通勤の車中の讀書、「源氏物語」(玉上琢彌訳注/角川ソフィア文庫)は「玉葛」の帖から「初音」へ。およそ栄華を極めた光源氏は新春、女性たちそれぞれを訪ふ。やはり花散里が一番、幸福さうである。
花散里は、正妻の地位にある紫の上に次ぐ女性だが、容貌はもう一つで、夕霧にさへ「かたちのまほならずもおはしけるかな」と評され、既に若くもなく髪も薄くなつてゐる。しかし、性格が温厚、控へ目で誠実、もの靜かで、ことさら風流に見せようとすることもなく「あてやかに」(品よく)暮らしてゐるところが、いつまでも光源氏に大事にされ、何かと頼りにもされ、格別に愛される。夕霧や玉葛の母親代はりになり、最終的には夕霧の子の面倒まで見るのだが、便利に頼られたと言ふ面もあるにせよ、花散里本人は血の繋らない子や孫たちを見守りながら、最期まで幸せに穏かに暮らしたのではないか。
当たり前だが、結局のところ、人間の財産で最も素晴しいのは温厚で篤実な性格である。性格が温厚で篤実であるのはつまり、幸せだと言ふことであり、結局、幸せな人は幸せだ、と言ふトートロジに過ぎない。残念ながら、生まれつきか、もしくは子供の頃には定まつてしまふ財産のやうに見受けられるので、幸せに生まれついた人は幸せである、と言つてゐるだけなのかも知れない。