昨夜はまた 9 時に寝てしまい、今朝、目が覚めたのは 8 時過ぎ。 また 11 時間寝てしまった。 昨夜食べ過ぎたので、朝食は珈琲、ヨーグルト、林檎を一つだけ。
朝風呂に入って、湯船で 「食物読本 種村季弘のネオ・ラビリントス6」(種村季弘著/河出書房新社) より、「食物漫遊記」を読む。 種村季弘の書くものは女性にうけない、というのは本当だと思う。 同じような博覧強記の市井の学者に澁澤龍彦がいるが、似て非なり。 開高健が女性にうけないのと共通点があるかも。
今日、湯船で読んだ箇所は、画餅を食う話、というタイトル。 天下の美食家として知られた蘇東坡の食通はあまりあてにならない、 という歴史的逸話から始まり、 名代のお店のうまいに決まってるものを食べに行ってうまいと書くのは「お上りさん」であって、 軽率な嘘をものともせず夢想を表現する蘇軾が文章家、食通として一目置かれるのが文明と言うものだ、 と言う批判が展開される。 さらに、落語の「長屋の花見」の歴史につなげるところは、さすが博覧強記の種村先生。 そして、最後は種村先生自身が学生の頃のいじらしいエピソード。
著者は赤貧洗うが如しの貧乏暮らしで、 同じように貧乏な仲間どうしで、 「駒込クッキングスクール」の校舎を見下ろす位置にあるアパートに屯していた。 貧乏暇だらけの著者たちは毎日のように、この校庭を歩く女子学生を双眼鏡で覗いて暮らす、 変態学生だったのである。 そんなある日、 クッキングスクールで学園祭が開かれ、試食の食べ放題企画があるという情報を得た。 学園祭当日、著者たちは一人ずつ偵察に行くのだが、 バンカラ学生ならではの羞恥心と意気地なさ、 若い女性たちの花園で図々しく試食するなんてことができようはずもない。 みなそれぞれに、いかに素晴しいものを食べたかと言うことを、嘘八百で報告する。 これが実にいきいきとした描写で、 これは余程うじうじしたことのある人間でないとここまでいじらしくは書けまい、 と思うほど、可笑しい。ある意味、「長屋の花見」を越え、ニーチェにすら近い。 こんな具合であるから、種村季弘が女性に好かれないのはもちろん、 こんなの読んでちゃもてないな、とも思うわけである。
早めの昼食は、出来合いの鰻でひつまぶし、菠薐草のおひたし、白菜の浅漬、しめじと豆腐と葱の赤だし。 午後は、自宅の ubuntu を 12.04 に upgrade しながら、 暇潰し用の当たり障りのないエンタテインメント本のストックより、 「催眠 (上・下)」(L.ケプレル著/ヘレンハルメ美穂訳/ハヤカワ文庫) を読み始める。 upgrade も済んだので、ちょっと横になったら、また二時間以上寝てしまった。 ここまで眠れるのは、やはり病気だろうか。たまたま明後日は健康診断で良かったかも。 夕方になり、夕食の支度。 冷奴(葱、酢橘、薄口醤油)、枝豆、鰯の生姜煮で、ヱビスビールを小一本だけ。 のち、しめじの卵とじ饂飩。食後に柿を一つ。