「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2015/05/17

風邪の読書3「高慢と偏見」

かなり症状が改善したが、まだ微熱と咳が残っている。通常、日曜日にほとんどの家事を片付けるのだが、洗濯をしたのみ。冷蔵庫もほぼ空だが、残り物と保存食品で今日のところはしのいだ。

ほとんどの時間は寝床で読書。「高慢と偏見」(J.オースティン著/阿部知二訳/河出文庫)、読了。私が言うまでもないが天才的作品である。病気で寝付きでもしないと、長編小説を中断することなくじっくり読む機会がないので、たまに風邪をひくのは良いことかも知れない。

そう思うと、中断することなくじっくり読みたい、いや私の虚栄から「読み返したい」と強調したいところだが、小説や本は色々ある。そのためには風邪くらいでは時間が足らず、もっと重病が必要だ。とすると、かつての結核患者のようにサナトリウムで余生を過すというのは不幸どころか僥倖としか思えない。そもそもなぜ、病気のときにしかゆとりがないのだろうか。私には幸か不幸か扶養家族がないので、生活のために働く必要はほとんどないのに。働いているのはおそらく、私自身の高慢や偏見のせいだ。

不治の病で病院暮らしをしたいなどと馬鹿なことを思う以上、私は仕事が、いやそもそも積極的な活動自体が全て、好きではないのだろう。IT業界やスタートアップの世界にいると、ネット接続したスマート靴下で世界を変えたい、西海岸に挑戦だ、みたいなことを瞳をきらきらさせながら言う善男善女によく出会うのだが、コーラの飲み過ぎで頭がどうかしているのか、よほど気の毒な生い立ちで心が歪んでしまったのだろう、としか、今日の私には思えない。

人間は皆、サナトリウムに入って余生を「白鯨」か「源氏物語」か何か読んで過すべきだ。そうして人類があと一世代で滅びたところで何の問題があるのだろうか。今日はかなり時間を使って真剣に考えてみたが、やはり誰にとっても何の問題もない。むしろ宇宙史的には、生命の真実に到達した種と見做されるのではないか。

すみません。風邪で心が弱ってるんです。ジョブスでもそういう弱気な時はあったはず、あったはず。明日からはまた零細IT企業社長としてがんばります。