「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2017/03/04

「まるで天使のような」

一昨日と昨日の移動の車中で、「まるで天使のような」(M.ミラー著/黒原敏行訳/創元推理文庫)を讀了。最近、「田村隆一ミステリーの料理事典」(三省堂)を讀んで、意外と讀み殘してゐる古典的名作があるものだな、と思つたことが切掛け。マーガレット・ミラーなんか一作も讀んでゐないぞ、と。

マーガレット・ミラーと言へば、ロス・マクドナルド夫人で、ニューロティックかつ恐怖小説的なスリラーが得意、くらゐが私の全ての知識だつた。私はその手の作風があまり好きではないので、未讀のままになつてゐたのだらう。

「まるで天使のような」は流石、名作と言はれるだけのことはあつた。もちろんベストテン級ではないし、ベスト 100 級ですらないかも知れないが、この幕切れの印象深さは素晴しい。欠点は、この新訳版のあとがきで我孫子武丸氏も書いてゐるやうに、事件が「極めて地味」で、ぼんやりとしてサスペンスも薄いことだらうか。しかも、(ここが味噌でもあると私は思ふのだが)、事件だけを箇条書きのやうに書き下すと、讀者の誰でも真相に気付いてしまふだらうと思ふほど、単純。

しかし、山中に隠棲する新興宗教団体や、閉鎖的な田舎町の濃密過ぎる人間関係、やる氣がなさそうなのに妙なところに熱心で不良の癖に非常に知的でもある主人公の探偵、などの描写に独特の雰囲気があつて、ぐいぐい讀ませる。そして、その末にとんでもないところに連れて來られる。それを煙幕だと見做せばその見事さは、ミスディレクションなどと言ふ小手先の技術を越えてゐて、その意味では、ニューロティックスリラーと本格ものの驚くべき融合と言へなくもない。

2017/03/03

三月大歌舞伎

帰京して、夕方から歌舞伎座へ。知り合ひの邦楽家親子が、今回の演目の一つで人間國寶お二人に伴奏をつけられる。その奥方とご子息らがご家族で初日を参觀されるのに、ひよんな御縁から私もご一緒させていただく。しかし、東側二階の桟敷席をとつたら、演奏してゐる御姿が見えない、と言ふ失敗。それでも聴かせ所では拍手もあつたし、唄ひ手に大向ふから声もかかつてゐて、ご家族はほつとされてゐるやうであつた。

「双蝶々曲輪日記」の「引窓」は十次兵衛に幸四郎、濡髪長五郎に彌十郎、母お幸に右之助など。安定の舞台だつた。

「けいせい浜真砂」は藤十郎と仁左衛門。「絶景かな、絶景かな」で有名な「楼門五三桐」のほとんどそのままなのだが、盗賊の石川五右衛門が傾城の石川屋真砂路、つまり女になつてゐる。五三桐とは、鳥が持つて來る手紙の内容が違つたり、投げつけるのが小刀ではなくて簪だつたり、と微妙に違ふ。ちよつと不思議な演目。聞いた話では、動きが少ない舞台なので、立つてゐるだけで許されるやうな年配の大俳優が演じることが多い、とか。その意味では、今回の配役に文句のつけやうもない。

最後は河東節開曲三百年記念の演目で成田屋十八番の「助六由縁江戸桜」。もちろん、助六に海老蔵。揚巻に雀右衛門など。河東節が演じられるので、口上(右團次)つき。私は海老蔵があまり好きな役者ではないのだが、助六は別だ。海老蔵がやるしかないし、実際、既になかなか良いし、これからどんどん良くなるだらう。

全体に華やかで春らしく目出たい舞台だつた。こいつは春から縁起がいいね。

2017/03/01

花さく春に

三月弥生である。今日も朝から夕方までほどほどに働いて、とぼとぼと歸る。歸り道の花屋で桃の花が目に留まつたので、蕾が多めの枝を三本ほど買ひ求める。春が近いと思ふと、縮んでゐた心も延びるやうだ。

歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。切干し大根の煮物、大根と人参の寒天寄せ、湯葉の刺身で冷酒を五勺。のち、三月に入つたことを祝ひ、歸路で買つた握り鮨。桃を愛でつつ、冷酒をもう少し。

愛読書の「和漢朗詠集」(三木雅博訳注/角川ソフィア文庫)によれば、桃は中国の花と言ふイメージが強く、梅や櫻に比べて和歌に詠まれない、と、三千年になるといふ桃の今年より花さく春にあひそめにけり、の歌の註釈にある。確かにそれはさうかも知れないが、桃の節供も近いことだし。