「夏休み」の最終日の正午少し前、神保町の「ランチョン」で、世間が忙しく動いている昼間に飲むビールはうまいなあ、と思っていると、新聞だけを片手に持った老人が階段をゆっくり上がって来た。
私の近くのテーブルについたその老人が日本酒を注文したことに驚いたのだが、確かにこの店にも日本酒があるらしく、瓶詰めの「大関」一合とガラスの猪口が運ばれてきた。老人はチリビーンズだけを肴に、安酒をちびちびと飲みながら、小一時間かけて読売新聞を隅から隅まで読み、満ち足りた顔で帰って行ったことであった。おそらく毎日がこの調子なのであろう。
これは私の如き凡庸な人間にはとても及び至らない境地である、さては巷の賢人もしくは真人、至人の類であろう、と感心し、人はかくありたいものだ、とも思ったのだったが、明日からはまた労働を日銭に替える私の毎日なのである。