「奈何トモスベカラズヲ知リテ、コレニ安ンジテ命ニ若フハ、唯ダ有徳者ノミコレヲ能クス。羿ノ彀中ニ遊ブニ、中央ハ中タルノ地ナリ。然リ而シテ中タラザル者ハ命ナリ。」 (「荘子」徳充符篇第五より)
(私の解釈)。人の力ではどうしようもないことを知って、心安らかにその命に従うことは、有徳者にのみできることである。人はだれも皆、(伝説の弓の名人)羿の射程の中で遊んでいるようなものだ。羿の射程に遊んでその只中にいれば、ひとたび狙われて矢が命中しないはずがない。それでも矢があたらないのは、それはたまたま射かけられなかったという偶然と必然であり、それが命である。