朝から妙に温かい。これなら鶏も始めて鳥屋につくと言ふものだ。いつもの時間に出社、退社。歸宅して風呂。湯船で「日本三大洋食考」(山本嘉次郎著/旺文社出版部)を讀んでゐると「一銭洋食」が出て来た。
大正と昭和の境目の頃の京都の話なのだが、この「一銭洋食」とはミニサイズの串カツらしいのである。一本一銭を十本単位で売つてゐたとのこと。しかし、私の知る一銭洋食とは、貧しいお好み焼きと言つた感じのものだ。確か、南座の前を縄手通りに入つたあたりにも一銭洋食屋があつて(今もあるはず)、そんな感じのものを売つてゐたから、少くとも現代では、京都でもあれが一銭洋食のはずだ。
しかし、良く考へてみると、ミニサイズの串カツと、葱と紅生姜と竹輪のクレープと、どちらが「一銭洋食」の名前に相応しいだらうか。明らかに、一銭で食べられる洋食料理である前者だ。「一銭洋食」が串カツを指してゐた時代があつたのかも知れない。それとも、山本嘉次郎かその店自体が勘違ひしてゐたのか? 謎である。食文化に詳しい方にご教授願ひたい。
その謎はさておき、この話が出てゐる随筆「ようイーさっさ地蔵盆」は昔の京都の風情がしみじみとして、しかも物凄く美味しさうな文章であるから、一讀をお薦めしたい。