「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2016/11/26

シブミ

家事の他は讀書の一日。今日明日で「シブミ」(トレヴェニアン著/菊池光訳/ハヤカワ文庫)をゆつくり読もうと思ひ、今朝から始める。

初めて讀んだのは確か高校生の頃だつたのだが、当時は滑稽な、と言ふほどではなくとも、戯画的な印象を受けたものだ。何せ、滅び行く日本の心「シブミ」を会得した暗殺者ニコライ・ヘルが主人公なのである。「アイガー・サンクション」の主人公ヘムロック教授も、大學教授で美術鑑定家でありながら、絵画蒐集の高額な費用を捻出するため殺し屋をしてゐる、と言ふ漫画のやうな設定だつたが、それを上回る造形。

ニコライ・ヘルはハプスブルグ家の血をひきながら、日本人に育てられて日本的精神の至高の境地「シブミ」を目指すに到り、囲碁とケイヴィングの達人で、狙撃や望遠カメラすら「近接感覚」によつて無意識に避けることができ、日常のあらゆるものを武器にする殺人技「裸-殺」を極めた世界屈指の暗殺者だつたのだが、今はバスク地方の寒村で情婦と庭師とともに靜かに引退生活を送つてゐるのである。

しかし今讀むと、トレヴェニアンにおいて漫画的な設定はあくまで形式なのであつて、その形式を徹底することによつて何か他のことを書いてゐるのである。トレヴェニアンは寡作だが作品はどれも凡庸な作家の傑作の遥か上であり、その中でも「シブミ」が彼の代表作であり最良の作だろう。