「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2013/06/05

夢の饗宴

今日もまた良い天気。 いつものように朝食の支度。 水曜日はお弁当作りを休むので、ゆっくりした朝。 出勤して、あれこれ。 昼食は近所の洋食屋さんにて。 この店では、ランチビールと称して、 昼時にハーフパイントのビールを出す。 私にとってビールというものは、 人生における他の多くについても成り立つことであるが、 最初の半パイントが美味しいのであり、 この企画は非常によろしいものだと考えている。 いや、もちろん昼間からビールを飲んだわけじゃないです。

注文したものが出てくるまで、 「舌鼓ところどころ」(吉田健一著/中公文庫)より、「饗宴」を読む。 病気入院でまともに食事ができなかった友人を憐れんで、 自分もそうなったらどうしようと想像しているうちに、 食べたいものを想像する慰みを想像することになり、 その勢いで夢の饗宴を書き綴った、というエッセイ。 なにせ想像なのだから、満腹でもう食べられない、ということがない。 夢は楽しく奔放に拡がっていくのみで、 こんな経済的な趣味はないかも知れない。

そういう想像だから、「最後の晩餐」的な哲学的要素もなく、 変な方向に走ったりするのが面白い。 例えば、コロッケ蕎麦の改良という変てこな料理が出てくる (ちなみに、久保田万太郎によれば、 蕎麦自体は「よし田」という店が始めたらしい)。 吉田健一案のその改良とは、 ざっくり言えば、カレー南蛮の上に巨大なコロッケを載せ、 そこに生卵を落としたものである。 味に変化をつけるため、 「茄子の辛子漬けになるべくじゅくじゅくした奈良漬け」を別に小皿でつけてほしい、 とか、ただの夢想のわりに芸が細かい。 このあたりの妄想ぶりは、吉田健一は確かに食通なんて下らないものでもなければ、 ただの食いしん坊でもないな、と一目置かざるを得ない。

それはさておき、 このコロッケカレー南蛮蕎麦、妙に美味しそうだ。 誰でも思いつきそうなわりに、意表をついているのか、 実際に見たことはない。 一度、自作してみようかと思っている。 また、さらにその想像の中に、 存在するのかしないのか分からない「メルヒオール」という何でも料理屋で、 餃子と鮒鮨を一緒に食べるという場面もあった。 餃子とカレーがあわないことは、最近、私が実証したところだが、 餃子と鮒鮨もかなりあわない気がする。 しかし、吉田健一が言うのだから、あうのかも知れない。 これも機会があれば試してみたい。