「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2013/03/09

関西人と食べものの話

午前中は定例のデリバティブ研究会の自主ゼミ。 ランチの後、帰宅。 昨日に続いて今日もとても暖かい。春みたい。 と言うよりは、初夏くらいの感じか。

午後は読書など。 「アンソロジー カレーライス!!」(PARCO 出版局)、読了。 ここに所収されている山口瞳の文章に、 「関西人と食べものの話をするのはあじけない。 どこかで話がくいちがってしまう。 つまり、私にとっては、食べものというものはそんなにうまくなくてもいいのだ、 というあたりの心持ちを理解してもらえないのだ」 とあって、ふむむむ……と思った。 特に、「あじけない」という表現が面白くもある。

関西人は食べものをうまい、うまくないで話しがちなのだろうか。 そう言えば最近、同僚の天才プログラマが、 「西の人は食べものの話ばかりしている、と言われた」と話していた。どうだろう。 私の印象では、西日本の人は基本的に、東京も含め東日本の食生活は貧しい、 と信じている傾向にはあると思う。 例えば、谷崎潤一郎の「細雪」で魚は明石の鯛だと言ふ幸子や雪子が東京を嫌ふ場面、ああいう所を読むと関西人は、嗚呼かわいそうになあ、ほんとうだなあと、 きりきりと身に迫って感じるのである。 私は、そんなに食べものに興味がないし、 食べものについてあまり話しもしないと思うのだが、 それは多分、私が関西と言っても、 和歌山のような田舎の生まれ育ちだからだろうか。

夕方になり、 お風呂に入って、湯船で 「自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門」(森村進著/講談社現代新書)。 夕食の支度。 鯖の酢漬けの最後の残りと紫玉葱をマヨネーズを和えたもの、 浅蜊の白ワイン蒸し、チーズ、フランスパンにバタ。 浅蜊がうまい。もっと買っとくんだったなあ。 急に春を飛び越した感のある東京だが、やはり春。 春と言えば桜鯛(春の真鯛)、ということになっているのだが、 鯛の影に伏兵あり、貝類だってご馳走になってくる。