週末のイネス研究。「アララテのアプルビイ」(M.イネス著/今本渉訳/河出書房新社)、読了。「アプルビイズ・エンド」などから比較しても、さらに変てこな作品。客船が U ボートの攻撃で沈没、たまたまサンデッキの喫茶室に居合はせたアプルビイを含め六人のイギリス人は、引つくり返つた喫茶室を船代はりに漂流ののち、無人島らしき島に漂着。原始的な共同生活を始めた矢先、その一人が殺される。アプルビイは事件の捜査を始めるものの謎めいた展開が次々に……と言ふやうなお話。
これまた怪作。外の世界では第二次世界大戦中、この小さな島では一人の黒人が殺された殺人事件、という奇妙な対照とからみあひ、良く言へば予想を裏切り続ける、悪く言へばとりとめのない展開、あまりにも独特の怪作。ピーター・ディキンスン風味も感じられるが、この飄々として、あつけらかんとした味はひはまぎれもなくイネスの持ち味である。無論、これが探偵小説、推理小説、ミステリの枠組みに入るかどうかも怪しく、十八世紀的な雰囲気で書かれたドタバタ冒険小説風イネス作品、とくらゐにしか言ひやうがない。
第二次世界大戦中に「アララテ」を題したこんな作品を書いてゐたイネスに思ひを馳せると、愛国、反戦などと単純にとらへ切れない複雑なものが、シリアスな文学者のシリアスでない余技としてのミステリ(風)作品の中に浮かび上がる姿に、複雑な感慨を持たざるを得ない……と真面目に考へるのは、おそらく間違ひだらう。英国的教養に裏打ちされたイネスの軽さ、陽気さ、幸福感はまだ私には解かれざる謎である。