの食いしん坊でもないな、と一目置かざるを得ない。
それはさておき、
このコロッケカレー南蛮蕎麦、妙に美味しそうだ。
誰でも思いつきそうなわりに、意表をついているのか、
実際に見たことはない。
一度、自作してみようかと思っている。
また、さらにその想像の中に、
存在するのかしないのか分からない「メルヒオール」という何でも料理屋で、
餃子と鮒鮨を一緒に食べるという場面もあった。
餃子とカレーがあわないことは、最近、私が実証したところだが、
餃子と鮒鮨もかなりあわない気がする。
しかし、吉田健一が言うのだから、あうのかも知れない。
これも機会があれば試してみたい。