往きの車中に少しづつ読んでゐた谷崎潤一郎訳「源氏物語」(中公文庫)を読了。昨年六月に読み始めたので、およそ十ヶ月かかつたことになる。最初はこれを読み終へるのが早いか、私が隠居するのが早いか、と思つてゐたのだが、毎日面白くすらすらと読み進めることができた。おそらく、登場人物が皆、この世は憂き世だ、出家したい、出家したい、と口癖のやうに言つてゐるところが私の人生観にぴつたりと来たのだらう。
それにしても源氏物語は素晴しい。丁度、「文語訳 新約聖書 詩篇付」(岩波文庫)を読んでゐるからでもあるが、吉本隆明が聖書について言つてゐたことを思ひ出した。記憶が薄れてゐるので曖昧だが、「千年経つても古びない言葉と言ふものはなかなか発することができなくて、さう言ふ言葉を吐く人間と言ふものも、人類はなかなか生み出すことができないのですよ」とか、「人間が言ふべきこと、人間について言ふことができることは、千年二千年前に言ひ尽されてゐるのですよ」とか、さう言つた感じのことである。
さう言へば、吉本隆明は源氏物語についての評論も書いてゐて、確か、源氏物語の現代語訳の与謝野訳、谷崎訳、円地訳の中では与謝野晶子訳が一番良い、とも言つてゐた。もちろん、谷崎訳らの方が研究が進んでゐる分、正確なのだが、源氏物語のムードと言ふか、メロディと言ふか、雰囲気を一番良く掴んでゐると言ふのである。なぜかと言ふと、与謝野晶子が子供の頃、関西の良家の娘と言ふものは、意味はきちんと分からなくても源氏物語を原文で何度も読み返すことが教養だつたものだから、深いところで源氏物語を理解してゐたのである、と、さう言ふ主旨だつたと思ふ。それに比して末世人である我々は教養のないこと甚しいのであるが、それはまた別のお話である。
閑話休題、谷崎訳を読了したので、明日から通勤の往きの車中では、「源氏物語」(玉上琢彌訳註/角川ソフィア文庫)で原文に挑戦する予定である。今度こそ、全十巻を読み終へるのが早いか、私が隠居するのが早いか、どちらであらうか。