「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2016/06/30

怪人スペクトラ

月末のせゐだらうか、この圧倒的な週末感。しかし木曜日。月末はお金のやりとりがあれこれあつて気を使ふが、今さら今日になつて出来ることは特にないので、気分だけの問題ではある。

夕方退社。帰宅して風呂。湯船の読書は「ルーフォック・オルメスの冒険」(カミ著/高野優訳/創元推理文庫)。怪人スペクトラ……もう脱力するしかない馬鹿馬鹿しさ。フランス人には脱帽だ。湯上がりにマカロニサラダでビールの幸せ。あと一日がんばりませう。

2016/06/29

聖ニャンコラン通り

木曜日にしか思へないが水曜日。水曜日は弁当作りを休んでランチは外食にしてゐる。インドカレーのセット。ヨーグルト風デザートの頭痛がしさうな甘さに本格を感じた。

夕方から親会社の部署の打ち上げ会。少し顔を出して、つまみ食ひをして帰る。帰宅して風呂。湯船の読書は「ルーフォック・オルメスの冒険」(カミ著/高野優訳/創元推理文庫)。この徹底的な阿呆らしさに癒される。シャーロック・ホームズのパロディでも何でもなく、ただの馬鹿話なところが凄い。

駄洒落も日本語に翻訳されてゐるのだが、原文のフランス語ではどうなつてゐたのだらうか、と思ふ。まあ、教へられても分からないのだが。駄洒落以外にも原文が気になるところが多い。例へば、「聖ニャンコラン通りの悲劇」(にゃんこらん通りつて原語は何なんだ)の一編の、「猫 殺したよんよよん」。「よんよよん」?フランス語ではどうなつてゐたのか。肝心のオチの「かーぜもないのに、ぶーらぶら」のフランス語は何だつたのか。

2016/06/28

フランス人の勘違ひ

夕方退社して帰宅。湯船の読書は「殊能将之読書日記 2000-2009」(講談社)。相変はらずアルテを集中的に読んでゐる殊能センセー。「フランス人は本格を勘違ひしてゐる」というテーゼ。殊能センセーのオリジナルかと思つてゐたら、法月綸太郎氏も同じことを言つてゐるさうだ。私見では、問題はフランス人ではなく、「本格」を非常に狭い枠組みで捉へ過ぎてゐる日本人の方なのであつて、それは「本格」とか言ふ謎の用語にも表れてゐると思ふのだが、言はんとすることは分からないでもない。

2016/06/27

「シャンペンは朝が一番です」

料理をしてゐる時に右手の親指の腹をすぱつと切つてしまふ。絆創膏を貼つて、親指を使はないやうにしてゐるのだが、なるほど他の指と対向する指は進化上の大発明である、何をするにも大事な役割を果たしてゐて、ついうつかりと親指の、しかも腹で何かを押さへてしまふ。すると、折角ふさがりつつあつた傷がまた開いて血だらけになる、と言ふ繰り返しで、なかなか治りが遅い。

朝は良く晴れてゐたが、午後からは曇り空。明日は雨になるらしい。帰宅して、風呂に入つてから、チリビーンズでアルトビールを一本だけ。ああ美味しい。この一杯のために生きてゐるのだなあ、なんて言ふと、何と志の低い人間だ、と思はれても仕方がないのだが、さう思つてしまふのだから仕方がない。

もちろん、労働もせずに朝にテラスで飲むクリュッグだつて美味しいに違ひないが(「シャンペンは昼食時間を過ぎたら女の子の飲み物だ」)、一日の労苦のあとのビールの方が美味しく思へるのは、おそらく私は代々労働者、もつと具体的に言へば、水飲み百姓の血筋なのかも知れない。

2016/06/26

「霧と雪」

週末の読書(M.イネス研究)。「霧と雪」(M.イネス著/白須清美訳/原書房)。「修道院」と呼ばれる屋敷に集まつた上流階級の親戚一同。「わたし」がただならぬ緊張感に気付く中、屋敷の主人の書斎でその甥の銀行家が銃撃される。事件の勃発とほぼ同時に到着したアプルビイ警部は、「わたし」をワトソン役に選んで捜査を始める……

イネスの特徴の一つであるユーモアやプラクティカルジョーク、ドタバタ喜劇の味は、この作品にはほとんどないが、ミステリとしてのプロットの精緻さはベスト級か。特に、単純な見かけの事件に対し、至近距離から撃ちながらどうして的を外したのか、という微妙な問題を手がかりに、登場人物それぞれが次々と七通りもの仮説を披露する終幕が素晴しい。しかもそのどれとも異なる真相のあつけなさが妙にリアル。

なほ、この「霧と雪」でも、登場人物の小説家「わたし」が自分の作品からの引用でからかはれる場面などがあり、そしてこの「霧と雪」自体が「わたし」の作品と言ふことになるのだが、イネスはつくづくこの手のメタ風味を好んだものと思はれる。


2016/06/25

碇知盛

今月二回目の歌舞伎座。「六月大歌舞伎」第一部。「義経千本桜」より「碇知盛」。知盛に染五郎、義経に松也、典侍の局に猿之助など。平知盛が碇綱を身体に巻きつけて自害する有名な場面、血塗れの知盛と並んだ巨大な碇の図は一種、歌舞伎自体のアイコンの一つだと思ふ。そのせゐか何度か観たことがあるやうな気になつてゐたが、実は初めてかも。

もちろん人間が一人でこんな巨大な碇を持ち上げられるはずもなく、そもそも知盛は立つのもやつとの手負ひの身なのだが、それが絵になる以上は、碇綱を身体に縛りつけてその碇を海に投げ込むという荒唐無稽な自殺方法を編み出してしまふのが歌舞伎らしくていいな、と思ふ。

2016/06/24

カミ

暗くなつた頃に本郷での用を終へて帰宅。風呂に入つてから夕食の支度。トマトと胡瓜に塩胡椒、カイエンヌペッパーで辛味を強化したチリビーンズでビール。やれやれ今週も何とか無事に生き延びた。

チリビーンズとビールを傍らに、「ルーフォック・オルメスの冒険」(カミ著/高野優訳/創元推理文庫)を読む幸せ。この馬鹿馬鹿しさはすごい。もう浮世の憂ひなどどうでも良くなつてくる。

そのあと、週末の贅沢として「金ちゃんラーメン」を豪華版に作る。

2016/06/23

チリビーンズ

家を出て歩き出したところで本降り。駅まで濡れて歩き、いやに冷房の効いた電車……帰りたくなつて来たが、いや、叢に名も知れず咲いてゐる花ならばただ風を受けながら戦いでゐればいいけれども!と自分を励まして出社(意味不明)。体調は崩さなかつたやうだ。基本的に雑草育ちなので健康自慢。

夕方退社して帰宅。湯船の読書は「殊能将之読書日記 2000-2009」(講談社)。ポール・アルテを集中的に読んでゐるあたりで面白い。私もアルテが日本に紹介され出した頃に続けて何作か読んだが、私の好みには合はなかつた。アルテを高く評価した、と言ふよりアルテを偏愛した、殊能将之は悪趣味だと思ふのだが、そこが偉い。

風呂に入つてから、今日のささやかな幸せ、いただきもののチリビーンズ(缶詰)で黒ビール。ややチープな味はひが美味しかつた。のち、突然に食べたくなつて、何故かお好み焼き。

2016/06/22

賢木

往きの車中の「源氏物語」(玉上琢彌訳注/角川ソフィア文庫)は「葵」から「賢木」の帖に入つた。今日も湿度が高くて不快な天気。夕方退社。帰りの車中の読書は「武器と女たち」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ・ミステリ 1710)。

帰宅してまず風呂。湯船の読書は「殊能将之読書日記 2000-2009」(講談社)。夕食の支度。ポテトサラダ、筑前煮、卵かけ御飯、豚汁。

夜は、隔週土曜日定例の自主ゼミで勉強してゐる Malliavin 解析のノートを少しまとめたり、「モンテ=クリスト伯爵」(デュマ著/大矢タカヤス訳/新井書院)を読んだり。

2016/06/21

ベビースターラーメン

気温は低めだが湿度がたまらない。夕方から渋谷での往訪仕事。やれやれ今日も何とか生き延びた。

帰宅して、ポテトサラダと筑前煮でビールを飲んでゐるところ。あとで素麺を一束くらゐ茹でるか、もしくは、いただきものの「ベビースターラーメン」で済ませるかも知れない。

2016/06/20

「アプルビイズ・エンド」

週末の読書は「アプルビイズ・エンド」(M.イネス著/鬼頭玲子訳/論創社)。一言で言つて、またしても怪作。事件調査のため機関車で田舎に向かふアプルビイ警部は、雪のため偶然にも「アプルビイズ・エンド」といふ名の駅で途中下車して謎の家族の世話になるはめに陥る。そこで次々に起こる悪戯のやうな怪事件。どれも一家の先祖である故人が書いた小説をなぞつてゐるやうなのだが……と言ふ、ちよつと「ストップ・プレス」に似た筋書。イネスは、小説が現実になる、と言ふネタが好きなのかも。

ミステリマニアの心をそそる設定ではあるが、結局最初から見え見えの動機で、要は悪戯で騒ぎを起こしたかつたのです、以上。と言ふ、まさに拍子抜け、あるいはミステリの掟破りの真相。これは正統派のミステリだと思つて読んでは絶対に駄目で、あくまでイングリッシュでインテリなギャグを味はふギャグ小説だと言ふ覚悟で読むべき。

ギャグと言つても、爆笑できるわけではなく、半笑ひ、もしくは苦笑ひ、と言ふところなのだが、この味を楽しめるかが、イネスを愛せるかの試金石だらう。

2016/06/19

日曜日

木、金、土とイベント続きで、やや疲れ気味。家で静養。ほぼ精進日。丁度、実家から稲荷寿司と海苔巻などが送られてきたので、料理をする必要もなく、昼寝をしたり、「アプルビイズ・エンド」(M.イネス著/鬼頭玲子訳/論創社)を読んだりで、ゆつたり暮らす。


2016/06/18

集中講義

定例のデリバティブ研究部会自主ゼミの日だが、今日はその特別企画として、R 大の T 先生をお呼びして一日集中講義。Gaussian K-scheme の主論文を「後ろから読む」と言ふ趣向でそのストーリィを解説していただく。細部の証明に立ち入らなかつたおかげで、初めて全体像が分かつた気がした。

久しぶりに一日中板書をとつて、夕方にはふらふら。しかし充実した疲労感であつた。夜は神楽坂にて T 先生の歓迎会。白アスパラガスが美味でした。

2016/06/17

「黄金」

帰りの車中で読んでゐた「黄金」(D.フランシス著/菊池光訳/ハヤカワ文庫)、読了。主人公はまたアマチュア騎手で性格もいつもの通りだが、今回はストーリィが異色。なんと、かなり本格的なフーダニット、つまり犯人探し。

主人公の父親は主に黄金の取引で伸し上がつた大富豪で、過去五人の妻とそれぞれの下に子供がゐる。この大富豪を殺さうとしてゐる人間が家族の中にゐるのだがそれは誰か、といふ問題に、二番目の妻の息子である主人公が取り組む。もちろんフランシスのことだから、何かミステリらしい仕掛けやトリックがあるわけではなく、妻たち、子供たちそれぞれの生活や性格、心理を通して、夫もしくは父親を殺す動機を探つて行くことが主眼になつてゐる。

他のフランシス作品と比較して面白いかと言はれると、良くて中程度の出来だとは思ふが、異色作ではあるし、フランシスらしくぐいぐいと読ませ、けして読後に読んで損をしたとは思はせない。それはやはり、フランシスらしい類型的な登場人物を通してではあるが、人間の持つ素晴しい部分、醜悪な部分を見事に描く能力によるのだらう。

2016/06/16

狐忠信

少し早めに切り上げて、歌舞伎座へ。下旬に第一部を観に行く予定なのだが、知り合ひの方が、今月の第三部は観るべきだと熱心に薦めるので。

佐藤忠信実は源九郎狐に猿之助、静御前に笑也など。猿之助は花がある。狐と言ふよりはまるで猫、と思はないでもないが兎に角、可愛らしい。特に、鼓に耳を傾けるところなど愛らし過ぎる。入れ替はりとか宙乗りとか、ケレン味たつぷりの楽しい舞台だつた。

2016/06/15

懐しのブルーバックス

子供の頃、講談社ブルーバックスのシリーズには大変お世話になつて、特に数学系の本は私に多大なる影響を与へたのだが、大人になつて随分と遠ざかつてゐた。そして、久しぶりに買つた一冊が、「コーヒーの科学」(旦部幸博著/講談社)。

著者は遺伝子学や微生物学を専門にする科学者なのだが、何げなく趣味に選んだ珈琲の魅力に取り憑かれて、アマチュアとしての愛情とエネルギーを珈琲の研究と調査に注ぎ込むこと幾年月、その結果を凝縮したのがこの一冊。コーヒーノキの植物学、コーヒーの歴史、おいしさの科学から始まって、焙煎、抽出の科学、健康との関係など、300頁ほどに盛り込まれた情報量がすごい。

この硬派な一冊の副作用として、昔、「ブルーバックス」の高等さうな数学に胸おどらせた子供時代をも思ひ出したことであつた。娯楽数学系は凄く充実してて高木茂男先生の「数学遊園地」とかガードナーの「数学ゲーム」(高木茂男訳)とか最高だつたし、本間龍雄先生のトポロジーの本とか、「現代数学小辞典」とかも興奮したよなあ。

2016/06/14

古典禁断症状

朝は晴れてゐたがすぐに曇り空に。湿度の高さと気圧の低さが老体にこたへる。往きの車中では「源氏物語」(玉上琢彌訳注/角川ソフィア文庫)。「花宴」から「葵」の帖に入つた。有名な車争ひ事件、勃発。昔から女のプライドとは因果なものであるのだなあ。

帰宅してまず風呂。夕食の支度。枝豆と冷奴でビール。のち、タイ風の炒めものかけ御飯。夜は「モンテ=クリスト伯爵」(デュマ著/大矢タカヤス訳/新井書院)。どうも翻訳がいまひとつで、岩波文庫版や Penguin Classics 版をしばしば参照してしまふ。

それはさておき、「モンテ=クリスト伯爵」を読み終へたら次はどうすれば良いのか、と既に想像上の古典禁断症状が起こりさうになつたので、ディケンズの「ピクウィック・クラブ」(C.ディケンズ著/北川悌二訳/ちくま文庫)全三巻を注文しておいた。

2016/06/13

「証拠は語る」

週末に「証拠は語る」(M.イネス著/今井直子訳/長崎出版)を読了。これまで読んだイネスの中では一番好み。

イギリスの田舎の大学で起こつた、何故か巨大な隕石が凶器の殺人事件。うさんくさい登場人物たち(全員、大学関係者)が次々に現れては、古典からの引用を散りばめながら、謎めいた供述をしたり、行動をしたりで、事件を混迷させていく。そんなペダンティックな環境が昔馴染みでもあるインテリのアプルビイ警部の活躍。毒にも薬にもならない、楽しい週末のお供的ミステリ、といふ意味で最高。

唯一気になるのは、おそらく誰もが思ふことだらうが、なぜ邦題を「証拠の重み」または「証拠の重さ」にしなかつたのか、と言ふことだ。そもそも原題も "The Weight of the Evidence" なのに、なぜわざわざ凡庸な題名に改変したのか。語呂が良くないと思つたのだらうか。謎だ。

来週末は、「アプルビイズ・エンド」(M.イネス著/鬼頭玲子訳/論創社)の予定です。

2016/06/12

祥月命日

月に二度の精進日。肉食、五葷、酒を控へた上に、永遠の相の下に生と死について考へながら、心静かに一日を過すことを心掛ける。

完全な精進食はなかなか難しい。気をつけてゐても、うつかりと言ふことがある。例へば、今日は御八つのドーナツに(おそらく)卵が入つてゐたはず。

しかし、大事なのは心の方であるが、折角の休日しかも精進日に、つい、俗事や人間関係の憂き世に思ひ馳せ、あれこれ悩んでしまふ。嗚呼、修行の成り難きこと、永遠の相による観想の難きことよ、と思ひつつ、スピノザを読む夜。

2016/06/10

中心極限定理

やれやれ兎に角、今週もサヴァイヴしたぜ、と帰宅。明日発売の「数学セミナー」7月号の見本が届いてゐた。特集「中心極限定理から広がる確率論」に、小文を寄稿したのである。

内容は数学と言ふよりは数学史的なもので、私の好きな論文 "The central limit theorem around 1935" (L. Le Cam, 1986)を題材に、もつと易しく噛み砕いた感じで書いた。自分としては大変楽しんで書けたので、ご興味のある方に御笑覧いただけると嬉しい。

ちなみにタイトルは、「中心極限定理のはじめからおわりまで」とした。

2016/06/09

24種類のロマンス

今日も予定が少なく、長めの書き物仕事をしたりの一日。

夕方退社。帰宅してまず風呂。湯船の読書は「乙女の読書道」(池澤春菜著/本の雑誌社)。信じ難いことを知つた。ハーレクインロマンスのシリーズが日本国内で毎月約 50 点出版されてゐて、これまでの刊行点数が一万六千、とのこと(2010 年頃現在で)。一万六千点ですよ、一万六千冊ぢやなくて。繰り返しになるが、俄かには信じ難い数だ。

また、ハーレクインロマンスは 24 のジャンルに綺麗に分類されるのださうだ。つまり、24 種類の黄金パターンがあると言ふことなのだらう。その中には「ドクターとの恋」なんてものもあるらしい(ほとんどは Ph.D. ではなくてメディカルドクターに違ひないが)。

男としてこんな状況を放置しておいてはいけない。そうだ、絶対、自然言語処理の題材として考察すべきだ。早速、ハーレクイン社のサイトにレコメンドシステムの営業に行くやう、親会社に進言せねば。

2016/06/08

週の中日

まだ水曜日かあ……と思いつつ、猫の頭を撫でる朝。往きの車中の源氏物語は「紅葉賀」の帖。藤壺と光源氏の間の不義の子が生まれる。帝が間男されるのだから、源氏物語は大らかだなあ。光源氏は悩んでゐるやうでも、一方で幼女誘拐拉致監禁した若紫と仲良くお雛遊びなんかをして悦に入つてゐるので、救ひやうがない。これでいいのか源氏物語。

今週は比較的暇とは言へ、あれこれ雑用など。夕方退社。帰宅して風呂に入つてから夕食の支度。冷奴でビール。のち、山葵丼、大根としめじと葱の味噌汁。夜は "Linear Algebra Done Right" (S.Axler / Springer)から演習問題を数個解いてから、「モンテ=クリスト伯爵」(デュマ著/大矢タカヤス訳/新井書院)など。

2016/06/07

今週は凪の週で暇、と思つてゐたのだが、細々したことが意外とあれこれあつて、対応してゐたら夕方、といふ感じ。しかし、まだ火曜日か、今週は先が長いなあ、と思ふところからして、やはり凪らしい。

帰宅して風呂に入つてから夕食の支度。塩鯖の酒焼きに大根おろしでビール。のち、茄子とピーマンと豚肉の味噌炒め、山葵丼、葱と麩の味噌汁。

2016/06/06

ワイドスクリーンバロック

今週は凪のやうにほとんど予定がない。特に問題らしい問題も見当たらず、むしろ少し気味が悪い。大嵐がやつて来るのかも知れない。

夕方退社。帰宅して風呂に入つてから夕食の支度。茄子の塩揉みに辛子醤油で冷酒を五勺。のち、茄子の塩揉みの残り、塩鯖の酒焼きにたつぷり大根おろし、御飯、豚汁。夜は「乙女の読書道」(池澤春菜著/本の雑誌社)、「モンテ=クリスト伯爵」(デュマ著/大矢タカヤス訳/新井書院)など。池澤春菜嬢のおかげで「ワイドスクリーンバロック」なる言葉を知つた。うまいことを言ふものだな。

2016/06/05

「ストップ・プレス」

週末二日をかけて「ストップ・プレス」(M.イネス著/富塚由美訳/国書刊行会)を読んだ。五百ページを越す大作なのに、事件らしい事件が全く起こらず、ミステリになりさうでならない微妙な線を延々と引き伸ばして行く怪作。名作や傑作とは言ひ難い。枝葉を切り落として骨組だけ見れば、トンデモと言ふか、バカミスと言ふか……アリかナシかで言へば、これはない。この作品をアンチ・ミステリやポスト・モダンの文脈で持ち上げるのは間違ひではないか。単にイネスの直球探偵小説がこれなのである。

しかし全編に渡つて、いかにもオックスフォードのインテリらしい、しみじみとしながらもひねくれたユーモアが横溢してゐて、またところどころに非常に美しい詩情もあり、これが私の愛するイネスだよ、と嬉しくなる。この五百ページをにやにやしながら最後まで楽しく読める人が、イネスを読むべく選ばれた人である。ちなみに、イネスは "stop press" といふ言葉が気に入つてゐたのか、既に「ハムレット復讐せよ」の中にもこの語が(確か一度だけ)出て来た。

ところで最近、私の生活全般、特に災ひもなく、むしろ良いことがちらほらあるやうな。色川武大の「九勝六敗理論」からして、これではいけない。何か無理をしてゐるか、他の人に皺寄せしてゐるか、いづれにせよフォームを乱すことになる。早い内にどこかで、大怪我をしない程度に負けなければ。さうだ、宝くじを大量購入して盛大に外れてみる、と言ふのはどうだらう。


2016/06/04

「北大路魯山人の美」

定例のデリバティブ研究部会自主ゼミとランチのあと、三井記念美術館へ。「北大路魯山人の美」展を観る。

実は魯山人があまり好きではない。どの器も、どうだ俺は偉いだらう、と言つてゐるやうに、こちらに押してくる感じがして騒がしい。さういふところが、貧乏臭い。本当に自分自身で豊かな人だけが持つ静けさがない。

と、思つてゐたのだが、私も歳をとつて、人間悟り切れないものだな、と思ふからか、魯山人のさういふところも込めて、悪くないな、と感じるやうになった。

2016/06/03

みまさか

今日こそ金曜日。いつものやうにラテン語の勉強をして、線形代数を勉強して、数独を解いて、出勤。

夕方、親会社の全体会議を終へて退社。帰り道で花を買つて帰宅。オレ、週末に辿り着いたら、いただきものの美作の酒「剣聖武蔵」純米大吟醸を飲みながら「ストップ・プレス」(マイクル・イネス著/塚田由美訳/国書刊行会)を読み始めるんだ……を実現。

2016/06/02

巌窟王

何故か金曜日感。でも木曜日。もう一日あるのだなあ。粛々と表計算ソフトウェアと闘う。

夕方退社。帰りの車中の読書は「黄金」(D.フランシス著/菊池光訳/ハヤカワ文庫)。帰宅して風呂。湯船の読書は「殊能将之読書日記 2000-2009」(講談社)。のち、夕食の支度。大根おろしと塩鯖の酒焼きで冷酒を五勺。のち、鰻のひつまぶし、小松菜の味噌汁。

夜は「モンテ=クリスト伯爵」(デュマ著/大矢タカヤス訳/新井書院)。無実の罪で囚へられたこの世の地獄、イフ城牢獄から十四年ののちに奇跡の脱出を果たしたエドモン・ダンテスは、フェラン神父の遺言に従つてモンテ=クリスト島で莫大な財宝を発見。エドモンは、ある時は謎のイタリア人神父、またある時はイギリス人銀行頭取に扮し、故郷にて陰謀の真相を探る。若きエドモンを地獄の底に突き落とした宿敵たちは、逆にこの世の栄華を極め、あんなにも将来を誓ひあつた婚約者メルセデスはその一人の妻になつてゐた。恩人モレル氏の危機を秘かに救つたエドモンは、これを最後に人を愛する心を捨て、巧緻にして残酷な復讐の大計画にとりかかるのであつた。謎の大富豪モンテ=クリスト伯爵として……と「忠臣蔵」と同じくらゐ誰でも知つてゐる「巌窟王」。何度読んでも面白い。

2016/06/01

「鴎」

数表の升目を埋めながらお金の心配をするのに疲れ、その合間に久生十蘭の連作短編「キャラコさん」より「鴎」の一編を読む。

十蘭らしさが凝縮した傑作。物凄い時間の流れがあつと言ふ間に語られた途端に急停止して幕切れとなる。ここで物語を終へることのできる作家はおそらく十蘭ただ一人で、十蘭(と十蘭の愛読者)の美学ではこれ以上を語ることは蛇足なのである。キャラコさんのこの最後の台詞で小説家は言ふべきことを言ひ尽したのである。

いつもより少し遅くなつたが夕方退社して帰宅。冷奴で冷酒を五勺。のち、鶏肉と烏賊と海老の残りを使つてタイ風の野菜炒めかけ御飯。食後に中国茶を飲みながら線形代数の演習問題を数題解く。夜は「モンテ=クリスト伯爵」(デュマ著/大矢タカヤス訳/新井書院)の続きを読む予定。