年始らしくおめでたく紅白にしようと思つたのだが、生憎、白薔薇が払底してゐて薄桃色。
市川崑監督の「細雪」、「悪魔の手毬唄」、「犬神家の一族」と續けて観たのだが、やはり小説の映画化は原作とは違ふものだ。映像化の素晴しさの一方で、小説での「見せ所」が映画に似はない。
例へば、映画「犬神家の一族」ほどインパクトのある映像は凄い。一方、この小説の味噌は「真相を知らない真犯人」といふ構造一つがあらゆる謎を説明してしまふことと、盲目の琴の師匠とのやりとりの二点である。それが映画ではあまり生かされない。ミステリではない「細雪」でも、妙子が雪子の足の爪を切つてゐる場面は映画でも良い絵になつてゐるが、さういふ意味ではないのだがなあ、と言ふ氣がする。
小説「細雪」の私が思ふ勘所は、この四姉妹の「えぐ味」で、実際、次女幸子以外の三人はかなりろくでもない女たちである。しかしそれが姉妹の美しさ、優しさ、やるせなさ、仲が惡いやうで根のところでの揺ぎない親密さなどと表裏一体になつてゐる。讀者はさう言ふ関西の女がさもありなんと思ひつつも、本當には理解できない、そこが面白いのである。そしてそこは映像化が難しいし、似合ひもしない。