「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2017/01/31

居酒屋

昨日は春の陽気だつたが、今日はまた冬に戻つたやうだ。

いつもの時間に退社、一旦自宅に戻つてから、再び外出。本郷の居酒屋にて、若者たちと会食。鮮魚系のあれこれとつみれ鍋で、冷酒を一合。そして今、歸宅。これからお風呂。

2017/01/30

京都の一銭洋食の謎

朝から妙に温かい。これなら鶏も始めて鳥屋につくと言ふものだ。いつもの時間に出社、退社。歸宅して風呂。湯船で「日本三大洋食考」(山本嘉次郎著/旺文社出版部)を讀んでゐると「一銭洋食」が出て来た。

大正と昭和の境目の頃の京都の話なのだが、この「一銭洋食」とはミニサイズの串カツらしいのである。一本一銭を十本単位で売つてゐたとのこと。しかし、私の知る一銭洋食とは、貧しいお好み焼きと言つた感じのものだ。確か、南座の前を縄手通りに入つたあたりにも一銭洋食屋があつて(今もあるはず)、そんな感じのものを売つてゐたから、少くとも現代では、京都でもあれが一銭洋食のはずだ。

しかし、良く考へてみると、ミニサイズの串カツと、葱と紅生姜と竹輪のクレープと、どちらが「一銭洋食」の名前に相応しいだらうか。明らかに、一銭で食べられる洋食料理である前者だ。「一銭洋食」が串カツを指してゐた時代があつたのかも知れない。それとも、山本嘉次郎かその店自体が勘違ひしてゐたのか? 謎である。食文化に詳しい方にご教授願ひたい。

その謎はさておき、この話が出てゐる随筆「ようイーさっさ地蔵盆」は昔の京都の風情がしみじみとして、しかも物凄く美味しさうな文章であるから、一讀をお薦めしたい。

2017/01/29

ハードボイルド

七時起床。一週間分の家事の合間に、讀書をしたりスケッチをしたりの一日。生まれてから半世紀ほど、絵なんてほとんど描いたことがなかつたので、何もかもうまく出來ないし、何をどうしたら絵になるのか謎だらけで楽しい。人に教はつたり本で勉強したりすると、すぐ上手になつてしまつて面白くないので、独りで探求を續けたい。

朝食はチアシード入りのヨーグルト、パン、茹で卵、珈琲。晝食は砂肝と長葱の大蒜炒めでリースリングを一杯ののち、鶏南蛮蕎麦。三時にチョコレートとバナナのペイストリと珈琲。夕食はココナツミルクベースの海老カレーとビール。

これから「古典芸能への招待」で厳島観月能を観てから就寝予定。さて、明日からまた一週間だが、せめて今は穏やかな気持ちでゐよう。



2017/01/28

逆に言へば

7 時起床。休日用の簡単な朝食のあと、ラテン語の勉強をしてから、出動。前回は所用で欠席したので今年初のデリバティブ研究部会自主ゼミ。重川「確率解析」より T さんの発表で Burkholder の不等式、最大エルゴード不等式など。ゼミ後のランチは中国料理屋にて。黒酢の酢豚。

ふと思つたのだが、日常会話で「逆に言へば……」とか「逆に……」と言ふときは、大抵、論理的には「逆」ではなくて「裏」なのではないか。論理的な人の場合には「対偶」だつたりするかも。

歸宅して、少し書き物仕事をしてから後は、``Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press)を讀んだりしてのどかに暮す。夕食は酒と醤油だけで調味する鶏もつ鍋。赤ワインを一杯だけ。もつ鍋のあとは(インスタント)ラーメンが定番なのだが、今日はきしめんを使つて焼きうどん風にしてみた。べろべろ感が悪くない。夜は、特にこれと言つた理由はないが、「グリーン家殺人事件」(S.S.ヴァン・ダイン著/井上勇訳/創元推理文庫)を研究してみよう、と思つて再読。


2017/01/27

金曜日のビール

新宿方面での往訪仕事のあと、私用のため移動。遅くなつたので、夕食は自宅の近所のカレー屋にて。歸宅後、風呂に入つてから、まさに今、焼き潤目鰯を肴にビールを飲んでゐるところ。うまい。

今週はかなり辛かつたが、何とか無事に週末に辿り着いた。誰の上にも兎に角、週末はやつて來る。ありがたいことである、と思ひつつ、花と猫を愛でる金曜日の夜。暇にまかせて、また猫スケッチ。

2017/01/26

ごく普通の一日

今週初めて普段通りの平日。ラテン語、數學基礎論を三十分づつ勉強のあと、少し暇があつたので何となく猫のスケッチをした。意味はない。往きの車中の讀書は玉上「源氏物語」、椎本の帖に入つた。薫が出生の秘密を知る邊り。

夕方退社。歸りの車中の讀書は「ダルジールの死」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ・ミステリ 1810)。歸宅してまづ風呂。湯船の讀書はいまだ  "The Paper Thunderbolt" (M.Innes / Penguin). 漸く最後の部に入つた。風呂のあと夕餉の支度。毛蟹の殻と昆布でだしをとつた細葱の味噌汁、豚ニラ玉丼、沢庵。豚ニラ玉は一部、明日のお弁当のおかずに。食後に包種茶をいれる。

これから寢台で、「ブッデンブローク家の人々」(T.マン著/望月市恵訳/岩波文庫)を一章だけ讀んでから、諸橋論語の看経。のち就寝予定。

2017/01/25

かき揚げ蕎麦

いつもより早く出勤して朝一のミーティング。朝、ラテン語の勉強をしてゐる時間がなかつたので、午後の休憩時間を利用して三十分、ラテン語。かう言ふ時のために、"Wheelock's Latin" の kindle 版も買つてあるのだ。急に夜にもミーティングが入つたため、その前に近くの生協食堂でかき揚げ蕎麦の夕食。

ミーティング終了後退社して、今歸宅。これからお風呂。そのあと、寢る前にお弁当の惣菜を作る元氣があるかどうかで、明日の晝食がお弁当か外食かが決まる。

2017/01/24

日本三大洋食考

昨日の朝から調子がいまひとつだつたのだが、今日の午後に至つて、体調を崩しさうな予感が。明日の朝一にミーティングが入つてゐるし、ここが予防の意味で休むタイミングであるぞ、と判断して、四時半くらゐに退社。

歸宅して、風呂に入つてから、取り置いてあつた毛蟹の身に酢をかけてアルザスのリースリングを一杯、のち、蟹味噌で適当にパスタ料理。

あとは温かくして横になつて、好きな本を讀むだけの夜。「日本三大洋食考」(山本嘉次郎著/旺文社出版部)。

2017/01/23

月曜日

土日とも家でごろごろしてゐたのに、低調な月曜日の朝。とは言へ、何とか朝食の支度、ラテン語、數學基礎論、弁当作りを 20 分くらゐづつでこなして、出勤。

夜は目黒にて会食だつたので、今、帰宅。これからお風呂。

2017/01/22

「野獣死すべし」

休日用の簡単な朝食。三十分ラテン語の勉強をしてから、朝風呂。そのあとは家事とその合間の讀書の一日。珈琲豆を切らしてゐて、三日ぶりに珈琲を飲んだら、物凄く美味しかつた。しかも飲んだ後、三十分くらい頭が妙に冴えてゐた。一日最大でも三杯に止めているのだが、カフェイン中毒なのだらう。禁酒日の前に、禁珈琲日を週に一日くらゐ作るべきかも。晝食は焼きそばとビール、夕食は出來合ひの豚カツでカツ丼と沢庵、毛蟹の殻でだしをとつた味噌汁。

「野獣死すべし」(N.ブレイク著/永井淳訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)、讀了。古典的名作だが、やはり良くできてゐるし、モダンでもある。前半が殺人計画を実行しようとする男の視点での手記、後半は黄金期ミステリらしいスノッブな名探偵が登場しての第三者視点という対照的な構成が、物語の内容と本質的に関係してゐるところが、今讀んでも新しい。

二部あるいは三部構成で語り手や視点を切り替へるミステリ作品はしばしばあるが、その構成を自然に見せることが難しい。また、ミステリである以上、作者の企みが何かあるぞと讀者は身構へて讀む。そして、もちろん企みがあるので、作者としてはさらにハードルが高くなる。その意味で、なかなかこの作品ほどうまく処理できないものだ。


2017/01/21

毛蟹

七時起床。休日用の簡単な朝食。チアシード入りヨーグルト、苺を數粒、パンとチーズ、ココア。朝風呂に入つて、午前中はラテン語の勉強と讀書など。

晝食はお決まりのお好み焼きとビール。チゲ風スープ。午後も猫や花の相手をしたり、讀書などでのんびり暮らす。「野獣死すべし」(N.ブレイク著/永井淳訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)、"Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press)など。

夕方また風呂に入つてから夕食の支度。年明け初めて平日が五日あつた週の週末を言祝ぐため、毛蟹の塩茹でで熱燗五勺。のち、毛蟹の殻と昆布をだしに味噌味の雑炊を作り、蟹味噌を混ぜながら食す。リースリングを一杯だけ。生きてゐるつて素晴しい。

夜も「野獣死すべし」の續きなど。いい休日である。

2017/01/20

映画「ゼロの焦点」

歸りの電車で考へ事をしてゐたら、違ふ駅で降りてしまひ、しかもその途端に遅れが始まつたやうで、次の電車がなかなか來ず。

歸宅がかなり遅くなつてしまつたので、先に夕食。熱燗で身体を温めつつ、お土産の握り鮨。ヴィデオで映画「ゼロの焦点」(野村芳太郎監督/1961年)を觀る。暗い……雪の北陸が暗過ぎる。そして映画全体の長さの三分の一以上が解決編で、探偵役と犯人が断崖絶壁で語る語る、語りまくる。破調と言つてもいい構成だが、「羅生門」のやうな深さと凄みがある。主役の女優三人がどれもいいが、高千穂ひづるの顔の怖さと、有馬稲子の顔の可憐さが出色。多分、名画。少なくとも今の日本人にはこの映画は作れまい。

2017/01/19

雪と梅

年明け以來、六時に起きられない。困つたものだ。朝食のあと、ラテン語の勉強を 30 分弱。単語カードは 4 冊目に入つた。まさに笊で水を汲むやうだが。

夕方退社して歸宅。風呂に入つてから夕食の支度。きのこ類と鶏肉を、全く適当にポン酢味の蒸しものにしてみたら、何だこれ無闇に美味しい。再現できないけれども。リースリングを一杯だけ。のち、大根葉とちりめんじやこのふりかけで押し麦入り御飯、豆腐と長葱の味噌汁。

さて、明日は年明け初めて平日が 5 日あつた週の漸く金曜日だが、予報によれば、雪が降るやうな寒く暗い一日になるやうだ。「雪ふれば木毎(ごと)に花ぞ咲きにける」と明るいユーモアで眺めたいものである。

2017/01/18

車中のナンパ

夕方退社。車中で「ダルジールの死」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ・ミステリ 1810)を讀んでゐると隣に、つばの広い黒い帽子をかぶり、やはり黒のマキシのフェイクファーコートを着た、やけに美女オーラを放つ女性が座つた。こんな格好が似合ふのは日本人なら「キイハンター」の野際陽子くらゐであらうな、などと思つてゐると、背の高い外国人青年が他の客をかきわけて彼女の前にやつて來た。

そして突然、「ハーイ、君はどこの國から來たんだい?」と英語で陽気に話しかけたのである。「イラン」。「ヘエ、ええ……と、日本で何してるんだい?」。「○○株式会社で○○を担当してゐます」。「いやあ、あんまり綺麗だから、ちよつと氣になつてさ」。「左様ですか」。…………と、氣不味い沈黙が續いたあと、「話せて良かつたよ、じゃ、また!」と青年は去つて行つた。ふーむ、これがナンパと言ふ奴か、流石アメリカ人は打たれ強いな、と、彼はアメリカ人に違ひないと決めつけた私であつた。

「非情のライセンス」を口遊みながら歸宅。風呂に入つてから夕食の支度。鶏腿肉を蒸して、胡麻油と塩胡椒のみ。リースリングを少し。のち、鶏飯(けいはん)。

2017/01/17

カンタータ

今日は夕方のミーティングがあつたので遅い歸宅。NHK-FM「ベストオブクラシック」を聞きながら、夕食の支度。バロッカネルネの公演よりテレマン、バッハなど。冷凍しておいたハンバーグの最後の殘りを焼いて、キャベツ炒めとマカロニチーズを添へ、バゲットを少し切る。赤ワインを一杯だけ。やはりバッハのカンタータは癒される。

さて、これから風呂。

2017/01/16

氷点下

「古楽の楽しみ」を夢現に聞いてから起床。明日こそ六時に起床したいものだが。今朝も氷点下だつらしく、出勤時間でもかなり寒い。私は寒いのが好きなので、なかなか結構だ。これくらゐでないと冬と言ふ氣がしない。

歸宅して、まづ風呂に入つて身体を温める。湯船の讀書は "The Paper Thunderbolt" (M.Innes / Penguin). 冬休みの間、他の本を讀んでゐて、しばらく讀みさしてしまつてゐた。今、全体の四分の三くらゐだらうか。湯上がりにさらに身体を温めるため、湯豆腐で熱燗。やはり豆腐はいい。大根の漬物を少し。そののち、鶏だしと塩であつさり味つけした焼きそば。

夜は「ブッデンブローク家の人々」(T.マン著/望月市恵訳/岩波文庫)など。「細雪」と言ひ、「ブッデンブローク家」と言ひ、没落ものはどうも私の心をひきつけるなあ。

2017/01/15

クリスピンと田村隆一

また 8 時まで寢てしまつた。明日から 6 時に起きられるだらうか。休日の簡易的朝食のあとラテン語の勉強を少し。家事と讀書の一日。「田村隆一 ミステリーの料理事典」(田村隆一著/三省堂)、「愛は血を流して横たわる」(E.クリスピン著/滝口達也訳/創元推理文庫)など。晝食はお好み焼きとビール、白菜の漬物とハム。夕食は鶏肉と長葱と春菊の小鍋立てなどで熱燗を五勺ほど。

「愛は血を流して横たわる」、讀了。いかにも英国派のユーモアあり教養ありの、折り目正しい古典的ミステリ。上品で温かくも、てきぱきとした展開は讀み易く、だれさうなところはサスペンスで引き締められてゐて、一息に讀める。強ひて言へば、犯人に意外性がなく、解決編がややくどいか。

「田村隆一 ミステリーの料理事典」は料理の本では全くない。早川書房創業期の編集者、翻訳家、詩人の田村隆一が、料理に喩えてミステリに就て書いたエッセイ集。特に第 1 章の思ひ出話が面白く、各節冒頭に何故か昭和二十九年初頭にあつたことを箇条書きにしてゐるのも樂しい。例へば、「二月十三日 植草甚一氏訪問 "Moving Toyshop" の翻訳をお願いする」とか。この "Moving Toyshop" とはクリスピンの「消えた玩具屋」である。當時、植草甚一は井の頭線の池ノ上駅近くの学生下宿で四畳半二間の貧乏暮らし。毎朝、昨晩の残りをチャーハンにして食べてゐた、とか。

田村隆一は同書で、好きなミステリ作品の一つにクリスピンの「消えた玩具屋」を挙げてゐる。クリスピンをパブから生まれたユーモア文學と言ふ枠組みで解説し、さらには、パブは日本で言へば銭湯だ、日本で最初に銭湯を経営したのは福沢諭吉だ、と言ふ調子で脱線して行くのが愉快。



2017/01/14

豆腐と春菊

冬休み中の寝坊癖がなかなか抜けない。今週は「古楽の楽しみ」もまともに聴けなかつたくらゐだ。漸く 8 時に起き出して、休日用の簡易的朝食。書き物仕事を少ししてから、所用を一つ。晝食は毎週お好み焼きも何なので、鉄板焼き風のソース焼きそばにしたが、まあ大差ない。ビールとともに。

午後は「愛は血を流して横たわる」(E.クリスピン著/滝口達也訳/創元推理文庫)を讀んだり、`Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press)を讀み進めたり。

風呂に入つてから、夕食の支度。ハンバーグにキャベツの炒め物とマカロニチーズ。赤ワインを一杯だけ。のち、押し麦入りの御飯、白菜と大根の漬物、豆腐と春菊の味噌汁。豆腐と春菊は良い組み合はせだ。

2017/01/13

金曜日

漸く週末。今週は一日少なかつたのだが長く感じたなあ……歸宅したら、一つ問題が勃発してゐて、その対処。このマンションも古いので、私自身のやうにあちこち傷み出してゐて、手がかかり始める時期らしい。

さて、週末だ。`Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press)を讀み進めるのと、「愛は血を流して横たわる」(E.クリスピン著/滝口達也訳/創元推理文庫)を讀むのが樂しみ。

2017/01/12

リースリング

往きの車中の玉上「源氏物語」は第八巻、「紅梅」の帖。

歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。ちよつと首筋の邊りが涼しい氣がして、身体を温めようとまた鍋料理にする。寄せ鍋。アルザスのリースリングを一杯だけ。あとは雑炊。

夜は「ブッデンブローク家の人々」(T.マン著/望月市恵訳/岩波文庫)など。

2017/01/11

鏡抜き

夕方から親会社の今年初の全体会議で、鏡抜き酒の振舞ひなどがあつたものだから、歸りが遅くなつてしまつた。

歸宅して、夕食の支度。すぐ食べられるもの、と言ふことで小松菜と豚肉の常夜鍋。「八海山」純米吟醸を五勺だけ。のち、卵雑炊。

さて、風呂の用意をしよう。今夜は ``Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press) を讀み進めようと思つてゐたが、就寢時間も近いことだし、「緋牡丹博徒」シリーズの藤純子でも觀て寢ることになるかなあ。

2017/01/10

湯豆腐と雑煮

今日からは平常の気分で、往きの車中では「源氏物語 第八巻」(玉上琢彌訳注/角川ソフィア文庫)、歸りは「ダルジールの死」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ・ミステリ 1810)。

風呂に入つてから夕食の支度。豆腐と鱈と春菊の小鍋で、冷酒を五勺ほど。私は湯豆腐と言つたら、鍋の中は昆布と豆腐だけだと思つてゐたが、こんな風に色々と入れてなほ湯豆腐と言ふ流儀もあるらしい。もちろん、どちらも悪くない。鍋のあとのだしは、余つた餅を焼いて清ましのお雑煮にしてみた。白味噌に煮た丸餅でないとお雑煮と言ふ氣がしないのだが、これはこれで悪くない。

昨日から寢る前に、「論語」の他に「ブッデンブローク家の人々」(T.マン著/望月市恵訳/岩波文庫)を少しづつ讀んでゐる。

2017/01/09

レイナムパーヴァの災厄

いくらでも眠れる。このまま永遠の眠りにつきたい。チアシード入りのヨーグルト、オートミール、珈琲、苺を少しの朝食。ラテン語と數學基礎論を三十分ずつ。朝風呂の湯船で「レイナムパーヴァの災厄」(J.J.コニントン著/板垣節子訳/論創社)を讀了。

英国ミステリ黄金期の忘れられた作家コニントンと言ふことで期待したのだが、もう一つ。作者自身のこの作品への評価も低いらしいし、古典ミステリの愛好家なら史実として押さへておくべし、と言ふ程度か。しかし実力の高さはうかがはれるので、代表作とされる「九つの解決」"The Case with Nine Solutions" や「当りくじ殺人事件」"The Sweepstake Murders" などはいづれ讀んでみたい。

晝食はインスタントのラクサ風スープ、レトルトのグリーンカレー、ビール。晝に飲むビール、好きな料理、面白い本、かう言ふことを小確幸と言ふのだらう。午後も讀書など。夕方から一週間分の家事をこなす。

風呂のあと、黒豆の五目煮と鶏皮の味噌煮で、いただきものの「比婆美人」を燗で五勺ほど。のち、白菜とハムの炒めもの、大根の漬物、押し麦入り御飯、小松菜の味噌汁。食後に包種茶とスモークトチーズ。

さてまた明日から出勤だ。

2017/01/08

初芝居

 水筒に「超群」純米吟醸をつめ、黒豆の五目煮を包んで、歌舞伎座へ。「壽 初春大歌舞伎」晝の部を観劇。初芝居は縁起物。

真山青果作の「将軍江戸を去る」。今年は大政奉還から百五十年らしい。徳川慶喜に染五郎、山岡鉄太郎に愛之助。昨年の「元禄忠臣蔵」で真山青果に感心したので今回も樂しみにしてゐた。やはり古典とは違ふが、歴史小説の趣きがあつて、悪くない。染五郎ではまだ慶喜を演じるほどの厚みがない氣もするが、慶喜自体が當時三十歳くらゐのはずだから、丁度いいのかも。

「大津絵道成寺」は愛之助が五役を早変はりで踊り分ける、言はば「愛之助丈オンステージ」。正月らしい華やかさが良かつたのでは。「ラヴ様」ファンだらうか、珍しく女性の掛け声があつたやうな。「沼津」は呉服屋十兵衛に吉右衛門、雲助平作に歌六、お米に雀右衛門など。さすがに歌六が芸達者で渋い。

冷たい小雨の中を歸宅して、風呂に入る。湯船の讀書は「レイナムパーヴァの災厄」(J.J.コニントン著/板垣節子訳/論創社)。夕食は黒豆の五目煮、出來合ひの鰊の甘露煮で鰊蕎麦。食後に包種茶ともみじ饅頭一つ。


2017/01/07

映画と小説

年始らしくおめでたく紅白にしようと思つたのだが、生憎、白薔薇が払底してゐて薄桃色。

市川崑監督の「細雪」、「悪魔の手毬唄」、「犬神家の一族」と續けて観たのだが、やはり小説の映画化は原作とは違ふものだ。映像化の素晴しさの一方で、小説での「見せ所」が映画に似はない。

例へば、映画「犬神家の一族」ほどインパクトのある映像は凄い。一方、この小説の味噌は「真相を知らない真犯人」といふ構造一つがあらゆる謎を説明してしまふことと、盲目の琴の師匠とのやりとりの二点である。それが映画ではあまり生かされない。ミステリではない「細雪」でも、妙子が雪子の足の爪を切つてゐる場面は映画でも良い絵になつてゐるが、さういふ意味ではないのだがなあ、と言ふ氣がする。

小説「細雪」の私が思ふ勘所は、この四姉妹の「えぐ味」で、実際、次女幸子以外の三人はかなりろくでもない女たちである。しかしそれが姉妹の美しさ、優しさ、やるせなさ、仲が惡いやうで根のところでの揺ぎない親密さなどと表裏一体になつてゐる。讀者はさう言ふ関西の女がさもありなんと思ひつつも、本當には理解できない、そこが面白いのである。そしてそこは映像化が難しいし、似合ひもしない。

2017/01/06

よきこときく

五日まで休みと言ふ方が多かつたのだらうか、今日からは往きも歸りも通勤電車はいつもの混み具合だつた。

夕方退社。歸宅して夕食の支度。出來合ひの生餃子を焼いてビール。冬休みの間に市川崑監督の「細雪」(1983年)を観た勢ひで「悪魔の手毬唄」(1977年)を観た余勢か、さらに今日は「犬神家の一族」(1976年)を観てしまふ。さすが、日本中の小學生にスケキヨの名を叩き込んだだけのことはある名画だ。

2017/01/05

五日

小寒らしく今日から急激に冷え込んだ。五日になると通勤の人も増えて來たやうだ。夕方退社。歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。御節の殘りで「超群」純米吟醸を五勺ののち、親子丼。食後に包種茶と落花生。

夜は ``Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press)など。

2017/01/04

超群

平日いつもの納豆定食の朝食のあと、ラテン語と數學基礎論の勉強を少しづつ。今朝は形容詞の名詞的用法になかなか気付かず、演習問題一問しか進まなかつた。

今年の初出勤。まだ今週は冬休みの人が多いのだらう、町もまだ閉店してゐる店が目立つし、通勤電車も空いてゐた。往きの車中の讀書は玉上訳注「源氏物語」の第八巻のところを、今週は正月気分を持續するため「細雪」。

歸宅して、風呂に入つてから夕食の支度。と言つても、まだ御節の殘りがたんとあるので、御節でいただきものの「超群」純米吟醸を五勺ほど。いかにもそんな名前の數學的オブジェクトがありさうだが(``super group" ?)、勿論無関係だらう。のち、煮麺。年越しした実家で、「痩せ過ぎではないのか」「どこか惡いに違ひない」としきりに責められたので、少し食べる量を増やすかなあ、と思つたからでもないが素麺を二把茹でたのは、やはり食べ過ぎだつた。

夜は ``Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press)など。

2017/01/03

浴室には誰もいない

午後はおせち料理の殘りを肴にビールなど飲みながら、「悪魔の手毬唄」(市川崑監督/1977年)を観たり。升ではかつて漏斗で飲んで……

さて、あつと言ふ間の一週間だつた。毎日が冬休みならいいのになあ。早く次の冬休みにならないだらうか。と思ひながら、湯船で「細雪」(谷崎潤一郎著/中公文庫)の最後のあたりを讀み、そのあとの夕食は、年末から仕込んで年を越したチキンカレー。シラーを一杯だけ。グラスの殘りでおせちを少し。

「浴室には誰もいない」(C.ワトスン著/直良和美訳/創元推理文庫)、讀了。非常に樂しく讀めた。中心の事件は、自称セールスマン実はスパイだつた男が失踪、その家主が彼を殺して始末したのか、それとも彼自身が事件を演出して逃走したのか、と言ふだけの単純な謎なので、いくらひねつても大きな驚きはない。しかし、シャープに書かれてゐるので、ミステリとして納得できる。また、本筋の警察の捜査と情報部の立場からの捜査が交互に書かれるのだが、この後者のとんちんかんさと両者のずれがとても可笑しい。こちらのファース風味に重点を置いて伝統的「お馬鹿スパイもの」として書くこともできただらう。しかし、プロットを邪魔せず、むしろ、互ひにからみあつて有機的な面白さに昇華されてゐるところが新しい。

2017/01/02

映画「細雪」

晝食におせち料理と稲荷寿司でシャンパンを少々飲みながら、ヴィデオで「細雪」(市川崑監督/1983)を観る。

原作からの私のイメージとは相當に違ふし、話の筋も随分と簡略化の上に改変もされてゐるのだが、私は岸惠子(長女鶴子役)を見るのが好きだし、畳紙を一杯に広げたり、沢山の衣紋掛けに着物を出した場面なんかは懐しいなあ、などと思ひつつ、しみじみ樂しめた。全体に着物がどれも水色や桃色でぽつてりしてやぼつたいのだが、そこが関西らしい。粋筋でもない限り、晴れ着はかうしたものだ。鶴子の着物だけは、時々ちよつと垢抜けてゐる。意図的な演出なのかも。

映画の最後、東京に引越す鶴子が雪子に東京に遊びに來るやう誘ふのに、「來月は歌舞伎座で六代目が道成寺の道行から後ジテまで通しでやるんやてえ」と汽車の中から言ふ場面がある。少し説明的でわざとらしい。「六代目」とは菊五郎のことで、原作ではあちこちで菊五郎のことが言及されるし、当時の風俗を感じさせるためにも、ここの場面に差し込んだのか。それはさておき、最後の場面が汽車の見送りでの別れとは月並ではあるが、やはり鶴子の最後の台詞にはぐつと來る。

夕食は水炊き鍋。あとは卵を割り入れて雑炊。シャンパンの殘りを飲みながら、TV で歌舞伎座や大阪松竹座などからの初芝居の生中継を觀る。しかし、やはり初芝居は歌舞伎座に出かけたいものだ。

取り敢へず、いい正月であるなあ。

2017/01/01

椿油

年越しだけは実家で過し、すぐに戻つて來た。実家は相変はらずだつたが、庭の椿が大木になつてゐたのだけは印象的だつた。無論、急に育つたのではなくて、昔、祖祖母と大叔父の家の庭にあつた椿から零れた種が芽吹いたものを移してから三十年、ずつと家の庭にあつたのだが、ふと今年、こんなに大きかつたつけ、と気付いたのである。今は沢山の蕾をつけてゐて、二月には真赤に咲くとのことだ。

知らんうちに立派になつたもんやなあ、と母に言ふと、ええお屋敷では椿は植ゑんもんやけどな、と言ひつつも、まんざらでもないやうだつた。老母が話すことには、昔は近所に椿油を絞つてくれる場所があつて、祖母は祖祖母宅の椿の種で油を作つてもらつてゐた、との由。そう言へば椿油つこてたなあ、と思ひ出したが、庭の椿で作つてゐたとは知らなかつた。

年越しは概ね、「細雪」(谷崎潤一郎著/中公文庫)を讀んでゐた。今、丁度中程くらゐ。細雪は話の筋なんて関係なく、滅び行く豊かさの最期の輝き、と言つた風情に浸るのがよい。今の日本には豪奢と言ふ言葉に値するほど厚みのある文化がほとんどないので。