夜の間に嵐は過ぎ去ったのだろうか。
今日は良い天気。風は強そうだが、家にいる分には問題ない。
また、あまりに良く眠れ過ぎて、寝坊。
珈琲、ヨーグルト、パイナップルだけの朝食。
朝風呂に入って、昼までは読書と家事。
「白い国籍のスパイ」(J.M.ジンメル著/中西和雄訳/祥伝社ノンポシェット)。
昼食は、浅蜊とトマトのスパゲティ。
デザートにチーズ三種と赤ワインを少々。
午後も読書と家事。
夕食は御飯を炊いて、だしを引き、
鰤の漬け焼き、マイクルのキャベツ、冷奴(大葉、生姜、茗荷)、
ちりめんじゃこと大根おろしに自家製のポン酢、
菠薐草と油揚げの味噌汁。
食後に瀬戸香を一つ。
「白い国籍のスパイ」は、料理とミステリ、というお題では必ず挙がる書名なので、
名前だけは知っていたが、最初に強い興味を持ったのは、
開高健が「最後の晩餐」(光文社文庫)の中で絶賛していたからだったように記憶している。
洒脱でスマートで汎ヨーロッパ人的な銀行家だった主人公が、
第二次世界大戦の中、否応なく二重三重のスパイに仕立てあげられ、
危機に巻き込まれてはその才覚で見事に困難を切り抜けていく、
というエスピオナージュ。
変わっているのは、主人公が無類の料理好きで、
場面場面で料理の腕をふるうところだ。
主人公はこうつぶやく。
「このいやな戦争を生きのびたら、
回想録を出版社に売ってやろう。献立表も全部つけて!」。
そして実際、この小説には料理のレシピのページが挟み込まれていて、
巻末には料理名とその料理が出てきた箇所の索引までついている。
凡庸な言い方だが、こういう「遊び」、あるいは「余裕」
がこの小説の美点だろう。
(しかし、ノンポシェット版の養老孟司のあとがき解説によれば、
最初の翻訳ではレシピの部分が割愛されていたようだ。
ああ、日本の出版社の余裕のなさよ。)
また、実在の人物があちこちに登場するのも面白い。
例えば、ジョセフィン・ベイカー
がかなり重要な役どころで出てきて、
「必ずしもキャビアじゃなくちゃならない、ってものではありませんわね」
と言う。
これが小説の原題の "Es Muß nicht immer Kaviar sein"
(英語なら "It can't always be Caviar",
仏語なら "C'est pas toujours du caviar")
になっている
(どうして「白い国籍〜」みたいなつまらない邦題になっちゃったのかは謎)。
また、信じ難いことに主人公トーマス・リーヴェンも実在の人物、
と言うのは言い過ぎだが、少なくともモデルが存在するようだ。
そのインタビュー記事を読んだという開高健によれば、
性格は真反対のようだったとのことだが。
開高健を始め、この小説を高く評価する通人は少なくない。
多分それは、この表面的には愉快痛快でサーヴィス満点の小説がただのエンタテイメントではなく、
戦争と正義について、まっとうな人間のまっとうな生き方とはなにかについて、
通奏低音のように静かに語っているところに、
自分は気付いた、と思わせてくれるからだろう。
人生にはいつもキャヴィアがあるとは限らないのだが、
分別を持ち、もっと考えることは、いつも可能なのである。