明け方、強い雨が降つたやうだが、今日も朝から蒸し暑い。最近、朝の勉強がなかなか捗らないのを、気候や体調不良のせゐにしてゐるのだが、単なる怠け癖か、老化だらう。
夕方退社して、水分を一杯に蓄へた空気の中を泳ぐやうにして帰宅。まづ風呂。湯船で「殊能将之読書日記 2000-2009」(殊能将之著/講談社)を讀む。ミシェル・ジュリと言ふフランス人 SF 作家の未訳短篇の紹介が續いたあと、M.イネスの "Stop Press" について(当時、「ストップ・プレス」は未訳だつた)のあたり。夕食は、冷奴に山形だし、鰻の残りで櫃まぶし、落とし卵の澄まし汁など。
滋養のあるものを食べ、何とか精をつけて頑張つて働きませう、と思つてゐるのだが、もう今年あたりが体力の限界かなあ、と言ふ気もする。余生は小石川の御隠居として、万年青や文鳥を育てたり、長唄を習つたりして、色つぽい師匠に「あンた筋がいいよ、しつかりおやり」とか言はれたい。あと、M.イネスの一番つまらない長編小説とか翻訳出版して、マイナ小説翻訳家として勇名を馳せたい。そして小石川のセンセーとか呼ばれて、夏には声のいい秘書を連れて那須あたりに避暑をして、久生十蘭の「顎十郎捕物帳」とか朗読させながらビールを飲みたい。そんなことをしてゐると、絽から透ける長襦袢の白も涼しげな長唄の師匠が、築地の割烹で重箱に詰めさせたお弁当を差し入れに来て、「オヤ、この小娘はセンセーのこれですか。隅に置けませんねえ」とか言つたりして、「いやいや滅相もない、これはただの避暑いや秘書で」なんて弁解したりして……猛暑の妄想、終了。
夜は「人間臨終図巻」(山田風太郎著/徳間文庫)などを讀む。今、第 2 巻の後半、「六十一歳で死んだ人々」の章。