月曜日。今日も一日がんばろう……往きの車内では「潤一郎訳 源氏物語 巻二」(中公文庫)。「松風」を終えて「薄雲」の帖に入った。結局、紫の上は光源氏の愛人の子供を育てる気になったらしく、明石の上のエピソードはめでたしめでたし(?)。
夕方退社。帰りの車内で「反射」(D.フランシス著/菊池光訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)を読み始める。なかなかの滑り出しで傑作の予感。帰宅して風呂に入ってから夕食の支度。冷奴(茗荷、生姜、鰹節)、蒸し鶏と胡瓜の三杯酢漬けで冷酒を少々。のち、親子丼の要領で竹輪玉子丼。けっこう美味しいものだが、卵を一つしか使わなかったのが悔やまれる。
夜はラテン語の勉強など。
「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。」
「論語」微子、第十八、六
2015/08/31
2015/08/30
日曜日
ゆっくり 8 時過ぎまで寝てしまった。涼しくなって、いくらでも眠れる。珈琲だけの朝食ののち朝風呂。洗濯など家事をして、早めの昼食は、蒸し鶏、たらこスパゲティ、ワインを少々。
外は雨。午後は「完璧な絵画」(R.ヒル著/秋津知子訳/ハヤカワ・ミステリ 1664)を読む。読了。絵のように美しい小さな村で起こる不可解な事件とその顛末。珈琲とお菓子を用意して、レジナルド・ヒルのこんな作品をじっくり読む雨の日。完璧な午後と言えよう。
残った家事を片付けてから、夕食の支度。またアボカドと竹輪(気に入ってしまった)、鮭の塩焼、玉子かけ御飯、大和芋のとろろ汁。夜の読書は、「ツァラトゥストラかく語りき」(F.W.ニーチェ著/佐々木中訳/河出文庫)、「エセー 5」(モンテーニュ著/宮下志郎訳/白水社)など。
さて、また五日間をがんばろう。
外は雨。午後は「完璧な絵画」(R.ヒル著/秋津知子訳/ハヤカワ・ミステリ 1664)を読む。読了。絵のように美しい小さな村で起こる不可解な事件とその顛末。珈琲とお菓子を用意して、レジナルド・ヒルのこんな作品をじっくり読む雨の日。完璧な午後と言えよう。
残った家事を片付けてから、夕食の支度。またアボカドと竹輪(気に入ってしまった)、鮭の塩焼、玉子かけ御飯、大和芋のとろろ汁。夜の読書は、「ツァラトゥストラかく語りき」(F.W.ニーチェ著/佐々木中訳/河出文庫)、「エセー 5」(モンテーニュ著/宮下志郎訳/白水社)など。
さて、また五日間をがんばろう。
2015/08/29
土曜日
ああ良く寝た。休みなので朝食はヨーグルトと珈琲だけ。朝風呂に入ってから外出。定例のデリバティブ研究部会自主ゼミ。楠岡近似の簡明な解説書を書くプロジェクトの相談。結果、Gaussian K scheme の難解な主論文を読みこむという険しい道は避けられないという結論になり、次回から。ゼミ後のランチはおでん。
帰宅して午後は昼寝のあと、オンラインでのチェスや読書など。「完璧な絵画」(R.ヒル著/秋津知子訳/ハヤカワ・ミステリ 1664)。
再び風呂に入ってから、夕食の支度。竹輪とアボカドを山葵と醤油で、冷奴(大葉と茗荷)、冷酒を五勺。のち、大和芋のとろろと生卵かけ御飯、鮭の塩焼、長葱と油揚げの味噌汁。夜も読書など。
帰宅して午後は昼寝のあと、オンラインでのチェスや読書など。「完璧な絵画」(R.ヒル著/秋津知子訳/ハヤカワ・ミステリ 1664)。
再び風呂に入ってから、夕食の支度。竹輪とアボカドを山葵と醤油で、冷奴(大葉と茗荷)、冷酒を五勺。のち、大和芋のとろろと生卵かけ御飯、鮭の塩焼、長葱と油揚げの味噌汁。夜も読書など。
2015/08/28
きぬぎぬ
ようやく週末に辿り着く。昨日に続き、雨が降りそうな曇り空で、気温は低め。
「源氏物語」の新英語訳についての "The New Yorker" の記事を教えてもらって読んでいたら、「後朝(きぬぎぬ)の文」のことが 'a "morning after" poem' と書かれていて、趣きというものがないなあと思う。「きぬぎぬ」という折角の美しくも奥床しい表現を「アレの後」と訳された感じではないか。
それはさておき、Waley, Seidensticker, Tyler らの旧訳と、新しい Washburn 訳の比較のところなど勉強になった。この記事を読む限り、Washburn にはかなり問題があるような気はするが。Waley は正宗白鳥がその英訳を読んで源氏物語に開眼した、という話もあるくらいで、さすがに味がありそうだ。どれかと言えば、Waley と Washburn の両極端を読んでみたい気がする。
ちなみに、Waley の英訳をさらに日本語に訳した、という不思議なものも出版されているようだ。読みたいような読みたくないような。
「源氏物語」の新英語訳についての "The New Yorker" の記事を教えてもらって読んでいたら、「後朝(きぬぎぬ)の文」のことが 'a "morning after" poem' と書かれていて、趣きというものがないなあと思う。「きぬぎぬ」という折角の美しくも奥床しい表現を「アレの後」と訳された感じではないか。
それはさておき、Waley, Seidensticker, Tyler らの旧訳と、新しい Washburn 訳の比較のところなど勉強になった。この記事を読む限り、Washburn にはかなり問題があるような気はするが。Waley は正宗白鳥がその英訳を読んで源氏物語に開眼した、という話もあるくらいで、さすがに味がありそうだ。どれかと言えば、Waley と Washburn の両極端を読んでみたい気がする。
ちなみに、Waley の英訳をさらに日本語に訳した、という不思議なものも出版されているようだ。読みたいような読みたくないような。
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