特に何の予定もない週末。「証拠」(D.フランシス著/菊池光訳/ハヤカワ文庫)、「新釈漢文大系 第22巻 列子」(小林信明訳/明治書院)など。「列子」の「力命」第二章。こんな話が書かれていた。
北宮子が西門子に言うには、君と私とは氏素性も歳も容貌も言うこともすることも皆同じようなのに、君は高い身分と財産を得て皆から尊敬されていて何をしてもうまく行き、一方私は貧乏で身分もなく誰からも認めてもらえず何をしてもうまく行かない。それだからだろう、君は私を軽んじて侮り続けているね。人として自分の方がずっと上だと思っているのだろうか。西門子が答えるには、実際どうかは分からないけど、結果がこうなっていることからして、君と私が違うということを示しているんじゃないかね。それなのに君は、私を君と同じだと言う。ちょっとずうずうしくないかい。
北宮子はこれに答えることができず、がっくりとして帰る途中、東郭先生に会った。先生が、そんなに恥じ入った様子をしてどうした、と訊くので、北宮子は事情を話した。すると先生は、私が言い返してやろうと言って、二人は一緒に西門子のところに行き、再び同じ話を聞いた。先生が西門子に言うには、君は才徳の差を言っているだけだね、しかし私思うに、北宮子は徳は厚いのだが、命が薄い。君は命に厚くて、徳に薄い。君が恵まれているのは智の徳のせいではないし、北宮子が困窮しているのは愚かだからでもない。これは皆、天であって、人ではない。なのに、君は命の厚さを自ら誇り、北宮子は徳の厚さを自ら恥じている。もとからそうであるという理がどちらも分かっていないよ(「皆夫ノ固ヨリ然ルノ理ヲ識ラザルナリ」)。
これを聞いた北宮子は、もうやめて下さい先生、と言って、家に帰った。そのあとも北宮子の境遇は困窮したまま全く変わらなかったが、一生安らかに過し、栄辱が人にあろうが自分にあろうが気にしなかった。それを聞いた東郭先生は、彼は長く寝ていたが一言で目が覚めた、簡単なもんだね、と言った。