「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2016/05/29

「ハムレット復讐せよ」

家事と料理の他は、主に「ハムレット復讐せよ」(M.イネス著/滝口達也訳/国書刊行会)を読む楽しき一日。登場人物が「主な登場人物」表で 36 名 と多過ぎて、読み進め難いのは事実。しかし、小説の中で説明されてゐるやうに、「ハムレット」自体に台詞のある役が 30 あり、「ハムレット復讐せよ」の登場人物が「ハムレット」を演じるといふ設定上、これくらゐの数になつてしまふ。また、シェイクスピアと演劇に関する衒学的な会話や記述も多過ぎ、プロット自体の単純さに比較して枝葉が無闇に過剰で、時にオフビートとすら言へるが、それが楽しい小説であると思ふ。

例へば、著者イネス自身がモデルと思はれるエリザベス朝学者ゴットが、余技に書いた探偵小説(「動物園殺人事件」(笑))を何度もからかはれるなど、コミカルな場面がかなりある。そして皆やたらと呑気で、物知りで、がやがやしている。だけど上品。英国製年代物スパークリングワインの趣である。この雰囲気こそ「ハムレット復讐せよ」の良さではないか。谷口年史氏が「解説」で、この小説の書かれた、そして舞台設定されてゐると思はれる年代が、政治と国際情勢が緊迫した時代だつたことを指摘しておられるが、物語の中では表面的にしか扱はれない。それは、イネスならぬゴット先生が「ほんものの余暇ある時代は去った」と感慨し、アン公爵夫人の企画する「ハムレット」上演を巡るドタバタにその名残を感じるやうに、この「ハムレット復讐せよ」自体がその余裕であるからなのかも知れない。なお、プロット面でも「ある詩人への挽歌」同様に最後の最後でのツイストが効果的で名作の名に恥ぢない。

ところで、ささいなことだが、p.28 で「フローレーアト・スチエンチア(ラテン語。学問に栄光あれ)」といふ台詞があるが、ラテン語で "c" の発音は常に固い "k" 音なので "scientia" は「スキエンチア」が正しい。これを話してゐるのは、録音機を持ち歩いて発音の採集に余念のない(そこがまた怪しいのだがそれはさておき)アメリカ人言語学教授といふ設定なので、実は偽学者でアメリカ人と言ひつつ実はイタリア人、といふ伏線かも知れないぞ、などと穿つた読み方をされるのがミステリの問題点である。著者だけではなくて翻訳者も注意しなければならない。