「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2016/02/07

「消されかけた男」

昨日はディック・フランシスを読んだのだが、今日はある意味で対照的なヒーロー像として「消されかけた男」(フリーマントル著/稲葉明雄訳/新潮文庫)を読む。読了。再読だが内容をすっかり忘れていて、結末に驚いた。ミステリの古典的傑作を何度でも新鮮に楽しめることは、記憶力の衰えた老人の特権かも知れない。さすがに「アクロイド殺し」や「Yの悲劇」はまだ覚えているが、それもあと数年くらいで綺麗さっぱりタブララーサ状態になるかも知れず、今から楽しみだ。

昔は凄腕だったのだが、前線勤務二十五年、今は冴えない中年諜報部員チャーリー・マフィン。新時代の組織では邪魔もの扱いで、上からは疎まれ、若者からは馬鹿にされ、常に降格やクビ寸前どころか、同僚たちの罠で殺されかける始末。そんな徹底的に冴えない窓際族の主人公が、敵も味方も全部敵という状況の中を狡猾に立ち回って、とにかく最後は生き残る。やはり傑作。名作「別れを告げに来た男」に鼻の差で次点くらいか。

ディック・フランシスの主人公のような高潔さ、「紳士たるものは」や「スポーツマンシップ」はチャーリー・マフィンとは無縁である。チャーリーはこの小説の冒頭で、罠をかいくぐって生き残るために、保険の「退路」として気の良い青年を罠にかけ、その青年は無惨に死ぬ。ディック・フランシスの主人公なら絶対にこういう真似はしない。それは卑怯だから。しかし、チャーリーの世界では卑怯よりも、愚かさこそが罪なのである。

とは言え、二つの世界それぞれの主人公は明暗と言ってもいいほど対照的なのに、読後の爽快感に共通するものがある。おそらくそれは階層の差はあれ、俗物たちに打ち勝って自分を守り抜く、という点にあるような気がする。